炎は生き物のように
けたたましいベルが鳴り響く建物内。
その凄まじい音と、耐え難い灼熱感に紬は目を覚ました。
「ん……んん」
体を起こす。目に見えたのは炎に包まれた室内だった。
「うそ……」
先程の爆発に巻き込まれ、頭を強打して気を失っていたらしい。
その間に火の手は入口まで回っていた。
「に、逃げなきゃ……うっ!」
立ち上がろうとすると、頭と左手に激痛が走る。
爆発で左手は火傷を負い、頭からはこめかみを伝って血が流れていることに気がついた。
「は、早く……」
よろよろと出入り口へ向かう。
火は回っているが、幸いギリギリ通れそうな隙間はある。
しかし、気を失う前のことを思い出した紬は、すぐには出口へ向かわなかった。
「そ、そうだ……あの人は!」
ここに来た時に床で気を失っていた男性職員の存在を思い出す。
慌てて辺りを見渡すと、男性職員は先程とほとんど同じ場所に倒れていた。
「良かった……!」
紬はふらつく足で職員のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか! しっかりしてください!」
肩を揺する。
だが、返事はない。
「お願いです、起きて……!」
もう一度強く呼び掛けた直後、頭上で何かが弾ける音がした。
バチンッ――!
「っ!」
火に炙られた照明の一部が床へ落下する。
紬は咄嗟に男性職員を庇うように覆いかぶさる。
ガシャン! と音がして炎の勢いが増した。
「げほっ……げほっ……!」
煙を吸い込み、激しく咳き込む。
視界も少しずつ霞み始めていた。
このままじゃ……二人とも……。
紬は男の右腕を肩に回して起き上がらせる。
もちろん先程同様、紬一人の力ではまともに運べないが、それでも小さくとも確実に出口へ歩を進めた。
早く……早くしないと。
焦りが急激に大きくなっていく。
数歩進むと男性職員の重さに耐え切れず、紬の膝ががくりと沈んだ。
「ぎ……ぎぎぎぎ」
食いしばった歯を擦らせながら体勢を立て直し、一歩、また一歩と進む。
背丈が違うせいで男性職員の膝から下を床に擦らせながらも、紬は着々と出口へ近づいていた。
だがその時。
ドォンッ!!
再び凄まじい爆風が紬を襲った。
「きゃあっ!」
紬の小さな体は吹き飛び、肩に抱いていた職員と共に床へ倒れた。
「うぅ……ううう……」
すぐさま起き上がって、再び職員の肩を抱く。
しかし紬の目には更なる絶望が映った。
「そんな……出口が……」
先程まで通れたはずの出入り口には、崩れ落ちた天井材や燃え盛る木材が折り重なっていた。
これではもう逃げられない。
「どう、しよう……」
そう漏らしながら、紬は職員を床へ寝かせて出口へ近づく。
無理だ。
これじゃ、逃げられない。
右、左、背後。
三百六十度全てに視線を巡らせるが、どこも炎が燃え上がっている。
「げほっ……うっ……」
呼吸をする度に喉が焼けるように痛む。
煙で視界は白く霞み、足元さえまともに見えなくなりつつあった。
炎がごおっ! と燃え上がり、一瞬紬に迫る。
まるで意思を持って、飲み込もうとしているようだ。
そして恐怖のせいか、揺らめく炎の中に恐ろしい化け物の笑みが浮かんでいるようにも見えた。
一つではない。
どこを見ても、いる。
天井を這う炎。壁を舐める炎。床を這い、じわじわと迫ってくる炎。
全てが大きく口を開け、歪んだ笑みを浮かべている。
その光景は紬の心を折るには十分だった。
「……嫌」
受け入れ難い未来が脳裏をよぎる。
このまま煙で気を失い、生きたまま焼かれるのだろうか?
髪が燃え、皮膚が焼け爛れる。
熱で筋肉が縮み、腕も脚も自分の意思とは関係なく強く曲がっていく。
そして炎に晒され続けた骨は水分を失い、縮み、歪んでひび割れる。
最後には顔も、指も、身体の形さえ失って。
誰なのかもわからない、黒く焼け焦げたものだけが残る。
それが自分の最期なのだ。
「嫌だ……嫌だよぉ……嫌だぁ!」
何かがプツンと切れた紬は、迷子の幼子のように声を荒げる。
胸の前で拳を握り、オロオロとしているうちに、すぐ横で天井の一部が崩れる。
いつ下敷きになってもおかしくない。
「死にたくないよぉ……嫌だよぉ……げほっげほっ!」
煙を吸い込み過ぎたせいか、視界がぐらりと揺らぐ。
もう駄目だと、心がもがくことも諦めかけた時、自然とこう呟いた。
「……お兄ちゃん……」
炎はすぐそこまで迫っている。
紬は震えたまま目を瞑り、最愛の兄の顔を思い浮かべた。
これなら焼けても怖くない気がしたからだ。
こんなことになるなら、もっと甘えれば良かった。もっとわがままを言えば良かった。
もっと……愛してもらいたかった。
「お兄ちゃん……ごめんなさい」
そう口にした時だった。
ドンッ! と入口を塞いでいた瓦礫が飛び散り、道が開く。
直後、一人の人影が飛び込んで来るなり、紬を抱きしめた。
「紬っ! 大丈夫か!?」
声を聞かずとも、誰かはすぐにわかった。
煙と建物が焼ける臭いが充満する中で、世界一大好きな香りが紬を包む。
「どうして……?」
呆けた声を出す紬の耳元で、彼は酷く安心した声を出した。
「良かった……紬」
それはベタなドラマのような展開だった。
渦巻く炎の中、瞼の裏にいたはずの新は、確かにそこにいたのだ。




