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4. SAガールズ

 RZ50、野郎の愛車。

ブロック塀に凭れかかり、青白い雪にすっぽりと覆われたそれは、置いてあるのか捨ててあるのか、どっちとも取れるような厚かましい姿勢で静かに眠っている。

 去年の夏、すぐ近くにある運動公園で一度運転した覚えがある。クラッチ操作が思っていた以上に難しく、がっくん、がっくん、エンストを繰りかえしているうちに飽きてしまい、それ以来野郎の愛車には触れていない。

 もっとも、ぼくにとってそれは、移動手段でも愛着のある乗り物でもなんでもなく、言ってみれば目印のようなものであり、ウルヴァリンが来ているか、来ていないか、それを遠くから知らせてくれる一風かわった標識として認識している。

 アルミ門扉を後ろ手でしめ、石段をのぼる。長方形の傘立てのうえにビニール袋をのせて、外套にこびりついた水滴と雪をはらい、折りたたみ傘をフックにひっかけた。


「ただいまあ」

一歩、一歩、廊下を歩くたびに、ギィィ、ミシッ、ギィィ、と低く鈍い音が鳴りひびき、いまにも抜けてしまいそうな床の冷たさが足裏に伝わり不意にくしゃみが出た。

「おう、かえったか。 雪やんだ?」

「いえ、まだ降ってます。 おもてのバイク、平気なんですか?」

「大丈夫。 ちゃんとメンテしてるから。 それより腹へった。 飯にしよ、飯」

「っえ・・・ すこし休ませてくださいよ。 いま、座ったばかりじゃないですか」

「休まなくていいから。 はやくチンしてきてよ。 チン」

「なら、自分でやってくださいよ。 いっつも、ぼくじゃないですか」

「あのなあ、俺はもうこのとおり、こたつから抜けだせない体なんだよ」

「台所までいくなんて、とてもじゃないが、俺にはできないね」

「成瀬なら、わかってくれるだろ?」

「知りませんよ、そんなの。毎日弁当買いにいく、こっちの身にもなってくださいよ」

「俺だって、この寒いなか、晩酌セット買ってきただろ」

「距離がぜんぜん違います。 スーパーなんて、歩いてすぐじゃないですか」

「それがな、大変なんだよ。かごを持って、だだっ広い店のなかを行ったり、来たり」

「じゃあ、役割を交換しますか?」

「いや・・・ それは望ましくない」


 弁当と総菜を重ねるようにして半ば強引に、電子レンジに詰めこんだ。

衣類を脱ぎすて、乾燥機と洗濯機に放りこみ、温まりかけた手を冷水で洗う。不死身の魔女同士が素手でやりあうような、もしくは、賽の河原で親の供養のために石を積みあげるような不毛ともいえる言い争い。それを不毛だと思うこと自体が、たまらなく不毛なことだった。

 どちらが夕食を用意するか。愚劣を極めた無益な言い争いは空転を続け、あそこでぼくが折れなければ、紙やすりで削った体力と時間の微細な粒のなかに生き埋めになっていたに違いない。

 ふすまをあけると、春のやわらかい風をその大きな背中でうけながらぬくぬくと、なにやら作業に集中している、だるま束子のような後頭部が目にはいる。ねぎらいの言葉ひとつなく、人工の春をひとりじめにしている悪党・・・


