目の前には自分が
――暗い。
どれほど意識を失っていたのか、新にはわからなかった。
「……ん」
ゆっくりと視界が開いていく。
最初に見えたのは、古びた木の床だった。
「……あれ?」
妙に近い。
いや、近いどころではない。目の前いっぱいに木目が広がっている。
「俺、倒れたのか……?」
起き上がろうとして、新は違和感に気づく。
身体が軽い。
それどころか、手足の感覚がおかしい。
「……は?」
視線を下げて見えたのは、自分の手ではなかった。
短く丸い腕。茶色くくすんだ布地。先端には、小さな縫い目が走っている。
「な、なんだこれ!?」
慌てて声を上げる。
すると、そんな混乱を忘れてしまうほどの光景が目の前にあった。
「成功」
その声は月乃のものではない。
だが、聞いたことがないわけではない。
ずっと一番近くで聞こえていたのに、少し新鮮に思える声だった。
「……はぁ!?」
目の前には自分が立っていた。
黒い甚平。見慣れた髪。見慣れた顔。
その全てが紛れもなく藤宮新そのものだ。
「ちゃんと成功したみたいね」
目の前の自分が、薄い笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「ちょ、ちょっと待て! 待て待て待て!」
新は再び視線を下ろす。
そこで、今の身体は意識を失う前に持っていた狐のぬいぐるみだと気づいた。
「なんで俺が目の前に!? それにこの身体は!?」
「私の秘術であんたの魂をそのぬいぐるみに移したの。それで空っぽになった肉体に私が入ったってわけ」
声も顔も、間違いなく自分のもの。
けれど、その口調と得意げな表情には覚えがある。
「……お前、月乃か?」
「正解」
月乃は新の顔で、にっと笑った。
「どう? 凄いでしょ」
「凄いとかじゃなくて! 今すぐ元に戻せ!」
「嫌よ」
月乃は腕を組んでぷいっと顔を背けた。
「まだ目的を果たしてないもの」
「目的?」
月乃は、自分が乗っ取った新の身体を指差した。
「この身体を使って、あんたが悪い奴だって広めてやるの」
「どうしてそんなことを?」
「決まってるでしょ? あんたと御言姉ちゃんの婚約を無かったことにするの」
そう言うと月乃は、新の小さな頭を掴んで持ち上げた。
「わっ! 離せ!」
「私はあんたなんか絶対認めない。でも婚約を破棄させるには、御言姉ちゃんの方から契約を打ち切るしかない。あんたがいい加減な奴だってわかれば、御言姉ちゃんも考えを変えるでしょ?」
「待て! なんでこんな無理やり!」
「こうでもしないと、御言姉ちゃんが可哀想だもん」
新の頭を掴む手に、僅かに力が籠もった。
「あんた、御言姉ちゃんのこと好きじゃないでしょ」
「……え?」
月乃は苛立ったように新を睨みつける。
「御言姉ちゃんはあんたのことが大好きなの。あんたはどうなの?」
「それは……」
月乃は唇を噛んだ。
「そんなの、ずるいじゃん。御言姉ちゃんがどんな気持ちであんたの隣にいるのかも知らないくせに……」
月乃は新を倉庫に置いてあった縄で柱に縛り付け、出口へ向かった。
「おい! 離せ!」
新の言葉を背中で受けた月乃は扉の前で振り返った。
「御言姉ちゃんは、私が助けるの!」
そして月乃は、新を残して倉庫を後にした。




