5. 百年の孤独
ビールの空き缶、チーズの包装紙、ポロショコラ、二人分の弁当の空箱、あえて昨夜との違いを言えば、久しぶりにラウンドプレートを使ったこと、それに、野郎の寝相がいつも以上に悪いということだろうか。
人びとが皆寝て静かになった頃、こっそりぼくの部屋に入りこみ、誰かが巻き戻しの赤いボタンを押して、ぼくが目覚める少しまえに、こんどは再生の青いボタンを押して、くすくす笑いながらそいつは仄暗い闇へと消えていく。その繰り返し。
そこに見えるありさまが、昨夜の光景と同じように感じてしまうのは、夜な夜な窓から侵入してくる小悪魔のせいなんかではなく、惰性で暮らしているぼく自身が生みだした結果であり、そう感じてしまうほどこんな夜を繰り返しているのも、認めたくはないがまた事実である。
言い方を変えれば、これは日常に潜むひとつの性質のようなもので、そのように感じるぼくが特別悲観的なわけではなく、人間という社会的な動物の心に湧く、ごくありふれた感情のひとつなのだろう。
左手を伸ばし、無造作に置かれたCDを手にとった。
1.帰り道
2.今日はあなた
3.透明人間になれたなら
4.冬色の恋
5.青春してますか?
6.富士山をください
7.夜空
8.歌のツバサ
角ばった箇所がなく丸みを帯びた文字からは、ふわふわとした幼い印象を受ける。
今日はあなた、透明人間になれたなら、富士山をください。一体少女たちがどのような想いで曲名を考え、歌っているのか、ぼくは知らない。しかしながら捉え方によっては、とっかえひっかえ男を変えて遊んでいる破廉恥な女性を想像したり、なにか良からぬことを企んでいるかのようにも、さらに言えば卑猥な隠喩法による表現を含んでいるかのような曲名と言えなくもない。
まったく、野郎の熱意は称賛に値する。
ぼくらの仕事は、お客さんに左右されることが多く、現場でトラブルがあれば土曜日でも祝日でも出勤するし、夜間工事に対応するために深夜まで事務所にいることも珍しくない。
平日のわずかな時間の合間に配布用フライヤーをつくり、休日にはSAガールズの手伝いに出かけ、それらにかかるもろもろの費用は言うまでもなく自腹である。
ここまでくると、十人十色、蓼食う虫も好き好き、といった諺や四文字熟語では腑に落ちないところがいくつもあり、なぜ野郎は全力を尽くすのか、なぜSAガールズにハマるのか、という巨大な疑問があたかも潜水艦のように浮上してくる。
ぼくは冷めて固くなったアジフライを口に運び、ビールをすすりながら天井を仰いだ。
加藤純奈。たしか野郎は、なーたんって呼んでたっけ。もしも、彼女に惚れているのなら話は早い。心を奪われるまでに彼女を想うなら、貴重な日曜日だろうが会いに行きたいと思うのは自然なことだろう。そして、彼女を含むSAガールズのメンバーと親密になりたいと思って、あれこれ考えるのも自然なプロセスといえる。
だがしかし、どこにでも一般的に見受けるような恋愛であれば、こうした些細な衝動からはいって、愛という永遠の関係性へと昇華していくことが夢見られるものである。瞬間的に燃え上がる恋の経験が、次第次第に愛へと深まっていく過程こそが理想の恋愛ではなかったか?
SAガールズ、加藤純奈と知り合ってから、もう二年以上経つのに、野郎になんの変化も見られないということは、普通に考えれば彼女たちに恋愛感情を抱いていないということになるのだが・・・
やっぱりと言うべきか、どうやら、恋愛とかではないようだ。
となると、純粋なボランティアみたいなものだろうか・・・
SAガールズの人生の成功を願い、彼女たちの夢を叶えたいと、自発的に奉仕行為などを行い、報酬の有無は一切関係なく自分の時間と財産を彼女たちにおくり与える。
しかしながら、贈与というものは根源的なパラドックスを抱えているようにも思う。なぜならば、純粋に誰かのために行うボランタリーな行動というものは、まずありえないからだ。贈与は必ず、彼女たちに負い目を与えてしまう。従って、なんらかの見返りを良きにせよ悪しきにせよ野郎は求めてしまうことになる。
見返り・・・ 肉体的な、いや、それはないだろう。相手は現役女子高校生であり、物理的なものというよりは、おそらく抽象的で目に見えない感覚的なもの。それはたぶん、心理的な見返り。
ストレス解消、元気がもらえる、癒される、勇気をくれる、彼女たちの笑顔が見れる。
どれも適切な見返りのような気もするがなにかが違う。なんとなくしっくりこない。ぼくの仮説が着弾したはずなのに、まるで手応えがない。
白身フライを齧り、気の抜けたビールで飲みくだす。
たばこをくゆらしながら、水気のないロールキャベツに眼をすえて、すうすう寝息をたてて眠っている、野郎に視線を移した。
