浅はかな神
倉庫に新を置いた月乃が向かったのは、人間界の稲守祭だった。
神々の稲守祭とは、また違う雰囲気が月乃を包む。
賑わい方、匂い、歩く人々の無邪気さ。
どちらが良いと比べるつもりはないが、不思議と月乃が入った新の表情を柔らかくした。
「さてと」
稲荷ヶ丘神社の本殿へ続く石段を上りながら、月乃は夜空を見上げる。周りが彩っているせいで、星はあまり見えない。
「何をしようかしら」
新には堂々と言ってみたものの、この身体を乗っ取って彼の人としての格を下げるなど、ついさっき思いついたことだ。
入念な下準備があったわけではない。
「御言姉ちゃんが、嫌いな人……」
答えはすぐに出た。
御言姉ちゃんは……他人の努力を蔑む人が嫌いだったはず。
心無い言葉の刃、芯の通らない性格、暴力。
嫌悪すべき素行とは、人でも神でもあまり変わらない。
その中でも御言は誰かが積み重ねた努力を笑い、踏みにじるような行為を何よりも嫌っていた。
「だとしたら……どうすればいいんだろう?」
誰に言うわけでもなく、月乃は呟きながら石段の最後の一段に足をつく。
その時、ふと本殿前の光景が目に入った。
「あっ」
その先には二人の巫女がいた。
これから奉納舞を控えているのか、白衣に緋袴を身に纏いながら、参拝客の案内を手伝っている。
一人は長い藍色の髪を結い上げた少女。もう一人は黒髪の品のある佇まいの少女だ。
どちらも神の世界でも目を見張るほどの美女だ。
御言から聞いたところによると、奉納舞は出たいと言って出られるものではないらしい。
募った参加者の中から、舞の完成度や立ち振る舞い、所作の美しさなどを見極め、選ばれた者だけが本番の舞台に立つことを許される。
つまり、この二人もそれ相応の努力を重ねてきたということだ。
「ちょうどいいじゃない」
口元をにやりと吊り上げた月乃は二人の巫女のもとへ歩き出した。
「ねぇ、そこの二人」
声を掛けられ、巫女達が振り返る。
そして同時に表情を明るくさせた。
「新、どうしたの?」
「お兄様、もう少しで奉納舞ですよ。私の晴れ舞台、絶対に見に来てくださいね」
「……ん?」
予想外の反応に、月乃は一瞬固まった。
まずい、知り合いだったか。
月乃は一瞬たじろいだが、悟られないように表情を柔らかくしたまま二人を観察した。
青髪との関係はよくわからないけど、黒髪はお兄様と呼んでいるんだから妹ね。
月乃は妹の肩に腕を回した。
「よぉ、自慢の妹よ。今日は一段と可愛いな」
「へ?」
妹は目を見開く。
しかし月乃もすぐに次の言葉を発せなかった。
「お兄様? どうしてしまったのですか?」
「なぁ可愛い妹よ。奉納舞なんて出る必要ないと思うぞ」
「……お、お兄様?」
「所詮、過去の風習をなぞって踊るだけだろ? そんなもののために何日も練習するなんて、時間の無駄じゃないか? 馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
月乃が嫌味ったらしく鼻で笑うと、妹の表情からすっと柔らかさが消える。
肩に回された腕をはらい、鋭い目つきで月乃を睨みつけた。
「何者なの? お前は?」
「……は?」
なに? この子、私が藤宮新じゃないってバレた!?
「な、何言ってるんだよ。俺は――」
「黙れ」
低く、小さく、それでいて鋭い声に、神である月乃が怯む。
嫌悪を眉間の皺に現した妹は続けた。
「私は幼い頃から、この衣装に袖を通すことに憧れを抱いていた。お兄様も『紬なら綺麗だろうな』と楽しみにしててくれた」
先程の丁寧な語り口はどこにも無かった。
「少しでも騙された自分が情けない。『時間の無駄』ですって? お兄様の姿で、よくもそんな口を……お兄様を穢したな……」
拳を握り、今にも襲いかかってきそうな妹の傍で青髪の巫女が一歩前に出た。
「あなたは何者? 本当の新はどこ! もし新に何かしてたら……許さないから……」
「なんで!? どう見たって藤宮新……あっ!」
墓穴を掘った月乃は慌てて口を押さえる。
しかし時すでに遅し。
「じゃあ答えられるよね! 私達二人の名前は?」
「そんなこと聞かれなくても……」
当然、知らない。
もちろんその無言の間が答えとなる。
青髪と妹が月乃に詰め寄った。
「「今すぐ私の大切な人を返して」」
「……失礼しまーす!」
月乃は勢いよく踵を返した。
「あっ、待ちなさい!」
「待って!」
「誰が待つもんですか!」
月乃は二人に背を向けて、全力で駆け出した。




