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3. メビウスの輪

 山が眠り、木々が眠り、生きものが眠る町。冬の夜は長く更けるごとに寒さが増す。キンッと張りつめた青味がかった空気の色は、十二月の寒さをよりいっそう感じさせる。

 革靴で雪を踏むと、そのしたで落葉がしけったスナック菓子をつぶすような音をたてる。ぼくの首は外套のなかにますます深く埋まっていき、自然と猫背になってしまう。

 人気のない寂れた商店街通りを歩いていると、グリム童話の世界に迷いこんでしまったような、そんな空想的で滑稽な気持ちにさせられる。

 たしか、そう・・・『野ばら姫』。



(あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいた。ようやく女の子を授かり、祝宴にひとりを除き国中の魔法使いが呼ばれた。魔法使いはひとりずつ、魔法を用いた特別な贈り物を王女に与えた。

 宴の途中、ひとりだけ呼ばれなかった魔法使いがとつぜん現れ、自分だけが宴に呼ばれなかった仕返しをするつもりで

「王さまのおひめさまの運命は、十五歳になると紡錘に刺されて死ぬことだ」

という邪悪な呪いをかける。

すると、まだ魔法を使っていなかった最後の魔法使いがあわててこれを修正し

「王さまのおひめさまは、死ぬのではない。百年の間、死んだように眠り続けるのだ」

という呪いに変える。

 王女を心配した王は、国中の紡ぎ車をひとつ残らず燃やしてしまう。王女は順調に育っていくが、十五歳の時にひとりで城の中を歩いていて、城の塔の一番うえで老婆が紡いでいた錘で手を刺し百年の眠りに落ちる。

 この深い眠りは城中にひろがり、宮中のひとたちも、お料理番も、馬も、犬も、鳩も、蠅も、燃えていた火も、木も、風も、みんな眠ってしまう。

 百年後。近くの国の王子が噂を聞きつけ、城を訪れ眠っている美しい王女に接吻する。王女は目を覚まし、ふたりはその日のうちに結婚して幸せな生活を送った・・・)


 

 なるほど。たしかに考えてみれば、ぼくの境遇と似ている点もあるかもしれない。百年の眠りに落ちたような青白く薄暗いこの町の雰囲気や、病院の一室でこんこんと眠り続ける姉さんの姿は、さながら眠り姫といったところか。

 しかしながら、決定的にことなる点がある。それは、野ばら姫には保証された救済があり百年後には全員目覚め、後遺症もなくいままで通りの日常に帰ることができるということ。それに、王女にかけられた理不尽な呪いが城中にひろがったことによって、だれひとり悲しむことなく百年という途方もなく永い時間、筆舌に尽くしがたい絶望を経験することなく、にこやかにハッピーエンドを迎えている。

 つまり、息を整えて冷静に考えてみれば、なにも起きていないことになる。換言すれば、悲劇といえる要素は物語のどこにも存在しない。やれやれ、現実ほど非現実的なものはない。

 明かりのない裏道で立ち止まり、ポケットから携帯をとりだす。着信なし。

どうやら、野郎からの弁当催促の電話はないようだ。寂寞たる夜。こんな夜には、弁当屋までの道のりをあえて遠回りし、あれこれ考えるのも一興である。


 神は死んだ。これは、ドイツの哲学者ニーチェの言葉であり、ぼく自身もそう思っている。神様はいるとか、いないとか、存在するとか、しないとか、そういう次元の話ではない。神様とはつまるところ、大昔のひとびとが考えだした大きな物語である、と表現できる。

 姉さんは、突然たおれた。原因は、まだわかっていないし担当の医師は、回復する可能性は限りなくゼロに近いという。だから、ぼくは、姉さんの昏睡状態という現実をどのように受け入れたらいいのかいまだにわからない。

 前提を欠いた偶発的な不幸を背負った死神は、姉さんのまえに突然あらわれ、生と死の狭間に吊るしあげた。なぜ、それが姉さんなのか。なぜ、ほかの誰かではなく、姉さんなのか。別のようでもありえたという不確定性。

 たとえば、病気になったのは不摂生だったからというとき、病気にかかったという偶発性は、不摂生だったという前提がもちこまれることで受け入れることができる。ところが、姉さんを襲った偶発的な不幸には前提はおろか、現実的な因果関係すらない。

 かりにぼくが、宗教にすがったとする。神のような超越者を持ちだして、これはあらかじめ神が決めた運命であり、人間には理解できない特別な意味がある。と解釈を反転させれば偶然の不幸が突きつける、昏睡状態という現実からは逃れられる。

 なるほど。前提を欠いた姉さんの偶発的な不幸を、神の力をかりて必然に置き換えれば、ぼくの鬱積した感情を浄化することができるのかもしれない。

 だけど、それは、なにかがちがう気がする。宿命とか、神の意思だとか、そういう考え方だと現実を見失ってしまうような感じがしてどうも、いや、やっぱり好きにはなれない。結局、また同じ地点に着地する。

