愛と感謝を込めて
奉納舞が終わり、新は御言に連れられ神域の社に戻ってきた。
着くや否や、御言にここで待っててと社を正面にした場所にござを敷かれ、腰を下ろしながら夜空に浮かぶ満月を見上げる。
先程まで花火で埋め尽くされていた夜空とは打って変わって、静かな月明かりを浴びていると背後から声がかけられた。
「隣、いいかい?」
新が振り返ると、玉藻がゆっくりと歩み寄ってきていた。
「玉藻さん、もちろんです」
新がそう返すと、玉藻は着物の裾を片手で軽く押さえて流れるような仕草で新の隣へ腰を下ろす。
すらりと伸びた脚を斜めに流して僅かに身を傾けると、煙管を取り出した。
「あの玉藻さん」
「なんだい?」
「これからなにが始まるんですか?」
「……まぁ始まればすぐにわかるさ」
玉藻は煙管から煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「新坊、これから始まるものをよく見とくんだよ」
「新坊?」
「九尾である私の誘いを断った上に、この呼び方も気に入らないのかい?」
「い、いえ! そういうわけじゃ!」
「冗談さ……さてと、準備が整ったみたいだね」
玉藻の言葉とほぼ同時に、正面の社の戸が静かに開く。
中から姿を現したのは楽器を手にした三人の演者だった。全員が白い狐の面で顔を隠し、横笛や神楽鈴を携え、中には太鼓を抱えた者もいる。
誰一人言葉を発することなく、それぞれが社の脇へ進み、静かに腰を下ろした。
「た、玉藻さん。あの人達は?」
「まぁ見てな」
面を被った者全員が腰を下ろし終えると、神楽鈴がしゃらんと鳴る。
それが合図の様に、社の前に突如青白い炎が灯った。
青白い炎はぼっ、ぼっと次々に増える。
そして九つ目が灯ると、一斉に大きく燃え上がった。
「な、なにが起きるんだ?」
もちろん、新の常識では考えられないことが起きることだけはわかっている。
すると大きく燃え上がった炎は全て同時にぼんっと弾け、中から人影が現れた。
「……御言?」
目に映ったのは、どこか既視感のある立ち位置で並ぶ御言を含めた九人の姉妹達だった。
全員が狐の耳と尾を現し、手には金色の扇を携え、月光を溶かし込んだような淡い銀色の装束に身を包んでいる。袖や裾には薄紫と金の文様が走り、揺れるたびに青白い狐火の光を柔らかく返していた。
「新、お待たせ」
「御言、その格好は?」
「ふふ……見てて、実に七十年振りの本当の舞を」
「舞? ……あっ!」
そこで新は既視感の正体に気づく。
御言達の並びは、つい先程見た奉納舞とまったく同じだった。
「舞って……奉納舞のことか!」
「正解! あの舞はね、実は遥か昔に私達一族が舞っていたものなの。それが人の世に伝わって、少しずつ形を変えながら今の奉納舞になったんだよ」
「知らなかった……」
「ふふ、じゃあ始めるね」
御言がそう告げると、九人は示し合わせたように一斉に構えを取った。
その動きに合わせるように、社の脇に控えていた演奏者達も楽器を構える。
横笛が口元へ運ばれ、太鼓の撥を持つ手が静かに上がる。
そして神楽鈴がしゃらんと一度鳴った。
御言が最初の一歩を踏み出し、舞が始まる。
他の姉妹達も続く。
扇を寄せては天に掲げ、流れる川のように滑らか。
九人の動きは寸分違わず重なり、銀色の袖が月明かりの下で一斉に揺れる。
新が知っている奉納舞と同じ動きだ。
だが、そう思ったのも束の間だった。
笛の音と太鼓の音が強くなる。
このタイミングでこのような演出は奉納舞にはない。
御言の足運びが僅かに速まり、それに合わせるように姉妹達の動きも次第に大きくなっていった。
袖を大きく翻し、地を踏み、時には軽やかに跳ねる。
先程見た奉納舞よりもずっと自由で、どこか荒々しい。
その時、御言が指先に青白い狐火を灯す。
そのまま舞を止めることなく、その狐火を指先でくるりと転がす。
狐火は掌からふわりと離れ、御言の周囲を楽しげに飛び回り始めた。
それを追うように、他の姉妹達の周りにも次々と狐火が生まれていく。
差し出された手へ飛び込むもの。
揺れる袖の下を潜り抜けるもの。
大きく揺れる尾の先を追いかけるもの。
まるで舞っているというより、狐火と戯れているようだった。
次に天華と紫苑が手を合わせ、夜空へ大きな狐火を放つ。
一拍空けて、小鈴と緋依と月乃が小さな狐火を何発も放つ。
次に千代、鈴音、灯が腕を大きく振り上げる。
それを合図に、辺りを飛び回っていた狐火が一斉に夜空へ駆け上がった。
全てが夜空に溶けて消えると、御言が舞いながら夜空へ向かって指先を伸ばす。
そして、ぱちんと指を鳴らした。
――ドォン!
腹の底まで震わせる轟音と共に、夜空に巨大な青白い花が咲いた。
「うわっ!?」
新が思わず身を竦ませる。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
ドンッ! ドドンッ!
青白い大輪の間を埋めるように、赤、緑、紫に金の光が立て続けに咲き乱れる。
一見すれば奉納舞の見せ場でもある連続打ち上げ花火。
だが圧倒的に違う。
咲いた全ての花は夜空に溶けて消えることなく、その全てがまるで流星群のように夜空に流れ続ける。
先程見た叶と紬達の奉納舞は確かに新の心を打った。
けれど、御言達の舞はそれとはまるで違う。
整えられ、磨き上げられた美しさではない。
月も狐火も、夜空さえも巻き込みながら舞うその姿は……もっと奔放で、もっと鮮烈で、それでいて儚く美しかった。
「すげぇ……」
呆けた声を新が漏らすと、となりで玉藻が口を開いた。
「この舞はね、あんたの世界じゃ私達への感謝を示すものだが、ほんとは違う」
玉藻は娘達の舞を見ながら煙管を咥え、一度煙を吐き出してから続けた。
「あれは私達が愛と感謝を伝える舞さ」
「愛と感謝?」
「私達は神。その力は、人から向けられる祈りや敬いによって支えられている」
玉藻は煙管を指先で弄びながら夜空を見上げた。
「人との距離が離れた今じゃ、私達は人知れず暮らすだけの存在になり、この舞も本当の意味を失って、形だけが人の世に残っちまったけどね」
その目は少し寂しげに見えた。
新は再び舞へ視線を戻す。
降り注ぐ光の中、御言達は楽しそうに舞っていた。
そんな時、御言と目が合う。
なぜか、その瞬間だけがやけにゆっくりと流れたように感じた。
御言は舞いながら新に笑みを浮かべた。
夜空に咲き続ける花のような、満面の笑みを。
――綺麗だ。
そう、どうしようもなく綺麗だったのだ。




