誤算
「どういうことだよ紬」
帰宅して早々、新は紬を問い詰める。
振り返った紬はわざとらしく首を傾げた。
「なにがですか?」
「とぼけるな。どうして知らないうちに俺も行くことになってるんだよ?」
クスッと笑った紬は両手を合わせた。
「手段があるのに、私がお兄様を置いて家を空けるわけないじゃないですか」
けろっと言い切った妹に、新は大きなため息をついた。
「お、お前なぁ……一言くらい言ってくれても……」
「ふふ、驚く顔が見たかったのでつい」
紬はそう言って、新のそばに歩み寄る。
そして両手を広げて抱きついた。
「つ、紬? いきなりどうしたんだよ?」
「あら、妹が兄に抱きつくのはおかしいですか?」
「そういう問題じゃない。一応紬は高校生なんだから、年相応の……」
「まぁ! ではお兄様は、紬が年相応に反抗期を迎えて、『お兄様なんて大嫌いです』とか、『こっち見ないで』とか言って、口も利かなくなってもよろしいのですか?」
「なんでそうなるんだよ?」
「ふふ、まぁ私がお兄様にそんな態度をとることなんて、ありえませんけど」
紬は新から離れてキッチンに向かうと、慣れた手つきでケトルに水を注いでスイッチを入れた。
「お兄様、お茶を淹れますのでソファに座って待っていてください」
言われるがまま、新はソファに腰を下ろす。
すると、テーブルの上には交流研修の資料が置かれている。
その資料を手に取った新は内容に目を通し始めた。
「そもそも、場所はどこなんだ?」
「安心してください。研修先はお兄様が宿泊研修で訪れた市内の施設です。ですので藤宮家のしきたりにも触れません」
新は「そうか」と返して、再び資料に目を落とす。
研修期間は二泊三日。
参加するのは瑞穂学園を含めた三校で、それぞれ各学年から一名ずつ選出される。
当日は学校や学年を混ぜた班に分かれ、共同で様々な研修を行うらしい。
こうなったからには、学校の代表として無礼がないように取り組むべきだろう。
「ま、交流の輪を広げて損はないな。俺も楽しみになってきた」
「あぁっ!」
突如キッチンの紬が叫ぶ。
そして両手をキッチン台について愕然とした様子で俯いた。
「ど、どうした紬!?」
「私としたことが……なんたる失態を……」
「失態?」
紬はキッチンから飛び出すと、新の両手を握った。
「どどど、どうしましょうお兄様!」
「だからどうしたんだよ!?」
「お、お兄様が交流研修会に参加すれば、他校の生徒とも繋がりができますよね?」
「当たり前だろ。それが目的なんだから」
「それが問題なのです!」
普段は凛としていて何事にも動じない紬だが、この時は焦りを露わにし、新へ顔をぐっと近づけた。
「他校の女子生徒がお兄様の魅力に気づいてしまいます!」
「……は?」
予想だにしない言葉に、間の抜けた声が漏れた。
「俺の魅力?」
「はい! この際ですからはっきりさせておきましょう! お兄様は、ご自分がどれほど無自覚に異性を惹きつけているのか、まるで理解しておりません!」
「いやいや、俺が? 異性を惹きつける?」
「その反応が何よりの証拠です!」
紬は握った新の両手に、ぎゅっと力を込めた。
「誰に対しても分け隔てなく優しくして、困っている人を見れば放っておけない。頼られれば嫌な顔ひとつせず手を貸して、そのくせ相手から好意を向けられても全然気づかない!」
「最後のは知らないけど……それくらい普通じゃないか?」
「普通ではありません! いいですか、お兄様。例えば研修中、他校の女子生徒が重い荷物を持っていたらどうします?」
「そりゃ、手伝うけど」
「作業についていけず困っていたら?」
「教えるだろ」
「体調が悪そうだったら?」
「声をかける」
「あぁぁぁぁっ!」
「うわっ! なんだよ!」
紬は新の手を離し、頭を抱えた。
「駄目です……駄目です駄目です!」
「なにが駄目なんだよ? どれも当然のことだろ?」
「その当然のことを、世界一魅力的なお兄様がしてしまっては駄目なのです!」
抱えた頭をぶんぶんと横に振る紬に、新は溜め息をついた。
「お前なぁ……前から思ってたけど俺を買い被りすぎだぞ?」
「なにを言ってるのですか! お兄様以上に魅力的な男性などこの世にいません! 顔立ちは凛々しく、かっこいい! 勉学は優秀! 運動も人柄も文句のつけようがない!」
「やめてくれ……なんか恥ずかしくなってきた」
「まだ言えますよ! お兄様の長所ならあと一兆個は言えますとも!」
変なスイッチが入った妹を、新が落ち着かせたのは日がとうに暮れた後だった。