ああ、メビウスの輪からどうしても抜けだせない・・・ 今夜はここまでか。

 ぼくの手足にくわえ、どうやら思考力までが凍えてしまったようだ。左胸のポケットからたばこをひっぱりだし、水分をうしなった唇におしこみ火をつけた。いくら吸いこんでみても氷のとげのような夜風がきりきりと肺につきささるだけで、味も香りも楽しめる状況ではなさそうだ。

 身を細めるようにして並んでいる暗い民家のなかに、惜しみなく暖かみのあるオレンジ色の光を放つ弁当屋が視界の隅にはいる。ほっこりとしたその光は、入口周辺に積もる小さな雪山にまでおよび、ちょうどかき氷にメープルシロップをかけたような心地よい佇まいを見せる。

 砂漠にオアシス。白銀の世界にさしこんだ一筋の光。いや、あれはまさしく雪シェルターに相違ない。クラスター爆弾よろしく、四方八方から容赦なく降りすさぶ白い悪魔から身を守るための避難所。

 『ジャコウアゲハ』と看板にはでかでかと黒字で書かれ、そのしたに小さく手作りお弁当、味自慢、と宣伝がさりげなくそえられている。

 『ジャコウアゲハ』という看板をみて、ああ弁当屋かあ、とすぐに納得できる頭のいい人間は世の中広しと言えども、たぶん、そう多くはいない。まあ、ジャコウは置いといてアゲハということなら、それはそのまま蝶であると考え、それにくわえて手作り弁当と書かれているのだから一見さんならよからぬ想像をしてしまう。

 この町に住みはじめてまだ間もないころ、たまたま店の前を通りかかり何とも言いようのない怪しい雰囲気に思わずガラス越しに店内を観察してしまったほどだ。

まあいずれにせよ、ぼくがこうして吹雪のなかわざわざ足を運ぶのだから、それ相応の理由がある。

 手動のガラスドアには、さまざまな種類の弁当の写真が貼られ古くなり変色した写真もあれば、だいぶ傷んで惣菜の絵柄が抜けている写真もある。写真のすきまから右手に黒いこうもり傘をついた勤め人ふうの男がひとり、ちょうど弁当のはいったビニール袋を受けとっている様子が見えた。

 ぼくは、入口の横で足をとめ二本目のたばこに火をつけた。ガラスドアのまえには、ラバースタンプでおしたような足跡が複雑に入りまじっている。川沿いに続く長靴の足跡、暗い民家の方に続いている大きさのことなる足跡、店内にいる男の真新しい革靴の足跡。

 みな、それぞれの生活にかえっていく。そして明日も、そのまた次の日も、同じ道を歩き同じ足跡をこの雪道に残すのだろう。夜空にけむりを吐きだし、線香をたてるように新雪にたばこを突きさした。


「こんばんは」

「おう、いいとこに来たな」

つばをぐにゃりと曲げた、紺色のゴルフキャップがトレードマーク。休日、朝から晩までカラオケに閉じこもり、燃えつきた後のようなつぶれた声。黒ずんだ厨房エプロンがよく似合ういかにも料理人らしい面構えだ。

「なんですか? コロッケでも揚がったんですか?」

「そこにあるもん、ぜんぶ、もってっていいぞ」

「っえ? これ、ぜんぶですか? 作りすぎたんですか?」

「いやいや。 ほれ、この大雪だろ? 平日の半分も売れやしねえ」

「まあ、そりゃそうですね。 ぼくも、今日は正直迷いましたよ」

「おめえ、いっつもそう言って、ちゃっかり顔だすじゃねえか」

「だって、夜遅くまでやってる弁当屋、他にないじゃないですか」

「まあな。 うちの客のほとんどは、独身の会社員だからな。 ありがたいと思え」

「そりゃ、お互いさまですよ」

「っで、今日は、なんにすんだ」

「んん・・・ まよいますね」

和風からあげ弁当、シューマイ弁当、のりから明太弁当、温玉弁当、さばみそ煮弁当、チキン南蛮弁当、チーズハンバーグ弁当、ロースとんかつ弁当、焼き肉弁当、生姜焼き弁当、海老フライ弁当、カレー弁当、しゃけ弁当、中華丼、ネギ塩豚カルビ弁当。

