鬼の誤算
「きゃあああっ!」
炎に包まれた御言の叫びが新の耳をつんざく。
一見すれば、全身を炎に焼かれているようだったが、御言の肌にも衣服にも焼けた跡はない。しかし、御言は確かに苦痛に顔を歪めていた。
「御言!」
反射的に新は駆け出す。
すると、鬼が紫色の火球を新と御言の間に撃った。
「ぐっ!」
爆炎に思わず新は足を止める。
横からは鬼が紫色の炎を灯しながら、歩み寄っていた。
「動くな小僧」
鬼は新の目の前で立ち止まる。
その巨体と禍々しい風貌に、心の底から恐怖が湧き上がってきたが必死に押し殺して鬼を睨んだ。
「御言を離せ!」
「ほう……俺に指図するか」
そう言って鬼はぐっと手を伸ばし、新の喉を掴んだ。
「あがっ!」
新の身体が軽々と浮く。
鬼はにたりと笑って御言を見た。
「九尾の娘よ。こいつの肉を食いちぎられたくなければ、お前の時空を操る術を我々のために使ってもらおうか」
「やめて……新は……関係無い」
「嘘をつくな。こいつの中にも微かだが神の力を感じるぞ」
「もう……あの術は使えない……」
御言がそう言葉を絞り出すと、鬼は高らかに笑った。
「はっはっは! 太古から化かし続けてきたお前達にしては、随分と貧相な嘘だな」
「嘘……じゃない」
「ほう……ならば、この男が食い千切られるところを見てるがいい」
鬼は新に視線を戻し、顔を近づける。
や、やばい……!
新は必死に自分の首を掴んだ鬼の手を引き剥がそうとする。
しかし、まるで巨木の根のようにびくともしない。
「や、やめて……!」
御言の縋るような言葉を、鬼が聞くはずもない。
ガパッと、大きく口を開ける。
新の目に恐ろしい牙の列が映った時だ。
ドクンッ!
突如、新の胸の鼓動が砲撃のような衝撃となって全身を駆け抜ける。
その直後だ。
新の首を掴んでいた鬼の手が、ボッ! と青白い炎に包まれた。
「ぐああっ!」
堪らず鬼は新を離す。
床に落ちた新は「げほっ! げほっ!」と咳き込みながら、必死に息を吸い込んだ。
「な、なぜ九尾の炎が!? ぐあああっ!」
鬼を燃やす青白い炎は、みるみる大きくなっていく。
「く、くそ!」
このままでは己の全てが焼かれる。
そう踏んだ鬼は空いた手で、燃えている腕を付け根から引きちぎる。
床に転がった腕は青白い炎に呑まれ、見る間に灰となって消えた。
「が……があああっ! 小僧……お前何をした!?」
「知らねえよ……」
短く返した新は右手で胸を押さえる。
鼓動は何かを知らせるように、どんどんと大きくなっていた。
「あ、新……?」
御言がいまだ顔を歪めつつも、新を呼ぶ。
大丈夫だ。
そう答えようとした時、胸の辺りから光が溢れ出し、指の隙間から漏れ出た。
なにか都合の悪いことが起きる。
そう直感したのか、鬼は残った片方の腕で新に襲いかかった。
「くそっ! 余計なことをするな!」
岩のような拳が振り下ろされる。
それを避ける暇など新には残っていない。
「だ、だめ!」
御言の叫びが聞こえた時だ。
新の胸から漏れ出していた光が人の姿を形取る。
それはすぐに鬼の拳を阻むように障壁を張った。
ガキンッ! 鬼の拳は障壁に阻まれる。
同時に青い炎がどこからともなく放たれ、鬼を吹っ飛ばした。
「ぐあっ!」
鬼が壁を突き抜けていく。その先で崩れた瓦礫に埋もれた。
それと同時に御言を包んでいた炎も、青白く変わる。
それは御言を拘束していた炎の縄を焼き、彼女の身体を自由にした。
一方で胸の鼓動が嘘のように収まっていた新は顔を上げる。
そこにいたのは思いもしない人物だった。
「て、天華お姉ちゃん!?」
御言が驚きの声をあげる。
そう、そこにいたのは御言の姉。九人姉妹の長女、天華だった。
「やれやれ……まさかこんな場に呼び出されるなんてね」
上品な笑みを浮かべた天華は、御言へ振り返った。
「御言、大丈夫?」
「う、うん……どうしてここに?」
「ふふ……妹の婚約者がやらかした時に八つ裂きにしてやろうと思ってかけといた術が、こんなところで役に立つとは思わなかったわ」
え? やらかした時? 八つ裂き?
なにそれ怖すぎるんですけど。
突っ込みたい気持ちを必死に押さえた新は立ち上がった。
「あ、ありがとうございます天華さん。というか、いつの間に俺に何か仕込んだんですか?」
「初めて会った時よ。驚いたかしら」
初めて会った時……あっ!
初めて御言の家族と顔合わせをした時、天華だけが新に近づいてきた。
あの時か。
「お姉ちゃん……」
御言も気づいていなかったのだろう。ジト目で姉を睨んでいる。
「許して? 可愛い妹への愛ゆえよ」
「そんなこと言って……まぁ、おかげで助かったけど」
「じゃあ、おあいこってことで……さてと」
天華は鬼へ視線を戻した。
「随分手の込んだ罠を張ったものね。まるでここに御言が来るのを知っていたみたい」
瓦礫の中から鬼が立ち上がる。
その顔には確かに焦りが滲んでいた。
「く、くそっ! 九尾の娘が二人も!」
「話が違う……とでも言いたげね」
天華は一歩前に出た。
「天才であるが故にどこか警戒心のない妹と違って、私は容赦しないわ。さぁ教えなさい。お前をここに誘ったのは誰?」
「く! くそっ!」
鬼が残った片腕で紫色の炎を飛ばす。
ボボンッ! と五発の炎が天華に迫った。
「往生際の悪い」
天華が障壁を張る。
鬼の炎はいとも簡単に弾かれた。
だが、天華の障壁に当たったのは四発。
残る一発は彼女から遥かにズレた位置へ飛んだ。
その方向には誰もいない。
あるのは燃える建物の柱だった。
それが何を意味するか、わかった時にはもう遅かった。
ドォンッ!
炎が柱に当たって爆ぜる。
柱は砕け散り、柱が立っていた一帯の天井が崩れ始めた。
崩落は瞬く間に広がり、新達の頭上の天井も瓦礫へと変わる。
「新!」
御言が新を抱き締め、頭上に障壁を張った直後、瓦礫は新、御言、天華の三人を容赦なく呑み込んだ。
辺りには炎が建物を燃やす音だけが残った。
しかし、すぐに新達の上に積み上がった瓦礫がガラリと崩れる。
瓦礫の中から障壁に守られた新達が姿を現すまで、そう時間はかからなかった。
「……どうやら逃げられたようね」
自らの頭上に張った障壁を消した天華は辺りを見渡す。
一方、御言は抱きついたまま新の顔を覗いた。
「新、大丈夫? 怪我ない?」
「あ、あぁ……ありがとう御言」
「それはこっちの台詞。新が来てくれなかったら……正直危なかった……ありがと」
御言は新の胸に顔を埋める。
力になれた。
そう実感すると、新の顔にも笑みがこぼれた。
「お邪魔して悪いのだけど、早く出ましょう?」
二人の様子を微笑みながら見つめていた天華がそう言うと、御言は「ハハハ」と笑いながら新から離れた。
「そうだね。さ、帰ろう新」
「あぁ」
この一件は結局、調理室のガス栓の老朽化による火災というふうに片付けられた。




