第四話
そうだ。すっかり忘れていた。システルは魔女だった。
ここが第84層世界でも、第43層世界でも、魔女なら魔法が使える。
だとすれば、システルも発動できる可能性がある。
でも、一つだけ不安があった。
「何の魔法を使うつもり? まさか探知魔法じゃないよね。システルは探知系の呪文なんて、ほとんど覚えてないでしょ」
「うっさいわね」
暗闇から少しだけむっとした声が返ってきた。
「あんたがいるから覚える必要がなかったのよ」
「その僕が使えないんだよ」
返事はない。
でも僕はかまわず続ける。
「もしかしたら、魔女のシステルなら魔法が使えるかもしれないのに、呪文が分からなくて発動できなかったらどうするんだよ」
思わずきつくなったけど、彼女は黙ったままだ。
「いつも言ってるよね。興味がない魔法でも覚えておいた方がいいって」
ここで、ようやくシステルが少し声を荒らげて返してきた。
「私が探知魔法まで覚えちゃったら、あんたの仕事がなくなるじゃない」
そして少し間を置いて、さらりと付け加える。
「そうなったら、このチームで、あんた、ニートになるのよ。それでもいいの?」
それに僕は返す言葉に詰まった。
「だいたい、あんた、探知以外に何ができるのよ?」
すぐに反論しようとする。
でも、何も思い浮かばない。
……そういえば。
僕って、探知以外に何ができるんだろう。
僕が黙ると、システルは追い打ちをかけてきた。
「他にできることといえば、クラス……ううん、学校中の女の子と仲良くなることくらいじゃないの」
「あれは、システルが……」
思わず反論しかけた。
でも、一年生の時の光景が頭をよぎり、すぐに言葉を飲み込む。
「私が何よ」
「……いや、何でもない」
「ふーん」
彼女はどこか面白そうに笑ってから言う。
「そうなったら、あんたって、まるっきり、あれね。
女性に養われて生きてる男のこと。
えーっと……何て言ったかしら」
そこでニケが、静かに口を挟んだ。
「ヒモ」
「そうそう、それ」
システルは即座に乗っかる。
「あんた、ヒモだわ」
「それはひどいよ」
「魔女の使い魔がヒモなんて、聞いたことないわ」
さすがにこれには僕も頭にきた。
「それは、システルが探知魔法を覚えたらの話でしょ。まだ全然そうなってないし。
ああ。それは、いつになることやら。僕にはそんな日が来るとは思えませんけどね。
ほんと早くヒモになって楽したいよ」
「あんた、よくも言ってくれたわね。
いいわ。
これが片付いて帰ったら、速攻覚えてあげる。あんたが大好きな探知魔法を。
そうなったら、第一級慧解術士だかなんだか、たいそうなお偉いさんみたいだけど、あんた、その日からヒモだから」
その一言で、僕の中の何かが切れた。
「探知は、魔法を発動できれば終わりじゃないんだ」
気づけば、語気が強くなっていた。
「拾った情報を整理して、過去の記録と照らし合わせて、意味を組み立てる。システルが思っているより、ずっと複雑なんだよ」
第一級慧解術士の資格は、システルのために取ったものだ。
ずっと前、ニケと話し合って決めた。
学校中の女子生徒と仲良くしているのだって、最初は全部システルのためだった。
……まあ、少しくらいは僕自身も楽しんでいたけど。
そこまで考えて、不意に別のことが引っ掛かった。
『これが片付いて帰ったら』
さっきシステルは、そう言った。
最初は気にも留めなかった。
でも。
まるで、この状況が起きることを知っているような言い方だった気がする。
やっぱりシステルはこの状況について何か知っているんだろうか。
僕が考え込んでいると、システルが僕の剣幕に驚いたのか少しだけ困ったような声で言ってきた。
「まあ、あんたがすごいことは認めるわ。その資格を取るために必死で勉強してたのも知ってるし、陰で努力してることもね」
少し間を置いた。
「私が転送魔法で次光壁を越えられるのも、あんたがいるからだし」
そして静かに続ける。
「でもね」
衣擦れの音が聞こえてきた。
「状況を知る方法は、探知魔法だけじゃないのよ」
次の瞬間。
闇の中へ、淡い緑色の光がぽつりと灯る。
それはゆっくり揺れながら動き、その軌跡だけが細い糸のように宙へ残る。
やがて、その光を追うように青い光が瞬いた。
一瞬だけ強く輝き、静かに落ち着く。
同時に、揺れていた緑の光もぴたりと止まった。
……杖と魔晶石。
どちらもシステルの魔力に応えて光っている。
僕の胸に、小さな期待が灯る。
もしかしたら。
魔法が使えるかもしれない。
僕は息を殺し、二つの光を見つめ続けた。
やがて、聞こえてくる。
いつも聞き慣れた、鼻歌のような詠唱。
歌うように。
眠る誰かを優しく揺り起こすような。
その声だけが、深い闇へ静かに溶けていく。
僕は祈るような気持ちで耳を澄ませた。
……だめか。
ここまで詠めば、いつもなら何かが起きる。
空気が震え、魔力が流れ始める。
でも。
何も起きない。
杖も、魔晶石も、光ったまま変化しない。
胸の奥が、ゆっくり冷えていく。
システルまで魔法を使えないなら。
僕たちが助かる可能性は――。
そのときだった。
まるで地の底から湧き上がってきたかのように魔法陣が床に浮かび上がった。
眩く輝く、それは、唯一、この世界で周囲を照らすことができる光の輪。
僕たちを押しつぶそうとしていた闇を徐々に押し返していく。
光の軌跡はゆっくりと回転し範囲を僕の足元へと広げていった。
魔晶石も、呼応するように青白い輝きを解き放つ。
その光の中に、システルの横顔が浮かんだ。
真剣な表情。
誰かが残した魔法の言葉を、自分だけの歌へと作り変えて紡いでいく。
いつも見慣れたはずの、ご主人様。
なのに。
何年も会えなかった人と再会したような、不思議な懐かしさが胸を満たす。
だけど僕は、彼女が赤ん坊だったころからずっと知っている。
光がさらに広がった。それに照らされて見えた光景に僕は息を呑んだ。
広がる魔法陣が僕の足元に触れた、その瞬間だった。
身体の奥を、電流が駆け抜けた。
霧が晴れるように、思考が一気に澄み渡る。
この感覚は――。
これは。
僕の探知魔法が、発動した感覚だった。




