9. ペシミスト
「どうも、こんばんは」
「いらっしゃい」
古い排水管が詰まっているような声が厨房の奥から聞こえ、揚げたて特有のこってりした匂いの分子が鼻にはいると、胃がきりきりと痛みだし急に空腹を覚える。
「おう、きたか。 いまお茶だしてやっから、そこ座ってな」
「っあ、はい」
エプロン姿の倉本さんを目で追いながら、まるいパイプイスに座った。店内には背広姿の客が二人、黒いメッセンジャーバッグを肩にかけている常連の男と、背の低い小柄な男が惣菜と弁当が置かれているテーブルの前を行ったり来たりしている。
黄金色のヒートランプに照らされた揚げ物コーナーをよく見ると、ローストチキンやフライドチキンそれにピザが新メニューとして並べてあり、光ファイバーを使った幻想的なツリーと合わせて見ると、陽気なクリスマスの足音がこの幽霊町にもいよいよ近づいている感じがした。
「麦茶っと。 ほれ、おにぎり食べな」
「いやあ、ほんと助かります。 ちょうど、お腹空いてたんですよ」
「いただきます」
熱い麦茶をすすり、大人の拳ほどある塩むすびにかぶりついた。
「どうだ? うめえだろ?」
「はい、美味しいです」
「あの子が作ったんだよ。 おめえさんのために」
「っえ、そうなんですか?」
口に米粒を大量に含んだまま、腕を組んで壁にもたれる倉本さんを見上げた。
「いい子だろ? うちの紅一点だからな」
「ああ、そういうことですか・・・」
「なんか、気を使わせちゃいましたね」
「そおゆう子なんだよ、あの子は」
「まじめだし、うちで働いてんのがもったいねえくらいだよ」
「そういえば・・・ 姿が見えませんね」
「お礼したいんですけど」
「いまおくで着替えてっからよ、きたらいってやんな」
そう言うと、両肩を左右に揺らしながら珠暖簾をくぐり、厨房の奥へ消えていった。ひもで通した丸い木製の珠がはねてぶつかり合い、からからと乾いた音が店内にひろがった。
重ねた皿をテーブルの隅において、ぼくはゆっくりと瞼をとじる。
雪シェルターの中は暖かく、大規模な攻撃や放射線を避けることはできそうもないが、遮蔽効果の高いガラスドアのおかげで、悪魔のような寒さからは身を守ることができる。それに、弁当屋であるがゆえに食料品や飲料水といった備えもあり、最低限命をつなぎ生活を送れるだけの環境が整っている。
ふいに突風のような疲労におそわれた。
突風が静まると、疲労はやがて薄い眠気をまとった疲労へと変わり、浅く眠ったり覚めたりを交互に繰り返しながらパイプイスのうえで時をかぞえた。
「あの・・・ すみません・・・」
「んん・・・」
「っあ、どうも」
ぼくは立ち上がり、かるく頭を下げた。
「すみません、お待たせしちゃって」
「いやいや、全然大丈夫だよ」
「寝ちゃってたみたいだし・・・」
「今日は、本当にすみません」
「店長にひとりで帰れるって、何度も言ったんですけど・・・」
と、申し訳なさそうな面持ち。
「ああ、そのことなら気にしないでいいよ」
「ぼくの家、ここから近いしさ」
「いや・・・ でも、悪いです・・・」
「平気だって。 っあ、ぼくは成瀬浩紀」
「はじめまして・・・ じゃあないよね?」
「はい。 でも、こうしてお話するのは初めてですね」
「そうだね。 はじめてだね」
「わたしは白石冬乃といいます。 なんて呼べばいいですか?」
「そうだな・・・ 成瀬でいいよ」
「ぼくは、なんて呼べばいい?」
「えっと・・・」
「普段、友達にはなんて呼ばれてるの?」
「女子の友達は、みんな冬乃って呼びます」
「男子からは・・・ 白石かな」
「そっかあ。 じゃあ、冬乃ちゃんでいい?」
