8. 千億の星の夜
午後八時二十九分。携帯電話をポケットにいれて歩をすすめる。
頭上には、やや紺みを帯びた深い群青色の空がどこまでも悠々とひろがっている。それは純粋に綺麗な夜空なんかではなく、鉤鼻の老婆が黒い三角帽をかぶり、黒いマント姿で乱れ飛んでいるようなうす気味悪い空模様だった。
この町の夜の顔。有色と無色、充実と空虚、運動と静止、現実と空想、永劫と瞬間、希望と絶望、あらゆる項目が日没と同時に逆転し、グリム童話の混沌とした世界へいざなわれてしまう。
王女の深い眠りは瞬く間に町中にひろがり、道行くひとたちも、葉を落とした木々も、冬の風も、野良犬も、野良猫も、野鳥も、太陽も、みんなひっそりと百年の眠りの底へとしずんでいく。
町に溢れていた希望と生気はすっぽりと雪に埋れてしまい、物の響きや人の声が雪と暗闇のなかに吸いこまれ、その様子は白と青のモノクローム映画というよりも、ほとんど無人となった幽霊町と言い回しを変えたほうが場所によっては適切といえるかもしれない。
幽霊町。幽霊町。幽霊町。
暗闇のなかでつぶやくと、町はよりいっそう孤独に感じられ、平らで変化にとぼしい雪道をひとりで歩くという行為が、無情にも孤独に深みをあたえる。
ただただのっぺりとした雪道がどこまでも延々と続き、骨を刺すような厳しい寒さが暗がりにひそむ孤独を誘い、雪道を歩けば歩くほど存在の根拠を失っていくような気がした。
もしもこの瞬間に四肢が洋服ごと溶けて、この先にみえるあの暗闇の一部分に成り下がったとしても、たぶん今日と同じような明日を迎えることになるのだろう。
ぼくは思わず立ち止った。
そしてネクタイを引きちぎるようにはずし、凍空に鋭く輝く星ぼしを眺めた。
漆のように黒く光沢のある天井に、太いまち針と細いまち針で穴をあけ、そこから天界の光がこぼれているような、もしくは黒い厚紙に木工用ボンドを薄く塗って、そのうえに赤と白と青の硝子ビーズをまぶしたような幻想的ともいえる星空が頭上にひろがっていた。
都市化や交通網の発達により屋外照明が増加した都会地とはことなり、夜空の暗く澄んだこの町からは、六等星までの星はもちろん天の川なども生来のままの視力でよく見える。
町中にひろがった王女の深い眠りも、燦然と輝く星ぼしには遠く及ばず、水素爆弾が派手に爆発したかのような光を放ち核融合反応を起して燃え続けているが、気の遠くなるような宇宙の時間の中では、その銀河の英雄のような輝きも一瞬のものでしかない。
夜になると決まって顔をだす星たちも、宇宙の時間の中でぼくと同じように年をとり、エネルギー源を使い果たしてしまうと当然、光り続けることができなくなってしまう。
そして、その一生を終えるときに超新星や惑星状星雲となってガスを宇宙にまき散らし、途方もなく長い年月を経てこのガスの中から再び新しい星が誕生する。宇宙では、今ぼくが見上げているこの瞬間にも新しい星が生まれ、年老いた星が生涯を閉じ消えていく。
ぼくは、凍えて思うように動かなくなった両方の手をポケットにいれ、青白い光を放つ星をじっと見つめた。その星は、見れば見るほど煌びやかで神々しいものに思えた。
おおいぬ座の口もとの全天一の輝星シリウスと、白っぽいこいぬ座のプロキオン、それに均整のとれた美しいオリオン座の肩に輝く赤味をおびたベテルギウスを結びつけると、三個の明るい一等星で形づくる冬の大三角が夜空に浮かびあがってくる。
さらにオリオン座の三つの星を結ぶ直線をななめ右上へとのばすと、おうし座の赤い星アルデバランにたどりつき、もう少し上へと視線をのばすと青い星が一ヶ所に群がっているプレアデス星団にいきついた。蛍のように潤んだ輝きをみせる様子は肉眼でもよくわかり、これは実際にプレアデス星団全体が外灯に照らされた夜霧のように、ぼうっと光っているためである。
平安時代のエッセイスト清少納言は枕草子の中で「星はすばるがいちばん・・・」とその美しさをたたえているが、あまりに明るく輝きすぎて燃料消費が激しいため、あと五千万年もしないうちに次々に大爆発を起こし、砕け散る運命にある短命な星たちでもある。
すばるの星ぼしは、ギリシャ神話のなかでは天をかつぐ巨人アトラスと妖精プレイオーネの間に生まれた美しい七人姉妹たちとされ、彼女たちは月の女神アルテミスの侍女としてつかえている。
