欲望のままに
思わぬ形で終わった交流研修会から、自宅へ戻って来た新達は大事をとって数日は自宅で療養することとなった。
幸い、新も紬も大きな後遺症はなく、火傷や怪我についても経過観察で問題ないとのこと。
爽やかな朝日が差し込むリビングでは、そんな二人を心配して様子を見に来ていた叶が鞄を肩にかけた。
「じゃあ私は行ってくるね、二人とも安静にしてるんだよ?」
「あぁ、見送るよ」
ソファに座った新が立ち上がろうとする。
しかし、身体が上手く動かない。
その理由は新の左側からがっちり抱き着き、肩のあたりに顔を埋める紬だ。
怪我をした頭と火傷を負った左手には包帯が巻かれている。
「……紬、一旦離してくれないかな?」
紬は言葉を返さない。
それどころか、ぎゅっと抱きしめる力を強めた。
帰って来てからずっとこの調子だ。
普段の紬なら、叶の前であってももう少ししっかりした振る舞いを見せる。
兄に甘えることはあっても、ここまで露骨にくっつき続けるようなことはない。
しかし今はそんな体裁すら気にしていないらしい。
「大丈夫だよ。なにか必要だったら帰りに買ってくるから、連絡してね」
叶はそう言って、半身の姿勢のまま優しい笑顔で紬を見つめた。
「じゃあ行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
「……叶お姉様、行ってらっしゃい」
ようやく紬が口を開く。
叶は嬉しそうに「うん」と頷いて、玄関へ向かった。
バタンと扉が閉まる音が聞こえる。
藤宮家には新と紬、二人だけの時間が訪れた。
「……お兄ちゃん」
「ん? どうした紬?」
「稲荷坂先輩は……大丈夫なんですか?」
「あぁ、少し火傷はあるけど昨日会った時も、いつも通り笑ってたよ」
「……なら良かった」
全身を炎に包まれたのに、軽症で済んだのは流石は神といったところか。
鬼と遭遇した後は、すぐに天華さんが怪我を見てくれたから大丈夫だと思うけど……。
新が御言の身を案じていると、紬が顔を上げて新と目を合わせた。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「約束覚えてる?」
「もちろん、連休は二人きりで過ごすよ」
新がそう言うと、紬は嬉しそうに口角を僅かに上げた。
「お兄ちゃんが言ってたのは、次の金曜から日曜までの三連休だよね?」
「そうだけど……どこか行きたい所とかあるのか?」
紬は「ううん」と首を横に振った。
「家でお兄ちゃんとゆっくりしてたい。でもね、紬は今日から連休明けまで自宅療養でお願いしたの」
「そうなのか。まぁ、ゆっくり休むといいさ」
「うん。だからね、お兄ちゃんも一緒にいてくれるよね?」
「……ん?」
待って。
俺、明日学校なんだけど。
「紬……俺は……」
「お兄ちゃんが言ったのは次の連休。何曜日から何曜日とは言ってないし、紬は今日から連休明けまでお休みだよ?」
なるほど。
つまり、自分が今日から休みなのだから、ここから全部ひっくるめて『次の連休』ということにしたいらしい。
こんな時でも都合のいい抜け道を見つける辺り、流石は紬だ。
「……わかったよ。どの道、紬を一人にするのは気が引けるしな」
「やったぁ!」
声を弾ませた紬は今度、新の肩辺りに頬擦りをした。
「まずはこの連休はずっと一緒に寝ようね」
「うっ!」
紬の寝相の悪さは、新しか知らない。
彼女が眠りに落ちれば、一瞬で頭と足が逆さになり、蹴り飛ばされる。
ベッドに戻れば絞殺されかねないレベルで抱き締められる。
かといって新がベッドにいなければ泣き喚くだろう。
もし、この数日間を一緒のベッドで眠るとして、これまでの経験から自分の睡眠時間は……そこで考えるのをやめた。
「ははは……わかったよ」
「あとねあとね、あとで連休分の買い出しに行こうね。あとはずっと家で映画を見たり、ご飯を一緒に作って、お風呂も一緒だからね」
「ふ、風呂もか!?」
いくら妹でも、流石にそれはまずい。
「紬……いくらなんでも風呂は……」
「駄目なの?」
紬はきゅるんと潤んだ瞳で新を見上げた。
「お兄ちゃんは紬のしたいことを全部しようって言ったよ?」
「それは……言ったけど……」
「じゃあいいよね? 紬、久しぶりにお兄ちゃんの背中流す」
新は言葉に詰まる。
ここで駄目だと言えば、癇癪を起こされかねない。
そもそも紬の言う通り、彼女のやりたいことを全部しようと言ったのは自分だ。
吐いた言葉は飲み込めない。
覚悟を決めた新は、大きなため息をついた。
「……わかった」
「ほんと!?」
紬の表情がぱっと明るくなる。
「ただし」
「ただし?」
「せめて水着を着よう」
「えぇ~お風呂で水着は変だよぉ~」
「頼む紬、ほんとにお願いします」
新の懇願に紬はやんわりと頬を膨らますが、すぐにくすっと笑った。
「……ふふ、わかったよ」
助かった……。
今度はほっとした息を吐く。
そんな新の横顔を恍惚とした表情で見つめていた紬は、自分の顔を新の顔へ近づける。
直後——柔らかな感触が新の頬に触れた。
「……つ、紬! な、なにを!?」
驚いた新を見て、紬は余韻を味わうように口元に手を添えた。
「兄妹だもん、いいでしょ? それとも迷惑?」
紬は上目遣いのまま眉を下げる。
そのあざとさは確かに作られたものだと察した新だったが、だからと言って駄目とは言えるかどうかは別問題だ。
……まぁ、今回紬には嫌な思いをさせたし、大目にみるか。
高校一年生とはいえ、たまには目一杯甘えさせても罰は当たらないだろう。
そうやって、なんとか自分の中で理由をつけた時だった。
「ふふ……ふふふふ」
突如紬が俯き、肩をぷるぷると震わせながら笑い始めた。
「つ、紬?」
恐る恐る声をかけると、紬はばっと顔を上げる。
その口は三日月状に吊り上がっていた。
「どうしようお兄ちゃん! キスしたら我慢できなくなっちゃった! あー幸せ! これが数日続くの!? 信じられない! お兄ちゃんがずっと傍にいて、一緒に寝て、ご飯食べて、お風呂入って……ずっとぎゅーってしていられる! えへへ、最高すぎるよぉ!」
紬は自分の両頬に手を添え、甘い息を漏らす。
目はまるで、長年欲しかった玩具をようやく手に入れた子供のように爛々と輝いていた。
あんれぇ?
もしかして俺、取り返しのつかないことしちゃった?
新の胸中など知る由もなく、息を荒くした紬はますます強く抱き着いた。
「覚悟しててね? お兄ちゃん」




