理解できない選択。それでも……
楽しい時間は瞬く間に過ぎ、残すは後片付けだけとなった。
「お兄様、あとは私がやりますよ」
洗い物をしていた新に紬が声をかける。
だが新は手を止めなかった。
「今日は朝から準備してくれてたろ? あとは俺がやるから……そうだ、叶からもらったヘアオイル、早速使ってみろよ」
「ですが……」
紬は少し迷うように新の横顔を見つめる。
しかしここで食い下がってもジリ貧だと察したのか、小さく頷いた。
「……では、お言葉に甘えます」
「ああ。ゆっくり入ってこい」
紬は嬉しそうに微笑むと、テーブルの上を片付けていた叶のもとへ駆け寄った。
「叶お姉様、一緒にお風呂入りませんか?」
「え、私も?」
「はい! せっかくですし、お姉様からいただいたヘアオイル、一緒に使ってみませんか?」
「ふふっ、いいよ。じゃあ一緒に入ろっか」
叶がエプロンを外すと、紬は「やった」と声を弾ませる。
「新、片付け任せちゃって大丈夫?」
「問題ないって」
新がそう言うと、食器を運んでいた御言が声をかけた。
「そうそう、私もいるから二人はゆっくりしてきて」
「ありがと御言、じゃあお願いします」
叶と紬が共に浴室へ向かう。
二人きりとなったキッチンで、御言は新の隣で洗った食器を拭き始めた。
「楽しかったね」
「あぁ、今年は御言もいたから尚更」
何気ない言葉に御言の手が止まる。
彼女は食器を置いて、指先で髪をくるくると巻いた。
「新は……不意にそういうこと言うよね!」
「何かおかしかったか? 俺としては当然のことを言ったつもりなんだが」
「そういうところ! もう!」
御言は食器を再び拭き始める。
そして、微かに口角を上げた。
「明日は叶の誕生日だね」
「そうだな」
「美少女の幼馴染と二人きりのデートだよ? もっと楽しみそうにしないの?」
「二人きりで出かけるの初めてじゃないからな……でも」
食器を洗いながら、新は目を細めた。
「俺にとっては叶を祝ってやれる最後の誕生日だからな……」
その言葉に御言はすぐには答えない。
彼女はゆっくりとした手つきで一枚の食器を拭き終えた。
「ねぇ新、今から変なこと聞いてもいい?」
「な、なんだ?」
「叶のこと、好き?」
「へ……へ?」
新の手が止まる。
思わず御言を見た。
「な、何言ってんだよ……」
「変なこと聞いてもいいって言ったでしょ? それで、どうなの?」
食器を拭き続ける御言の横顔は、冗談を言っているようには見えなかった。
「……それはどういう意味で?」
「恋愛相手以外で叶を好きじゃなかったら怒るよ?」
ということは、叶を恋愛相手として見てるかどうかってことか……。
「叶は大切だ。でも——」
「本当に?」
言い終える前に、御言が皿を拭きながら口を挟んだ。
「本当にって……そもそも婚約者がいる俺が御言以外に惹かれちゃまずいだろ」
「じゃあ私と婚約してなかったとして、どう思う?」
「そんなこと言われても……」
「怒らないから、正直に教えて」
御言はそこで新を見る。
少し言葉に詰まりながらも、新は洗い物を中断して答えた。
「……大切なのは間違いない。でも、だから付き合いたいとか、そういうのかどうかは……自分でもわからないんだ」
「ふーん。それじゃあ想像してみて、叶が新以外の男の人と一緒にいて、幸せそうな表情で腕に抱きついたり、甘えたりしてるのを」
「……なんでそんな具体的なんだよ」
「いいからいいから。ほら、想像して?」
御言に急かされ、新は渋々その光景を思い浮かべる。
知らない男の隣にいる叶。
いつも自分に向けているような笑顔をそいつに向けて、腕を絡ませる。
『ねぇ、もっとこっち来てよ』
そんな声まで勝手に脳内で再生される。
チクリ。
棘が刺さったような感覚を胸の中心に覚えた。
「あ、あれ……?」
叶が幸せなら、それでいい。
ずっとそう思っていた。
自分がいなくなったあとも笑っていてくれるなら、それ以上望むことなんてない。
そのはずなのに。
「……なんだこれ」
新が思わず胸元を押さえる。
その様子を見ていた御言はいまだ食器を拭き続けていた。
「新が私と契約した理由は叶と紬の未来のためでしょ?」
「あ、あぁ……そうだな」
「なら、そのためにも必要なことがある」
そこで御言は食器を拭く手を止めた。
「私のことはひとまず気にしないで、新は新の心に素直になるの」
「素直……」
「うん。婚約者がいるからとか、そういうことは明日は忘れていいから」
「でも……」
「考えすぎないの」
御言はそう言って、新の胸元を指差した。
「明日は叶の誕生日。叶と一緒にいて楽しいなら笑う。何かしてあげたいって思ったなら、してあげる。そして叶が何かを求めれば全部応えてあげて。私との約束」
新はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかった」
「よろしい」
御言は満足そうに笑うと、再び皿を拭き始めた。
「明日はいっぱい楽しんできてね」
「ああ」
新も洗い物へ手を戻す。
けれど先ほど思い浮かべた、知らない男の隣で笑う叶の姿だけは。
なぜか、しばらく頭から離れてくれなかった。