ある月の明るい晩、姉妹たちが森の中で踊り遊んでいると、大男の狩人オリオンが現れ、姉妹たちに声をかける。美しい七人姉妹たちに好意を寄せる狩人オリオンに対して、姉妹たちは乱暴者のオリオンを恐れ、大慌てで逃げだしてしまう。
狩人であるオリオンは獲物を追うようにしつこく姉妹たちの後を追い、逃げ疲れた七人姉妹たちは、とうとう女神アルテミスに助けを求め七羽の白い鳩に姿を変えてもらい、次々と夜空へ逃げるように飛びあがった。
その様子を目にした大神ゼウスは、七人姉妹たちを青白く輝く星ぼしに変え、これがプレアデス星団、美しい七人姉妹たちが星になった物語だといわれている。
冬の宵の頭上高くに輝くおうし座は、狩人オリオンに二本のツノをふりかざして挑みかかる猛々しい牡牛の姿のように見えるが、その正体は大神ゼウスが変身した牡牛というものであり、狩人オリオンの関心は、おうし座の肩さきに群れるプレアデス星団の七人姉妹の方にあって、これを西へ西へと追い続けているのだとされている。
プレアデス星団までの距離は四百十光年で、およそ四百十年前にこの星団を出た光が今ぼくの目に届いていることになる。もし、仮にぼくの祈りが一秒間に約三十万キロメートル進んだとしても、プレアデス星団に届くまでに約四百十年かかってしまう計算になる。
結局のところ、ぼくの祈りは星ぼしに届かない。目がくらむような光のスピードでさえも、数百年という途方もない時間を必要とするのだから、夜空に輝く星の名を呼んで心から祈ってみたところで何の意味も見返りも無いということは自分でも理解している。
それでもぼくは・・・ 星空を見上げてしまう。
夜空に輝く星ぼしを、想い出の欠片と一緒に結びつけ心情を重ね合わせて眺めていると、愛くるしい表情で夢とロマンを語る姉さんの姿が、鉛筆で描く肖像画のようにふっと星空に浮かびあがってくる。 それは現実に存在しているかのように、ぼくの心のなかに描きだされたもうひとりの姉さんの姿であり、遠い過去の記憶や情景、抑圧された願望から作りだされた幻影という名の小さな希望である。そう、これは想像力の問題である。
想像力を欠いた病院側の人間たちは、こんこんと眠り続ける姉さんを無理やり聖なる領域に囲いこんで、皆で安心を得るために昏睡と書かれた空疎な御札を貼り、生起した物事の原因を昏睡という機能的な言葉に帰属させて思考停止する。それは、病室にくる知人や看護婦も同様であって、深い眠りの底に沈んだ姉さんを流し目に見て、その冷たい視線を昏睡と書かれた空疎な御札に移した途端、まるで演劇の台本を思い出したかのような滑稽極まる態度を表し、病室の雰囲気に合わせた難しい役を即興で演じてみせる。
ああ、だれも姉さんを理解していない。昏睡という二文字の漢字、空虚な記号のうしろに横たわっている冷たく薄暗い現実のさらに奥には、姉さんの超越的な精神世界が煌びやかに広がっていて、目を閉じれば姉さんの暖かい鼓動を感じることができるというのに。
蚕の繭に包まれたような暗闇のなかで思考はさらに加速する。
姉さんは病院のベッドのうえに精神の器をのせたまま、百三十七億歳の宇宙という壮大な物語に導かれてどこか遠くへ行ってしまった。それゆえに、病室で眠っている姉さんはいたって健康であり、健常者となんら変わらず心配する必要は全くない。病室全体がなんとなく淋しく感じられるのは、ここではない宇宙のどこか、悠遠の彼方にいるからで、語りかけても肩をゆすっても返事がないのは、そのまま同じ理由が当てはまる。宇宙は誕生以来どんどん大きくなっていて、今の宇宙の本当の大きさはまだ誰にもわかっていない。つまり思考の及ぶ範囲を超えているため、現実の世界に帰ってくる時期は姉さんの気分次第ということになり、動機と目的地が判然としない以上、それを予測することはできない。
そうだよな? 姉さん
そういうことなんだろ? なあ、姉さん・・・
物音ひとつしない雪道でじっと立ったまま連綿とおなじような思弁にふけり、心に灯った小さな希望の火が消えないように偽りの物語を懸命に補強している自分という存在が、たまらなく惨めであると同時に、自分の精神を切断して安心を得るために感情を操作するという心の働きは純粋な人間のようにも思え、神という大きな物語が機能していないこの小さな世界においては、星ぼしに届かないとわかりつつも、あえて祈り続けるしかない。




