妹襲来
「まったく、金も知らないなんて……」
放課後。
帰り支度を終えた新は、なぜか御言に連れられて廊下を歩いていた。
「神の世界では紙切れでなにかを取引することはないの」
「だからって……箱入り娘にもほどがあるだろ」
呆れながらも、御言の隣に並んで歩く。
通り過ぎる他の生徒達が御言を目で追う。転校初日だというのに、彼女は既に学校中の注目の的らしい。
「それで、俺をどこに連れてく気だ?」
「どうして私がいきなりこの学校の生徒になれたか、気にならない?」
「たしかに」
御言は「でしょ?」と言って、廊下の先を指さした。
そこには、他とは少し違う木製の扉がある。
派手すぎるわけではないが、磨かれた焦げ茶の木目と、横に掛けられたプレートの文字が金色に光っていた。
「理事長室……」
「ここの理事長の家は私達と密接な関係にあるの」
そう言って御言は理事長室の扉を、ノックもせず開いた。
「朱美ちゃーん! 来たよー!」
理事長室の中は、新の想像とは少し違った。
赤の絨毯や、壁一面の本棚。素人目でもわかる値打ち物の美術品は無い。
派手さはないが、上品な雰囲気は確かにある。
向かい合うように置かれた来客用のソファ二つと、その間のテーブルは明らかに一般の物よりも光沢があって、高級感があった。
壁に飾られた瑞穂学園の創立時の写真。
棚に並ぶ賞状やトロフィー、そして古びた狐の置物。
そんな空間で窓から差す西日を浴びながら、校庭を眺めていた上品なスーツ姿の女性が新達に振り向いた。
「これはこれは御言様、ようこそいらっしゃいました」
カールのかかった綺麗な茶髪を腰のあたりで揺らし、眼鏡をかけた女性は御言へ一礼する。
新が最初に抱いた印象は「若い」だ。
理事長という人は基本、もっと年配の人物が務めているものだと勝手に思っていた。
けれど、目の前の女性はどう見ても三十代前半――いや、下手をすれば二十代後半にも見える。
「あなたが理事長?」
思わず漏れた新の声に、女性はくすりと笑った。
「えぇ、稲元朱美。この瑞穂学園の理事長をしてるわ」
「二年一組、藤宮新です」
新が慌てて頭を下げると、朱美は柔らかく目を細めた。
「ご丁寧にありがとう。お話は御言様から伺ってるわ」
「御言様……」
新は思わず隣を見る。
「お前、さっき朱美ちゃんって呼んでたよな?」
「朱美ちゃんは朱美ちゃんだもの」
「どういった関係が?」
その問いに答えたのは、口元に手を添えて小さく笑った朱美だった。
「稲元家は代々、御言様の一族と縁を結んできたの。この学園も、その縁の上に成り立っている場所なのよ」
朱美がそう言うと、なぜか隣の御言が胸を張った。
「朱美ちゃんのおかげで、この学校の生徒になれたってわけ」
「御言様がいらっしゃった時は本当に驚きました。今年の生徒名簿にコーヒーをこぼしてしまいましたわ」
朱美の言葉に御言はコンコンと笑った。
「なにかあったら、朱美ちゃんを頼るといいわ。新の行く末も事情も全部知ってるから」
「事情って……あんな話を信じてくれたのか?」
朱美は「もちろん」と言って、理事長の席に腰を下ろした。
「ほかならぬ神、御言様のお言葉ですもの、疑うはずがありません。あなたが御言様の婿となること、私は全力で応援させていただきます」
柔らかな笑みのまま、朱美の目がすっと扉の方へ向く。
「じゃあこの話は、一旦ここまでにしましょうか」
朱美がそう言った直後、出入口の扉がこんこんとノックされた。
「どうぞ」
朱美が返すと、扉が開く。
姿を見せたのは、紬だった。
「失礼します。一年三組、藤宮紬です」
「あら藤宮さん、今日の新入生代表の挨拶、お見事でした」
「ありがとうございます理事長」
紬は綺麗な所作で頭を下げた。
「紬? どうしてここに?」
新が問いかけると、紬は視線を理事長へ向けたまま答えた。
「学校では聞かないような噂を聞きまして……なにやら転校生の方が、堂々と婚約発表をなさったそうじゃないですか」
次の瞬間、紬の瞳がぐるんと新へ向けられた。
「お兄様……ご存知ありませんか? なんの偶然か、その相手は私と同じ名字で二年生だそうです」
あっこれ、まずいやつだ。
新の背筋に悪寒が走る。
そりゃそうだ。婚約のことを紬が黙っているはずない。
だがここで何を言っても、言葉で切り捨てられて終わり。
今は紬から目を逸らすことで精一杯だった。
「稲荷坂先輩……でしたよね?」
紬の標的は新から御言に変わる。
御言は「えぇ」と微かに微笑んだ。
「こんにちは紬。驚かせてごめんなさいね、急な事だったの」
「話は後日、伺わせてください。申し訳ありませんが、お兄様は私と約束があるので今日は失礼いたします」
品良く一礼をした紬は、再び新に笑顔を向けた。
「では行きましょうか……お兄様」
「あ、あぁ……理事長、御言、俺はここで……」
そう言った新に御言が抱きついた。
「新、また明日ね」
「馬鹿っ! 抱きつくな!」
困惑していると、すぐ側でギリッと歯が軋むような凄まじい音がした。




