お姉様
新と叶が出かけて数分後。
御言はというと、珍しく紬から呼び出しを受けていた。
なんの話だろう……はっ! まさか新と叶のデートを尾行しようとか!?
御言は藤宮家の門扉の前で頭を抱えてぶんぶんと振った。
駄目だよ~! 今日は二人だけの時間なんだからぁ~!
勝手な憶測を進めつつも、藤宮家のインターホンを押す。
すぐに紬の声が聞こえた。
『稲荷坂先輩、入ってください』
「はーい」
玄関の扉を開け、「お邪魔します」と言いながら藤宮家に入る。
リビングの方から紬が迎えにきた。
「稲荷坂先輩、突然すいません」
「いいのいいの! それで、話って?」
「ここではなんですから、お茶でも飲みながら……」
紬がリビングの方へ手を差し出す。
御言は「じゃあお言葉に甘えて」と靴を脱いだ。
玄関から数歩歩いたリビングは相変わらず掃除が行き届いていて、テーブルの上には小さな皿に乗せられたクッキーが用意されていた。
「どうぞ、座ってください」
紬に促されるまま、御言はソファに腰を下ろす。
ほどなくして、紬は湯気の立つ湯呑を御言の目の前のローテーブルに置いた。
「ありがと」
「いえいえ」
紬が紅茶を淹れたマグカップを持ちながら御言の隣に腰掛ける。
マグカップからゆらりと立ち昇る湯気が運ぶ紅茶の香りを楽しむこともなく、彼女は口を開いた。
「早速本題を……いいですか?」
「う、うん」
どんな言葉が飛び出すのか構えた御言に、紬は目を合わせた。
「稲荷坂先輩、あなたは何者なのですか?」
「……え?」
予想だにしなかった問いに、御言は目を丸くした。
「何者って……私はただの女子高生だよ?」
平常心を装うように、御言は湯呑に口をつけて傾ける。
わざとらしくずずっと茶を口に含むと、紬の口元が僅かに持ち上がった。
「ただの女子高生が炎の中飛んでくる瓦礫を弾き返せますか?」
「ぶーっ!」
思わず茶を吹き出す。
どうしよう、すっかり忘れてた! 交流研修会の時、紬の前で力を使ったんだった!
「あ、あれはね……その……なんだろうね!」
これが神の姿か。
と自分でも思うほど見苦しい反応は、紬の問いを肯定しているのと同じだった。
そんな御言に対して、紬は顔色を変えずに紅茶を一口飲んだ。
「秘密なのはわかっています。だから二人きりになれるこの時まで、待っていました」
流石紬だ。そこまで気を遣わせていたのなら、もう隠せないだろう。
「……紬に隠し事はできないね」
「まぁ、あの光景を見なければ私もわかりませんでしたよ」
紬はマグカップをローテーブルに置いた。
「あなたが私達人間と違う存在だと仮定して話をします。いいですか?」
「うん、何が知りたい?」
「秘密を無理に掘り起こす気はありません。私はただ……お礼を言いたいのです」
「お礼?」
紬は「はい」と言って御言に身体を向ける。
そして御言の両手を握った。
「遅れましたが……助けていただき、本当にありがとうございました。こうしてお兄様と一緒にいられるのも、稲荷坂先輩のおかげです」
重ねられた手に力がこもる。そこから伝わる温もりに、御言は一度だけゆっくり瞬きをした。
「……大袈裟だよ」
「大袈裟ではありません。稲荷坂先輩がいなければ、もしかしたら私とお兄様は……先輩がお兄様の傍にいてくれて、良かった……」
その言葉と共に紬の手の力が更に強まる。
それだけで御言には十分だった。
「……ありがと紬」
「なんであなたがお礼を言うんですか」
「私を受け入れてくれて」
「……まぁあなたが少し特別の方が、お兄様の婚約者という名目で突然現れたことも腑に落ちますし……あっ婚約は許してませんからね?」
「ふふ……わかったよ」
御言が笑うと、紬は手を離す。
しかし再び紅茶を飲むわけでもなく、手を遊ばせていた。
「あ、あの……一つお願いがあるのですが……」
「ん? なに?」
紬は何かを言いかけては口を閉じる。
その頬はどこか赤みを帯びていた。
「そ、その……無礼なのはわかっているのですが、これからは御言お姉様とお呼びしても、いいですか?」
「……ふぇ?」
間の抜けた言葉の直後、御言の金の瞳からぶわっと涙が溢れ出した。
「ふえーん!」
「え、えぇ!? どうしたんですか? 嫌でした!?」
あわあわと取り乱す紬に、御言は涙を袖口で拭いながら答えた。
「嫌なわけないでしょ……嬉しいんだよ〜! 紬が私のことお姉様って呼んでくれるんだよぉ……!」
「そ、そんなに泣くことですか?」
「泣くよぉ!」
御言はぐしぐしと目元を拭い続ける。
紬がお姉様と呼ぶのは、叶ただ一人。それは二人が長い時間をかけて作り上げた絆の結晶のようなものだ。
だから知っている。
紬にとって『お姉様』という呼び方が、ただ年上の女性に向けるものではないことを。
そこに自分も入れたことが、ただただ嬉しかった。
「う、うぅぅ……ありがと紬……」
「もう、泣かないでください。御言お姉様」
「うぅ……じゃあもう一回言ってぇ……」
「御言お姉様」
「ふえぇぇん!」
「逆効果じゃないですか……」
紬は困ったように笑うと、テーブルの上に置いてあったティッシュを数枚取り、御言に差し出した。
「ほら、涙を拭いてください」
「ありがとぉ……」
御言は受け取ったティッシュで目元を拭い、何度か鼻をすすった。
「……よし!」
両頬をぱんっと叩く。
「もう大丈夫!」
「それは良かったです」
「うん! じゃあ改めて、これからよろしくね、紬!」
「はい。よろしくお願いします、御言お姉様」
「えへへ……」
御言の頬が緩むと、紬は満足そうに頷いて立ち上がった。
「では、落ち着いたところで行きましょうか」
「うん! ……ってどこに?」
「決まっているじゃないですか」
紬は引き出しからあるものを取り出して、御言に差し出した。
「はい、御言お姉様の分です」
「……なにこれ」
渡されたものを見下ろす。
サングラスとマスク、そして黒いキャップだった。
「……紬?」
「なんですか?」
「これ、何に使うの?」
「変装です」
「なんのための?」
ここに来る前の嫌な予感が再び脳裏に過る。
そんな御言を余所に、紬はもう一つ用意していた黒のキャップを深々と被った。
「お兄様と叶お姉様を尾行するために決まってるじゃないですか」
「だ、駄目駄目! 今日は二人にとって大事な日なんだから!」
「大事だからこそです!」
紬はぐっと両手を握って、御言に詰め寄った。
「私の人生にとっても今日は大事な日なのです! お願いします、御言お姉様!」
御言お姉様。
その言葉が御言の胸を容赦なく撃ち抜いた。
「う、うぅ……わかったよぉ……」
ごめん、叶、新。
心の中で二人に謝った御言は、紬と同じように黒のキャップを深々と被った。




