罠
「御言! どこにいる!」
建物内は紬を助けに来た時よりも激しく燃え盛っている。
だが不思議なことに、ある一本の廊下だけが燃えていない。
まるで新を誘っているかのようだ。
新はその中を右腕で口を覆いながら駆ける。
すると、すぐ先の壁がドォンッ! と吹き飛んだ。
「ぐっ!」
立ち止まり、咄嗟に両腕で顔を庇う。
砕けた壁材が床を跳ね、細かな破片が腕や頬を掠めていく。
直後に爆煙の中から、一人の人影が後ろ向きに飛び出してくる。
勢いのまま二、三歩後ずりながら煙から出てきたのは、御言だった。
「御言!」
「あ、新!?」
目を丸くした御言に新は駆け寄った。
「無事か!?」
「わ、私は大丈夫だけど、どうして!? 先に行っててって言ったのに!」
「御言が気になってさ……」
「だからって……っ!」
突如、御言の視線が穴の開いた壁の向こうへ向けられる。
すると、爆煙の向こうから紫色の炎に包まれた瓦礫が飛んできた。
「新、私から離れないで!」
即座に御言は右手を前に出し、障壁を展開する。
瓦礫は障壁に当たり、紫色の火花を散らしながら砕けた。
「御言……今のは?」
「この火災の元凶。この建物を燃やしているのはただの炎じゃない」
御言は鋭い目つきを壁の向こうへ向けたまま続けた。
「この炎には呪いが込められている。恨みや妬み……一度燃え移れば、骨の髄まで灰にする。悍ましいったらありゃしない」
「なんでそんなものが……」
「直接聞いてみたら?」
御言がほくそ笑む。
いまだ爆煙の向こうを見据える視線を新が辿った。
少し収まった煙の中に何かいる。
二つの足で立っているところを見ると、人かと思えたがその考えはすぐに消えた。
「あ、あれって……」
それは天井に届くほど大きく、廊下が手狭に見える程の体格をしている。
そしてなにより、煙越しでも見える頭上から生えた二本角が、それが人ではないと物語っていた。
煙が晴れてその姿が鮮明に露わになる。
不気味に光る緑色の目。血のような真紅の身体。その巨体が身に纏っているのは腰巻きだけだった。
腕は丸太のように太く、その先には新の頭ほどもある巨大な手がある。その指先には鋭利な爪が伸びていた。
「お、鬼……」
新がその名を呼ぶ。
夏に一度見ていたが、あの時の童のような小鬼とは体格が違いすぎる。
や、やばい……。
生物としての本能が警鐘を鳴らす。
逃げろ、今すぐにと。
しかし、新はその場を動かない。
いや、蛇に睨まれた蛙のように動けなかっただけかもしれない。
「あ……あ……」
歯がガタガタと鳴る。
そんな新の左手を、御言が右手で握った。
「大丈夫だよ新」
「み、御言……」
御言はニコッと笑う。
すると、その様子を見ていた鬼が禍々しい声を発した。
「一人で五万の同胞を討ったお前も落ちたものだな。そのような人間を助けに呼ぶとは」
「違うわよ! あんたなんか私一人で十分だから!」
「強がるな。感じているのだろう? 薄れゆく自身の存在を」
その言葉に御言は答えない。
鬼はニタリと笑った。
「いくら俺の存在をまじないで隠したとしても、本来のお前ならもっと早く気がついたはずだ」
まだ御言は答えない。
先程まで浮かべていた余裕の笑みも、そのままだ。
だが握られている新の左手に、僅かに力が入った。
「御言? どういうことだ?」
「さぁね。私を惑わすための戯言じゃない?」
御言がそう言うと、鬼が掌に炎を灯す。
先程飛んできた瓦礫に燃え移っていたものと同じ、紫色の炎だ。
「俺の言葉が嘘なら、俺はここに潜り込めてはいない。そして、今生きてもいない」
「随分な覚悟ね。お喋りはそこまでにしましょう」
御言は新の手を離して、前へ出る。
その右手の上には、青白い炎が灯った。
「すぐに祓わなかったのは、数百年も姿を見せなかったあんた達がこんなことをした理由を聞くためよ」
「面白い、ならば力づくで聞いてみろ!」
鬼が紫色の炎を御言へ放つ。
同時に御言も腕を振るった。
二つの炎が廊下の中央で激突する。
バァン! と轟音と共に凄まじい衝撃が生まれる。
しかし拮抗したのは、ほんの僅かな間だけだった。
青白い炎が紫炎を呑み込む。
そのまま鬼へと迫り、巨大な身体を正面から吹き飛ばした。
ドォンッ!!
鬼の巨体が壁へ叩きつけられる。
炎こそ燃え移らないものの、鬼は苦痛に表情を歪めていた。
「……ぐっ」
「口ほどにもないわね」
御言は右手に残った青白い炎を軽く払いながら、鬼に近づいた。
「さぁ、あんたの計画を教えてもらおうじゃない」
「く……くく」
低い笑い声が響く。
御言の表情に警戒の色が強まった。
「……何がおかしいの?」
壁にもたれ掛かっていた鬼が、ゆっくりと顔を上げる。
その口元には笑みが浮かんでいた。
「やはりこの程度か……かつての我々を焼き払った炎も、生ぬるくなったものだな」
御言は冷たい視線で鬼を見下ろし続ける。
彼女からの言葉を待たずに鬼は続けた。
「今のお前じゃ、俺の怨念が込められたこの炎は簡単には消せないのだろう?」
「……はぁ」
御言は呆れた溜め息をついて、右手に青白い炎を灯した。
「だれがこの程度の炎、消せないって?」
そう言って青白い炎を振りまいた。
御言の炎は建物を燃やす炎を包むように広がっていく。
次第に炎の色こそは普通に戻ったが、どこか勢いが落ち着いたようにも見えた。
「どう? あんたの炎だけを燃やした。あとは人の手でも消せるわ」
「くく……くくく」
鬼は再び笑う。先程よりも、大きな笑みを浮かべている。
その直後、落ち着いたように見えた炎が先程よりも強く燃え上がった。
「かかったな……」
鬼がそう言うと、燃え上がった炎がいたる所で細く巻き上がる。まるで蛇のようだ。
「なっ!?」
驚いた御言が反応するより早く、一本の炎が右腕へ巻きつく。
続けて左腕。
両脚。
瞬く間に四肢へ炎が絡みつき、御言の身体を宙に浮かした。
「御言!」
「新……来ちゃだめ……! うぅ!」
不自然な動きをしたとはいえ、御言を拘束しているのは炎であることに間違いない。
巻きつかれた箇所から、彼女の服が焼け焦げ、ジュウと何かが焼ける音が聞こえる。
御言の顔にも、苦痛が露わになっていた。
それだけでは終わらない。
炎は一瞬で紫色へと変色し、そのまま御言の全身を呑み込んだ。
「あ……ああああぁぁっ!」
「御言ー!」
燃え盛る火炎の中、御言の悲鳴が響き渡った。