「ねえ、ちょっと。 置きたいんですけど」

「おう、わりい。 ん? なんか今日、やけに多くないか?」

「ああ、これですか。 倉本さんがくれたんですよ。 客の入りが悪かったらしくて」

「ふ~ん、あの旦那がねえ。 こりゃ、成瀬の誕生日より豪勢だな」

「たしかに・・・ そうですね」

「それより、ちゃんとお礼言っといてくださいね」

「そうだな。 近いうち、アゲハに顔だすよ」

「それより、なんですかそれ?」

レストランの入口に置いてあるような、両面ブラックボード、専用マーカー、コルクボード、カラフルな画鋲、段ボール、デジタルカメラ、紙束、CD、両面テープ。

「これか? 看板だよ。 いま使ってるやつは、もう古いからな」

「へえ、なかなかイケてますね。 これ、メンバーの顔写真ですよね?」

「まあな。 制服姿もなかなかだろ? 成瀬、このなかで誰がタイプだ?」

「んん・・・ まあ、左の子ですかね。 なんか、妙に大人っぽいし」

「おお、俺と一緒じゃん。 加藤純奈、俺はなーたんって呼んでるけど」

「前から気になってたんですけど、SAガールズのSAってなんですか?」

「埼玉だよ、さいたま。 メンバー全員が、この町で育ってるからな」

「なるほど、そういうことですか。 わかりやすいですね」

「とんかつ弁当かあ、ナイスだよ成瀬。 俺のこと、だんだんわかってきたな」

「さあ、どうでしょうね。 とりあえず、はい、乾杯」

 和風家具調こたつのうえには、缶ビール六本、チーズ二箱、チョコレート、白いラウンドプレートに惣菜が盛られ、ふたりのロースとんかつ弁当を加えれば、富裕層の仲間入りを果たしたような得体のしれない優越感がこみ上げてくる。

 晩酌のお供であり、ぼくの好物でもあるチョコレートは、よしだスーパーのお菓子売り場で長期にわたる選考の結果、光沢のある緑色のパッケージが高級感を醸し出している、ポロショコラが採用された。

 それに対して、チーズの選考は困難を極めた。原産国や多種多様なパッケージに翻弄され、ひと口かじってそのままごみ箱にいってしまった気の毒な商品もあり、たまに口のなかに入れた瞬間、賞味期限を思わず確認してしまうほどの商品も地雷のように混ざっていたからだ。

 それでもめげずにひたすらチーズを買い続けた末に、カマンベールチーズとゴルゴンゾーラチーズが晩酌のお供に見事採用された。クリーミーなチーズと、風味が強烈で塩味が強いチーズの組み合わせは、まさに比類なきつまみである。

「成瀬、来週の日曜日、渋谷の駅前で路上ライブやるから見にこいよ」

「日曜日ですか、考えておきます」

「ていうか、SAガールズって現役高校生ですよね? 部活とかないんですか?」

「一応、なぎなた部らしいけど、まあ、幽霊部員みたいなもんかな」

「音楽と、なぎなた部ですか」

「彼女たちにとって音楽は、部活以上に大切なもんなんだよ」

「へえ、若いのにしっかりしてますね。 ぼくも、一度会ってみたくなりましたよ」

「おまけに、歌も上手い。 いまに人気がでるぞ」

「その熱意、相変わらずですね。 いや、ほんと父親みたいですよ」

「そりゃ当然だよ。 SAガールズとは、もう、二年以上の付き合いになるからな」

「もうそんなに経ちますか」

「根本さんがハマるなんて、正直、今でも不思議に思いますよ」

「そりゃ、俺のセリフだよ」

「仕事帰りに商店街歩いてたら広場の方から歌が聞こえてさ、ふらっと寄って、そのまま立ち聞きしてたら歌が終わって、三人からお礼言われちゃって、また来てくださいって、まあ、見物人は俺しかいなかったんだけどね」

「その時の路上ライブがきっかけで、通うようになったわけですね」

「まあ、そんな感じだな」

「そろそろ、チーズを攻めるか。 揚げ物は飽きたよ」

「そうですね。 けっこう、残ってますけど」

 ガラス灰皿を左手でたぐりよせ、たばこに火をつける。

白身フライ、アジフライ、ロールキャベツ、ひじきが残り、ぼくたちに選ばれなかったせいか、どことなくふて腐れているようにもみえる。

 ゆっくりと落ち着いた動作でチーズの箱をあけている野郎の手は、キャッチャーミットみたいに厚ぼったく黒ずんでいる。乾燥し、ひび割れた両手にエンジンオイルが浸みこみ、表皮の最下層まで浸透したような肌色をしている。

