遠い秋空
交流研修会の初日は、新が五月に行った宿泊研修と同じ森の中に点在するチェックポイントを三人一組で巡り、そこに用意された課題をこなしながら、最後の目的地を目指すというものだった。
「チェックポイントは赤い屋根……ここだな」
次のチェックポイントである建物が目に入ると、新は地図と建物を交互に見る。
建物の前には簡易的なカウンターが用意されているが、人は見えない。
「なぁ藤宮~私疲れた……おんぶして~」
ぐったりした声でぼやいた水瀬が、突如背後から新の腕に抱きついた。
「み、水瀬先輩! いちいちくっつかないでくださいよ……」
「なーに? 照れちゃって」
そう言いながら、水瀬は離れるどころかさらに身体を寄せてくる。肩が触れ、茶色い髪が新の頬を掠めた。
「近いですよ」
「ふふ、可愛いなぁ藤宮は」
この場に紬がいなくて本当に良かった。
新が心の底からそう思っていると、不意に反対側から声がかけられた。
「藤宮先輩」
振り向いた新の目の前に、白石が小さな何かを差し出していた。
「これ、どうぞ」
白石の指先に摘ままれていたのは、個包装された塩分タブレットだった。
「塩分タブレット?」
「はい。秋とはいっても、熱中症にはご注意を」
「ああ、ありがとう」
新が受け取ろうと手を伸ばす。
しかし白石は差し出した手を少し引いた。
「開けますね」
白石は包装を破ると、中から取り出したタブレットをそのまま新の口元へ運んだ。
「はい、あーん」
「し、白石さん?」
「どうしたのですか? 早く口を開けてください」
「いや、それくらい自分で……」
「はやくしてください」
白石は一歩、新との距離を詰める。
差し出された指先が唇のすぐそばまで迫り、押し切られるように新が口を開く。
その口へタブレットを放り込まれた。
「あ、ありがとう……」
「いえいえ、あ! 建物からスタッフが出て来たみたいですよ! 私、課題を受け取ってきますね!」
白石が小走りで受付に向かって行く。
すると、水瀬が苦笑いを浮かべた。
「ごめんね~凜って絵に描いたような箱入り娘だからさ、異性との距離感もいまいち分かってないんだよね」
「先輩、人のこと言えますか?」
「私はわかっててやってるもん」
悪びれる様子すらなく、水瀬は組んだ腕にさらに体重を預け、柔らかな感触まで押しつけてくる。
これ以上は流石に看過できないと、新は眉をひそめた。
「一応言っときますけど、俺は婚約して――」
「藤宮先輩!」
言い終えるより先に、少し離れた場所から白石の声が飛んできた。
「白石、どうした?」
「あの……訳は知りませんが、チェックポイントのスタッフが藤宮先輩を呼んで来いと……」
「俺を?」
新は不意にチェックポイントのカウンターを見る。
先程まで誰もいなかった場所に二人の人影があった。
「……は?」
新は言葉を失う。
そこには藍色の髪と白銀の髪が揺れていた。
「か、叶……御言?」
スタッフと書かれたビブスを着た二人は、どちらも笑顔を浮かべつつ額に筋を浮かべている。
そのうち、まずは叶が口を開いた。
「随分と楽しそうだね、新」
「違っ……ていうか、どうしてここに!?」
その問いには御言が答えた。
「ボランティアに来たんだよ」
そう言って、御言の視線が新の腕へ落ちる。
正確には、そこへ絡みついたままの水瀬の腕へ。
次の瞬間、彼女から笑顔が消え、琥珀色の瞳が細められた。
「私という存在がいながら、良い度胸ね」
「ち、違うぞ! 俺は何度もやめてくれって……」
新は慌てて水瀬を引き剥がす。
傍から見れば、随分と見苦しい光景だったに違いない。
「ふ、二人とも……来るなら言ってくれればよかったのに……」
「紬に口止めされてたんだもん」
「紬が……?」
あいつが言ってた「手は打ってある」とは、このことか……。
改めて妹の手の回しように感心すら覚えていると、再び叶が口を開いた。
「紬ちゃんの危惧してた通りだった……他校の子にちやほやされて、随分楽しそうだね新」
「ち、違う! 叶、話を聞いてくれ!」
「上級生にはベタベタされて、後輩にはあーんってされて、何を話すのかな?」
笑顔を張り付けたまま、叶の眉間に皺が寄った。
御言は持っていたボールペンをへし折る。
そして、二人は顔を見合わせて頷き合った。
「紬ちゃんに報告だね、御言」
「だね、女の子に抱き付かれて鼻の下伸ばしてたって伝えなきゃ」
「待て! 本当に待ってください!」
新の必死な制止に、叶が「どうして?」と首を傾げる。次に御言が両手をパンと合わせた。
「新、さっきね、山芋やきのこがたくさん採れたんだって……煮る、焼く、擦り下ろす……どれがいいかな?」
「はは……ははは……」
……俺、今日生きて帰れるかな……。
澄み切った秋空の下、新は一人だけ遠い目をした。