「はい。 私は・・・ 成瀬さん? 成瀬くん?」
「成瀬でいいよ。 まあ、呼びやすいほうで」
「じゃあ、成瀬さん」
「よし、決まりだね」
「あまり遅くならないうちに行こうか?」
「あ、はい。 よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
ぼくたちは並ぶように歩き、雪シェルターを後にした。
薄暗い雪道を歩きながら、隣で粛々と歩く彼女に眼をやった。
制服姿の彼女を見るのは今日がはじめてで、グレー基調のシングルブレザーにグレーのスカートを合わせたその姿は、かわいいと言うよりも綺麗という言葉のほうが彼女には相応しい感じがした。働いているときのおさげ髪の少女という印象が強かったぶん、その変り様は瞠目に値する。
彼女は、何かの英字模様が記された革製の学生鞄を両手で持ちながら一歩一歩雪道を踏みしめて進んでいる。その両足は黒タイツに包まれ、まるでマネキンのようにほっそりとしていて、彼女が雪道を歩くたびに櫛のとおりやすそうなロングヘアがふわふわと上下に揺れた。
ぼくは、彼女の白い首すじに目をやりながら
「おにぎり美味しかったよ」
「あれ、冬乃ちゃんが作ってくれたんだよね?」
と、様子を伺うように優しくたずねてみた。
「はい、そうです」
「本当は、もっと栄養のあるものを作りたかったんですけど、時間がなくって」
「いやそんな、作ってもらえるだけで十分嬉しいよ」
「本当ですか? そう言ってもらえると、すごく嬉しいです」
彼女はにこりと笑った。
ほんの一瞬、冬の寒さを忘れてしまうような、そんな笑顔だった。
「冬乃ちゃんは、料理が好きなんだね」
「はい、母の影響なんです」
「お母さんの?」
「母は食品関係の会社で働いていて、その関係で家に雑誌とか写真とかいっぱいあって、それを見ながら料理してたらなんか自然に覚えちゃいました」
「いやあ、立派だね冬乃ちゃんは。 感心しちゃったよ」
「そんなことないですよ、あまり褒めないでください」
彼女は紅葉みたいに頬を赤く染め、それを隠すようにうつむいた。
「ほんと、偉いよ冬乃ちゃんは」
「ぼくなんか、ほとんど毎日アゲハの弁当だもん」
「それじゃ病気になっちゃいますよ」
「うちの弁当、美味しいけどカロリー高いんですよ?」
「まあ、そうなんだけど・・・」
「安いしそれに種類もたくさんあるから、つい通っちゃうんだよね」
「成瀬さん、自炊しないんですか?」
「んん・・・ 学生時代はしてたんだけどね」
「最近は・・・ ほとんど外食かな」
「毎日、お仕事ですものね。 作る時間なんて、ないですよね」
「まあ、あるにはあるんだけどね」
「ただ、ちょっと面倒くさくて気が進まないっていうか・・・」
「もしよかったら、私が作りますよ。 成瀬さんのお弁当」
「っえ? どういうこと?」
ぼくは、彼女の眼をのぞきこむようにしてきいた。
「成瀬さんって、ほとんど毎日来てくれてますよね?」
「うんまあ、会社から近いしね」
「私、土日以外はほとんどバイトなので、迷惑でなければ作りますよ」
「そりゃ悪いよ」
「いや、ありがたいけどね・・・」
「全然悪くないですよ」
「それに成瀬さんが来る時間帯って、いつもお客さん少ないし」
「いやあ、それでもねえ・・・ やっぱり悪いよ」
「そうですか・・・ わかりました」
「ごめんね」
「ほんと、冬乃ちゃんの気持ちだけで嬉しいよ」
「もし気が変わったら、いつでも声かけてくださいね」
「うん、ありがと」
ぼくは、それらしく振る舞っている自分自身に嫌悪の情を抱いた。
ありがとってなんだよ。