意味・・・ 生きる意味。彼女たちは、生きる意味を与えてくれるのかもしれない。彼女たちの夢を叶えたいと心から願い、いくばくかの力を注ぎ、彼女のため、SAガールズのために全力で生きる。たしかに、そう考えれば辻褄が合う。彼女たちと出会ってから、野郎はなんだかいつも楽しそうだし、心なしか輝いてさえ見える。
誰かのために、何かのために生きる。それはたぶん、未来を予測したり過去を振り返るといった、普通の人間であれば当たり前にもっている時間の感覚を無化すること。ただ目の前にある、いまここ、を精一杯生きるということにほかならない。
少女の夢、という小さな物語に身を投げ入れることによって、長期的な生きる意味を獲得する。それだけではなく、投入状態が深まる、強まることによって時間の感覚を無効化し、終わりのない退屈な日常から救済される。
生きる意味か・・・ ぼくは、たばこをふかし、立ち上る煙をぼうっと見つめた。
ぼくは、もう長いこと幻を追い続けている。それは、現実に存在しているかのように、心のなかに描きだされるもの。遠い過去の情景や記憶、抑圧された願望から作りだされたもうひとりの姉さん。
姉さんのために生きているのか、それとも、姉さんに生かされているのか。曖昧で不確かな生のなかに、はたして意味とか理由とか、そんなものが存在するのだろうか。
ただひとつ言えるのは、心の奥底にある、たとえようもないこの感覚は、限りなく孤独のそれに似ているということ。
他人との交流を求めているのに、その欲求が満たされない。大勢の人々の中にいてなお自分がたったひとりであり、誰からも受け入れられない、理解されない。
そういった類の孤独ではなく、もっと、ざらざらした感触。それはたぶん、姉さんの幻を求めて満たされない、渇きのことなのかもしれない。
銀色の掛け時計が、くたびれた表情で午前一時を告げている。ぼくは、残りのビールを一気に流しこみ、その空き缶をラウンドプレートのとなりに置いた。
後頭部を突き刺すような秒針の音が壁にあたり、反射して再び耳に達する。血液に溶け込んだアルコールが脳に運ばれ、じりじりと思考回路が凍りついていく。
テーブルに両手をついて立ちあがり、石像みたいに重くなった手足を動かし、そっと野郎に布団をかけてやる。
人気のない部屋。姉さんの部屋。深夜の冷気が嘲るようにぼくを包み込み、深閑と暗闇が代わる代わるその姿をあらわす。
ヘッドボードに上半身を預け、腹部に巻きつけるように掛け布団をかける。姉さんの部屋にテレビがない理由は、容易に想像がつくことであり、黒みがかった濃い茶色の文庫本ラックを見れば、それがそのまま答えになる。
一般のひとがテレビを視聴している時間、姉さんは、この部屋で黙然と本を読み、ひとつひとつレンガを積み重ねるようにして、本の防壁を築きあげたのだろう。
それにこの部屋は、姉さんがつくりだした小さな小さな宇宙空間である。否応なしに現実を送りつけるテレビは、姉さんにとってはノイズであり、日常の光を遮断することによって、ちいさな宇宙の均衡を保とうとしたのかもしれない。
壁一面、切り抜いた写真やミニポスターが貼られ、白いビニールクロスが見えないほどで、それはちょうど逃走犯の顔写真や関連資料、事件に関する新聞の切り抜き、それに拡大した地図を壁に貼り付けた、ベテラン刑事の一室を彷彿させる。
キャッツアイ星雲、横向き銀河、アンドロメダ銀河、カシオペヤ座A、回転花火銀河、ふくろう星雲、子持ち銀河、北アメリカ星雲、ハ―ビック・ハロー天体、プレアデス星団、メローペ星雲、かに星雲、バラ星雲、わし星雲、リング銀河、らせん星雲、三重銀河。
天井付近に貼られた写真も含めれば、それこそ、数えるのが億劫になる。
姉さんはなぜ、ここではないどこか、外部を求めたのか。たしかに、理科教員である姉さんが純粋な研究対象として広大な宇宙を見つめても何ら不思議ではないし、昔から夢や空想の世界にあこがれ、甘い情緒や感傷を好む気質があったことも、また事実である。
しかし、それだけでは姉さんの怪異ともいえる執念、あるいは執着心を無視した根拠のない憶測になってしい、それらは核心をついてるようで実際には、わずかにずれているような気もする。
病院の一室で眠り続ける姉さんに野ばら姫のような救済はなく、明日の朝に死んでもおかしくはない、といまぼくが考えているこの瞬間にも、生と死の中間に吊るされ、白いアネモネみたいに、少しずつ少しずつ希望が薄れてゆく。
もうひとりの姉さん。それは、現実に存在しているかのように、ぼくの心のなかに描きだされるもの。遠い過去の情景や記憶、抑圧された願望から作りだされた空虚な幻影。
言いきかせて、思いこんで
慰めている自分がどうしようもなく情けなくて、虚しくて
いっそこのまま、百年という途方もなく永い眠りについても
それはそれで・・・ それで・・・