 技術職、朝から晩まで外に出ていることが多い業務の性質上、いくら工業用石鹸で手をあらっても、入れ墨と同じようにそう簡単には消えないのだろう。

「成瀬、まじで来週空けとけよ。 生演奏きいて、実際に話してみれば、成瀬の考えも変わるって」

「それに、有名になったら、まず無理だからな」

「まあ、根本さんがそこまで言うなら・・・」

「でも、思ったんですけど、SAガールズの知名度が上がって、もしも有名になったら、なんか、寂しくないですか?」

「それは、正直寂しい。 けどな、俺は、彼女たちが本気で夢を叶えるために頑張ってる姿を間近で見てきたし、将来彼女たちがどこで歌おうが、活躍しようが、俺は今まで通りに応援するし、支えていきたいと思ってる」

「とはいっても・・・ 淋しいかなやっぱり」

「そりゃ、そうでしょう」

「自分の娘が手の届かない遠くへ行ってしまう。それを悲しまない父親はいませんよ」

「ほんと、その通りだな」


「夢か。 なんかいい響きですね。 どんな夢なんですか?」

「いや、それがな、俺も詳しくは知らないんだよ」

「なんでも、歌で人の心をつなげたいとか、誰かの役に立ちたいとかよく言ってたけど」

「まあ、彼女たちが本気だっていう熱い気持ちは伝わってきたよ」

「なんかすごいですね、SAガールズって」

「根本さんがハマる理由が、なんとなくわかってきましたよ」

「そうだろ? だから俺は、彼女たちを支えたいんだよ」

「っま、とは言っても、ライブ用のチラシ作ったり、アンケート用紙作ったり、看板作ったり、たまに、ファンサービスを兼ねたイベントをひらいたり、俺にできることは限られてるけどな」

「なんか、羨ましいですよ。 ほんと・・・」

ぼくは、嫉妬でも皮肉でもない曖昧な感情をこめて言った。野郎は、はにかんだような面持ちで、窓の外を頬杖ついて見入っている。


「で、どうだった? 麻友さんの容体は」

「いつもと、変わらないですね」

「そっか。 再来週、俺もいくよ。 久しぶりに会いたいしさ」

「わかりました。 花は、ぼくが買いますから」

「おう、頼む」

「いや、ほんと。 麻友さん、成瀬みたいな弟がいて幸せだと思うぞ」

「どうですかね。 そうだといいんですけど」

「成瀬は立派だよ。 毎月、医療費払ってるし、毎週、お見舞いにいってるし、二階の部屋だって、三年前のまま、いつも綺麗にしてるじゃん」

「まあ、それはそうですけど・・・」

「俺なんか、もう、ずっと音沙汰なし。 まったく、薄情なやつだよ」

「妹さんですか。 たしか、けっこう離れてましたね?」

「そうだな、ひとまわり年下だからな」

「連絡すればいいじゃないですか。 元気か?って」

「俺から? そりゃ、なんか嫌だな。 実際、話すことないし」

「そうですか・・・ だったら、今はそれでいいんじゃないですか?」

「そうだな。 もう少し年をとれば、なにか変わるかもな」

「ぼくと姉さんだって、まったく口をきかない時期がありましたからね」

「へえ、意外だな。 それで・・・ どうやって仲直りしたの?」

「仲直りっていうか、なんか気づいたら、いつも通り話すようになってました」

「んん・・・ そんなもんかあ?」

「たぶん、家族っていう関係は、そういうものだと思います」

ぼくは小さくうなずき、生暖かい声でいった。疲労と憂い事で溢れそうになっているこの部屋のなかに、のっそり眠気がはいりこみ野郎のとなりに音もなく座りこんだ。

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