周りの目も気にせずに
二日目の研修は正直心ここにあらずといった様子で進み、気がつけば日が暮れ、カリキュラムを全て終えた新は宿泊施設へと戻ってきていた。
今は各班がミーティングルームに集まり、それぞれがこの二日間の収穫をレポートにまとめている。
だが、新のペンはほとんど進んでいなかった。
「藤宮、聞いてる?」
「……え?」
「だから、今日二個目の課題の話」
水瀬に声を掛けられ、新はようやく顔を上げた。
「ああ……すみません」
「ねぇ、今日ずっとそんな感じじゃん。なんかあった?」
「別に何もないですよ」
そう答えると、今度は白石が口を開いた。
「もしかして、妹さんとなにかありました?」
「え? どうして?」
「私、寝る部屋が一緒だったのですが、紬さんも朝から様子がおかしいというか……目を真っ赤にして、朝食も食べずに研修が始まるまで部屋に閉じ籠ってましたから」
その言葉が胸を抉った。
新はふと横目で、少し離れた席で同じように研修内容をまとめている紬を見る。
明らかに元気はない。
それがとても辛く、今すぐ声をかけてやりたくなる。
朝はごめん。
冗談だ。
そう言えば、紬はこれ以上ないほど怒るだろうが、それでも少なくともあのように見てて辛い顔はしないだろう。
けれど、その一言だけは言えない。
堪らず新は視界から紬を外す。
冗談ではないからだ。
来年の夏、自分はいなくなる。
御言と交わした約束もある。
何より、ここで誤魔化して安心させれば、ただ紬を傷つけただけで終わってしまう。
これでいい。
何度そう言い聞かせても、その言葉だけはどうしても自分の中に馴染んでくれなかった。
「お、お兄様……」
その声に振り返る。
いつのまにか紬がすぐ傍まで来ていた。
「……どうした?」
ペンを置いて短く問い返すと、紬は新と目を合わせず服の裾をぎゅっと握った。
「あの……この後、お時間ありますか?」
「理由は?」
「ば、売店でクラスの皆にお土産を買っていきたいのですが、よければ一緒に選んでくれませんか?」
絞り出すように言い切った紬はそこで新の目を見た。
今朝のことを引きずっているのだろう。
こちらの機嫌を伺うような視線に、新も本音を飲み込んで違う言葉を口にした。
「紬、自分がなにしにここへ来たのか、忘れたのか?」
「そ、それは……」
「お前ならわかるだろ? この場は他校との交流を深める場、土産を選ぶなら、俺じゃなく他校の生徒を誘うべきだ」
「つ、紬は……お兄様と……」
「せっかくこういう機会があるんだ。俺にばっかり構ってないで、少しくらい他の奴とも仲良くした方がいいんじゃないか?」
「でも……」
「紬……しつこいぞ」
紬の表情が固まる。
まだ周りに赤みを残した瞳が、潤んで滲み始めた。
「どうして……そんな言い方するんですか?」
その言葉に新は答えなかった。
異様な雰囲気に、二人の傍にいる水瀬と白石はただ傍観するだけで口を挟もうとはしない。
その時、紬の瞳から溜まっていた涙が溢れ出る。
袖口で目元を拭いながら、彼女は震える声で続けた。
「紬、何かしましたか? 謝りますから……意地悪しないで……」
「……意地悪なんかしてない。俺は当たり前のことを言ったまでで――」
「それが意地悪だと言ってるのっ!」
紬の叫び声が、ミーティングルームに響く。
周囲にいた生徒達が一斉にこちらを振り返ったが、紬は構わず声を荒げた。
「どうして紬を遠ざけようとするの? 今まで迷惑だと思って過ごしてきたの? 紬なんていなければ良かったの?」
「違う! そうじゃ――」
「だったら!」
思わず口から洩れた本心を紬が遮った。
「なんであんなこと言ったの……? 紬はただ……お兄様と一緒にいたいだけなのに……」
震え、掠れた声に新は言葉に詰まる。
嫌いになんかなっていない。
むしろ大切だからこそ、こうするしかないんだ。
必死に喉から上に上がろうとしている言葉を精一杯抑え込む。
すると、兄からの言葉が返ってこないことに耐え切れなくなったのか、紬は涙を乱暴に拭いながらその場を駆け出し、ミーティングルームの外へ飛び出していった。
「……ほんと、なにがあったの?」
水瀬が口を開く。
白石は不安げに新を見つめていた。
「……皆さん、お騒がせしました。続きをやりましょう」
新がペンを握り、作成途中のレポートに目を戻した時だった。
「新っ!」
入り口から誰かが鋭く新を呼ぶ。
再び顔を上げる。
そこには眉間に皺を寄せた御言がいた。