そういえば、野郎、成瀬いちおしの弁当とか言ってたっけ。ったく・・・

「なにか、オススメありますか?」

「ぜんぶだよ、ぜんぶ」

「はあ、じゃあ・・・ ロースとんかつ弁当をふたつ」

「ふたつ? あいつ、まだおめえんとこに住みついてんのか?」

「ええ。 なんでも、会社から近いから朝ゆっくりできるとかで・・・」

「まったく、おめえら、どおゆう関係だよ」

「どうもこうも、上司と部下、先輩と後輩。 まあ、ふつうに友達ですよ」

「おめえも、なんだか大変だな。 ほれ、惣菜の残りこれにつめな」

「ありがとうございます。 ほんとにいんですか?」

「それにしても・・・ すごい量ですね」

「わけえんだから、遠慮なんかすんな。 まってろ、いま作ってやっから」

黄金色のヒートランプに照らされた揚げ物は、沈没船からみつかった財宝のように眩しく、同時に頭のなかでカロリーを計算させるほどのふてぶてしさを備えている。

 匂いは鼻水がつまっていてよくわからないが、なんども使いまわし墨のようにどす黒い油で揚げた、香ばしいんだか油くさいんだか微妙なあの匂いだろう。

 白身フライ、コロッケ、メンチカツ、カキフライ、アジフライ、エビフライ、春巻き、ロールキャベツ、肉団子、ポテトサラダ、コールスローサラダ、かぼちゃ、ひじき・・・

 フードパックは、すでに変形し包装できないありさま。外見などいっさい関係なく銀色のトングでつめこみ、まるでスーパーの詰め放題に熱中する主婦の気分である。

 フードパックを三つ輪ゴムでとめ、厨房を覗きこむと、どうやらもう少しかかるようだ。壁に貼ってあるメニュー写真に視線をうつしながら、まるいパイプイスに座る。

 蝶の剥製。黒ぶち、標本用ガラスケースが等間隔にいくつも並んでいる。十二色のクレヨンでは表現できないほど色彩豊かな蝶の羽。オスかメスか、生息地はどこか、蝶と蛾のちがい、学術的名称、ぼくは蝶についてなにも知らない。ただただ、それは純粋に残酷なことだと思う。

 本人曰く、蝶の標本はこの建物の前のオーナーの趣味で、それをそのまま・・・


「お~い、できたぞ。 ロースとんかつ弁当」

「っあ、はい」

「いやあ、なんか悪いですね。 こんなにもらっちゃって・・・」

「いいって、いいって。 割り箸、からし、ソースっと」

「ほんと、ありがとうございます。 おっさんにも、顔だすように伝えますよ」

「ああ、そうしてくれ」

「それじゃ、冷めないうちに。 でかぶつが、家で待ってるんで」

「ちょっと待て」

「はい?」

ガラスドアの手前、両手にビニール袋をさげたまま振りかえる。

「おめえ、明日もくるよな? 仕事がえりに」

「ええ、まあ。 なんですか急に・・・」

「おめえさんに、頼みがあんだけどよ」

「頼み? なんでしょう?」

ぼくは、まるいパイプイスに落ちないよう丁寧にビニール袋をかさねて置いた。

その動作の数秒間、頼みとやらについてあれこれ考えをめぐらせ、ジャコウアゲハに関するすべての記憶を呼び覚ましてみたが皆目見当がつかない。

「冬乃ちゃんいんだろ? ほれ、うちのバイトの子。 おめえ、知ってんだろ?」

「ああ、はい。 おさげ髪の子ですよね? その子がどうかしたんですか?」

「あした、家まで送ってくんねえか? っな、頼むよ」

「っえ、ぼくが? なぜですか?」

「あの子、いつもは親ごさんと車でかえってんだけど、あしたはどうも仕事で遅くなるってんで、むかえに来れないらしくてな。 だから、家まで送ってやってくんねえか?」

「いや・・・ ぼく車もってませんし、そんなにその子の家、遠いんですか?」

「家は、すぐそこだよ。 二十分歩けばついちまう」

「それだったら、ひとりで帰ればいいでしょう?」

「そうはいかねんだよ。 さいきん、この町で誘拐犯がうろうろしてるって、その子の学校じゃあ大騒ぎらしくてな、親ごさんも神経をとがらせてんだ」

「だから、いつもは車でかえってんだけど、あしたはそうもいかない。 そこで、おめえさんの出番ってわけだ。 っな、わかんだろ?」

「まあ、そういうことなら引き受けますよ。 バイト、何時に終わるんですか?」

「九時だよ、いつも九時。 おめえも、いつもそんくらいにくるだろ?」

「ええ、まあ。 わかりました、約束は守ります」

「よし、決まりだ。 わすれんなよ、明日だぞ」

「はいはい、任せてください。 惣菜、ありがとうございました」

「おう、気おつけてかえれよ~」

錆びた蛇口からしぼりだしたような、つぶれた声を背中に聞きながら店を後にした。

 ひび割れた唇をなめる。やけに気まえがいいと思ったら、なるほどこの惣菜はおまけというよりも埋め合せ。この惣菜たちは、悪天候のため売れ残ったというよりも残るべくして残った惣菜という名の駄賃。しかし、まあ責任感が強いというか優しいというか。たしかに、この辺りは暗い。いかにも誘拐犯が好みそうな暗闇が、ひとつ、ふたつ、こんな夜道を少女ひとりで帰らせるわけにはいかない。

 表情のない漆黒の闇を足早に追いこしながら、ぼくは少女の容姿を思いだしていた。

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