貴方は私の大好きな優しい貴方のままで
御言に連れられたのは、施設のバルコニーだった。
辺りに人影はなく、冷たい風がひゅうと吹き抜ける。
隅には落ち葉が溜まっていた。
「それで、紬となにがあったの?」
開口一番に御言が問う。
その表情にいつもの陽気さは見えない。
「……ちょっとな」
「ちょっとじゃわからない」
新は言葉に詰まり、俯く。
きっと胸の内の気持ちを伝えない限り、御言は返してくれないだろう。
いや、これは彼女にしか打ち明けられないことだ。
「あのさ御言、来年の夏には俺は皆の前からいなくなるよな?」
「……そうだね。やっぱり嫌だ?」
「いや、それ自体は受け入れている。御言との約束もあるし、なにより死んで終わってたはずのあの未来を変えられるだけで、それ以上文句はない……でもさ」
新はそこで一度言葉を切る。
足元に一枚の枯葉が、風に乗って落ちて来た。
「前とは状況が違うとはいえ、俺が消えれば悲しむ人はいる。その悲しみを少しでも和らげてやれることはなんだろう……って思ってさ」
「だから、まず紬を遠ざけようとして傷つけたの?」
「……結果的には、そういうことになるな」
すぐに言葉は返ってこなかった。
夜風がひゅうっと鳴り、紅葉がさざめく。
その中で御言は俯き、拳を微かに震わせていた。
「……なにが紬のためなの?」
「わかってる。でも、こうでもしないと——」
「ふざけないで!」
言葉を遮り、顔を上げた御言は鋭い剣幕で新を睨みつける。
いつも明るく、穏やかな彼女から初めて向けられた確かな怒りに、新は思わず息を呑んだ。
「そんなのおかしいよ! 紬はあんなに新のことが大好きなのに! 新がいなくなるくらいなら傷ついたって、苦しんだって、それでも一緒にいたいに決まってる! それに最期の時のことは、私に任せてって言ったじゃん!」
「だけど、御言に任せっきりで俺はのうのうと残った時間を過ごすのは……」
「——いいの!」
その言葉と同時に、御言は新の両頬を挟むように、ぺしっと両手を当てた。
「新はいつもの新でいいの。妹思いで、幼馴染にとって大切な存在で……いつも優しくてかっこいい藤宮新のままでいいの」
「でも、来年には俺は――」
「うん。でも、新が二人を傷つけるのは絶対に違う。それじゃ私が新を生き返らせた意味が無い」
「御言……」
「不安なのはわかる。新は悩んでいたのに、気づいてあげられなくてごめん。でも、私を信じて……絶対に上手くいくから」
金色の瞳には、先程までの怒りはもう見えない。
代わりにあるのは、どこか必死にも見える強い意志だった。
「……わかった。迷惑ばかりかけて、ごめん」
視線を下げて小さく答えた新に、御言は優しく微笑んだ。
「謝る必要ないよ。これは全部、私の意思だから。新は私の大好きな優しい新のままでいてね」
「……ありがとう」
御言が、なにを計画しているのかはわからない。
来年の夏、自分がいなくなる。
その事実だけを告げて、叶や紬が簡単に納得するとは到底思えない。
それでも、このまま紬や叶を傷つけて遠ざけるよりも、目の前の神様の言葉を信じた方が大切な人達の未来が良いものになる気がする。
そう思うと、胸の中にすーっと夜風が吹き抜けたように、先程まで渦巻いていた迷いが少しだけ薄れていった。
新はようやく口角を上げる。
それを見た御言も安堵したように、新の頬から手を離した。
「じゃあ紬に謝りに行こ? 私も行くから」
「み、御言も来るのか?」
「なに? 恥ずかしいの?」
御言はニヤリと笑った。
「いや、まぁそれもあるけど……きっと紬は傷つけた分甘えてくるだろうから、人目があると……」
「……やっぱり誰よりも紬をわかってるね、新は」
「まぁ兄妹だしな」
新が頬を掻きながら答えると、御言はクスッと笑う。
だが、その笑顔はすぐに薄らいだ。
「でも、気をつけてね新。前来た時とは違って、森の様子が少しおかしいから」
「おかしい?」
「うん、新は昨日ここに来てから森の精を見た?」
「いや……そういえば見てないな」
「でしょ? 実は私にも見えないの。もしかしたらどこかに隠れているのかも」
「それはなぜ?」
新が問うと、御言は暗闇に広がる林を見た。
「まだなんとも言えないけど……もしかしたら、あの子達が警戒するようなことが起きているのかもしれな——ッ!!」
不意に御言が言葉を止め、バルコニーの出入り口へ振り返った。
「御言?」
新の声にも答えず、御言は出入り口を見つめたまま固まっている。
彼女の金色の瞳は大きく見開かれていた。
「どうして……」
その声には、明らかな動揺が滲んでいた。
「御言、一体なにが——」
新が再び問いかけた、その瞬間だ。
ジリリリリリリリ――ッ!!
けたたましい警報音が施設中に鳴り響き、直後に全館放送が流れた。
『火災が発生しました。火災が発生しました――』




