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線香の煙は


 冬休み初日。

 叶は朝から自宅の掃除に勤しんでいた。


 普段から清潔に保っているつもりだが、今日からしばらくこの家にはもう一人、寝食を共にする者が増える。

 念には念を込めてと、叶がテーブルを拭き終わった頃、タイミングを合わせたようにインターフォンが来客を知らせた。


「はーい!」


 叶がインターフォンのカメラ映像に声をかける。

 そこには予想通りの人物が声を弾ませた。


「叶ー! 来たよー!」

「今行くね」


 通話を切った叶は玄関へ向かう。

 今日から御言とのちょっとした同棲生活が始まる。

 正直言うと、楽しみな自分がいた。

 微かに高鳴る鼓動と共に僅かに歩を速めた叶は玄関の扉を開く。

 扉の向こうには大きなキャリーバッグと手提げ袋を携えた御言が立っていた。白いダウンジャケットにマフラーを巻き、寒さでほんのり赤くなった頬には満面の笑みを浮かべている。

 

「いらっしゃい御言」

「お世話になります!」

「畏まらなくていいよ。さ、入って」

「お邪魔しまーす!」


 御言をリビングに招くと、叶はキッチンに向かって電気ポットで湯を沸かし始めた。


「御言は座ってて。今お茶を入れるから」

「お、お構いなく! というか私も手伝うよ!」

「いいのいいの。ほら、座って待ってて」


 湯呑みを用意する叶の言葉に、御言は少し戸惑いながらもソファに腰を下ろす。

 叶は二人分の緑茶を湯呑みに注ぐと、盆に乗せてソファの前のローテーブルに置いて御言の隣に腰掛けた。


「はい、どうぞ」

「ありがと!」

 

 御言は早速湯呑みを手に取って緑茶を飲んだ。


「はぁ〜温まる」


 至福の表情を浮かべる御言の隣で、叶も湯呑みに口をつけて傾けた。

 

「叶、今日はこのあと新の家に行くの?」

「うん、そのつもり。御言も行くでしょ?」

「もちろん」


 御言は再び緑茶を飲む。

 その視線が叶の両親の仏壇へ向けられると、何か思い出したように彼女は立ち上がった。


「あっそうだ。叶のお母さんとお父さんに挨拶してもいい?」

「ありがと、二人とも喜ぶと思う」


 叶が答えると、御言は仏壇の前で膝をついて線香に火を点ける。

 りん棒で御鈴を鳴らし、手を合わせて目を瞑った。


 その様子を人二人分ほど離れた距離で叶が見つめる。

 どことなく、りんの音はいつもより澄んでいて、線香の煙も意思を持っているかのように不規則に揺らめいて見えた。


 しばしの静寂の後、御言は目を開く。

 その顔には優しい笑みが浮かんでいた。


「……前来た時も思ったけど、本当に素敵な両親だね」

「何か言ってた?」

「言っていいの?」


 御言の笑みが悪戯気なものに変わった。


「え、なにか変なこと言ってた!?」

「うーん、言っていいのかなぁ?」


 御言は叶の方へ体を向けて、腕を組んで少し考えてから続けた。


「二人がね、『うかうかしてると、新を取られちゃうぞ』だって」

「……え?」


 叶が呆気に取られていると、御言は立ち上がって叶の目の前で膝を畳んだ。


「叶、いつまでこのままでいるつもり?」

「このまま?」

「私が言うのはおかしいと思うけど、叶は新に気持ちを伝えないの?」

「そ、それは……」


 言葉に詰まった叶は視線を下げた。


「実は……夏くらいから私が『好き』って言ったら新はどう思うのかなって……ずっと考えてたの……でも」

「でも?」

「もし私が気持ちを伝えて、今の関係が壊れたらどうしようって……それは付き合っても、そうじゃなくてもあり得る未来で……」


 言葉にするだけで、胸が苦しくなる。

 嫌だ。それならいっそのこと、このままでも……。

 そう思ってしまうことも少なくない。


「じゃあ何もしないまま、私と新が本当に婚約してもいいんだね?」


 御言の言葉は容赦なく叶の胸を抉り、膝の上で合わせていた両手をきゅっと握らせた。


「そ、それは……」


 どこぞの知らない人よりかは、御言に負けた方が納得できる。

 その気持ちは確かにあるが、御言の言う通り、何もしないままそれが現実になるのは後悔しか残らないだろう。


「叶」


 口をつぐんだ叶の拳の上に、御言が優しく手を添えた。


「燻ったままでいいの? 新に好きって言わないの?」

「ど、どうしてそこまで……その方が御言にとっては……」

「そうだね。叶の想いが現実になれば、もちろん悔しい。でもそれと同じくらい嬉しいと思うんだ。なぜなら——」


 御言は身体を前に傾け、叶に額を合わせた。


「私は新と同じくらい、叶のことが大好きだから」

「御言……」


 額越しに、御言の温もりが伝わってくる。

 冗談を言っているわけでも、慰めようとしているわけでもない。

 その温もりが、そう物語っていた。


「だからさ、叶には後悔してほしくないんだ」


 御言はゆっくりと額を離すと、金色の瞳に叶を映しながら、柔らかく微笑んだ。


「もちろんすぐに答えを出せと言ってるわけじゃないよ。でも、もし私以外の誰かが新と付き合うってなったら、叶じゃないと絶対納得できない」

「……ずるいよ御言。そんなこと言われたらもう……」

「ふふっ、頑張れ叶……さてと!」


 御言は立ち上がり、玄関へ向かった。


「早く新の家に行こ! はやく新と紬にも会いたい!」

「あ、待って御言! 先に荷物を――」


 叶も慌てて御言の後を追う。

 線香の煙はより大きく、ふわりと揺れた。

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