御言の家族
二人はそれぞれに覚悟を決め、御言の家族が待つ場所へ向かった。
祭りの中心から離れるにつれ、辺りを満たしていた笛や太鼓の音が少しずつ遠ざかっていく。
やがて二人の前に現れたのは、長い石段だった。
「この上?」
「うん」
御言が短く返すと、二人の間には暫しの沈黙が訪れる。
虫の声と、木々の葉が擦れる音だけが耳に届いた。
「……ねぇ新」
「ん?」
「前も言ったけど、私の家族は新をあまりよく思ってない。きっと嫌味を言われることもあるけど、気にしないでね」
「……ありがと御言。まぁ俺は俺のまま、誠意を見せるだけさ」
新がそう言うと、御言の表情が僅かに綻ぶ。
そして石段の上を見上げた。
「じゃあ、行こっか」
御言の言葉の直後、二人は共に石段を一段ずつ上がる。
そして最後の一段を上り切った瞬間、新は息を呑んだ。
「すご……」
そこには社が建っていた。
灯りは最低限の篝火しかないのに、夜空を覆わんばかりの大きな満月の光が境内を十分過ぎるほど照らしている。
その中で、新の視線が留まったのは社の屋根の上で月光を浴びながら、気怠げに横たわる女だ。
片肘をついて身体を起こし、もう片方の手には細長い煙管を携えていた。
しかし、人影はそれだけではない。
社の縁側では二人の女性が言葉を交わし、少し離れた場所では酒の入った盃を傾けている者もいる。
境内の隅では、まだ幼い少女達が鞠を追いかけて遊んでいる。
すると、毬を追いかけていた髪の毛を左右で結んだ少女が御言に気づいた。
「あっ! 御言お姉ちゃん!」
少女は鞠を放り出すと、満面の笑みを浮かべてこちらへ駆け寄る。
御言は膝を曲げて、少女を迎えるように両手を広げた。
「千代〜!」
「御言お姉ちゃーん!」
少女は勢いそのまま御言の胸へ飛び込む。
続いて共に遊んでいた御言を小さくしたような少女と、狐の耳と尾を出したままの少女も続くように御言に駆け寄り抱き着いた。
「お姉ちゃん! 久しぶり!」
「会いたかったよー!」
「鈴音、灯〜!」
御言も飛びついてきた少女達を嬉しそうに抱き寄せた。
「三人とも、元気だった?」
「元気元気!」
「見てお姉ちゃん! 鈴音、耳と尻尾を隠せるようになったの!」
「私は毬を三十回つけたよ!」
「すごいすごい! 皆ちゃんと成長してるねぇ」
御言は嬉しそうに三人の頭を順番に撫でていく。
そこに不思議とよく通る声が割り込んだ。
「御言」
呼ばれた御言は社の屋根の上を見上げた。
「お母さん」
御言の言葉に、新も屋根の上へ視線を移す。
先程目に留まった女性が、御言と同じ金色の瞳で新達を見下ろしていた。
膝下まで伸びているであろう銀の髪が屋根に流れ、身に纏うのは花魁を思わせる絢爛な着物。
幾重にも重なった襟元から白い肌を覗かせ、手にした煙管がとても似合う美しい女性だ。
御言が母と呼んだ彼女は煙管を口元へ運ぶと、ゆっくりと煙を吐き出す。
白い煙が月明かりに照らされながら、夜空へ溶けていった。
「御言、それが例の子かい?」
「そうだよ。藤宮新」
御言に紹介されると、新は一歩前へ出て頭を下げた。
「初めまして、藤宮新と申します」
「おや? 茂坊の孫にしては随分礼儀正しいじゃないか」
「茂坊?」
もちろん、新にそんな名前の知り合いはいない。
そんな新の心を見透かしたように、女は煙管を片手にくすりと笑った。
「藤宮茂。お前の祖父さんだよ」
「じいちゃんを知ってるんですか?」
「知ってるも何も、まだ洟垂れ小僧だった頃にここへ来たからね」
「じいちゃんが!?」
「あぁ、生意気なクソ餓鬼だったよ」
その言葉が新には意外に思えた。
自分の知る祖父は、いつも優しく穏やかな人間だったからだ。
「まぁ、茂坊の話はまた今度にするとして――」
女は煙管を口元から離すと、ふと思い出したように身体を起こし、屋根の上に座る体勢をとり足を組んだ。
「こっちはまだちゃんと紹介してなかったねぇ。お前達、こっちに来なさい」
御言の母が声を掛けると、境内にいた者達が一斉に動き出した。
まず、御言のそばにいた少女達が元気の良い返事と共に駆け出す。
次に話していた二人の女性、少し離れた場所で盃を傾けていた者も次々と腰を上げる。
さらに社の奥から二人の女性が姿を現し、合わせて八人が新達の前へと集まった。
「左から長女の天華、次女の紫苑、御言は三女」
母の言葉にまず、腰まで銀髪を伸ばした天華と頭の後ろで銀髪を束ねた紫苑が浅く頭を下げる。
長女と次女なだけあって、大人びた雰囲気だ。
「その隣が四女の小鈴、五女の緋依、六女の月乃。それから七女の千代、八女の鈴音、末っ子の灯さ」
名前を呼ばれると、小鈴は徳利から盃に酒を注いでぐっと飲み干す。
続いて緋依は着物の袖口で口元を隠し、不快なものでも目にしたかのように眉を僅かに寄せる。
六女の月乃は腕を組み、むすっと頬を膨らませたまま新から視線を逸らしていた。
その隣では、千代、鈴音、灯の末っ子三人が、姉達とは対照的に満面の笑みを浮かべながら新へ手を振っていた。
「えっと……皆さん、よろしくお願いします」
新が改めて頭を下げると、姉妹の中から長女の天華がゆっくりと歩み寄ってきた。
「初めまして、藤宮新君。天華よ」
「天華さん、初めま——」
言葉の途中で天華は人差し指で新の唇を押さえた。
「御託は結構」
天華はそう言って、唇に当てた指をゆっくりと離す。
御言と同じ金色の瞳が新の顔をじっと映していた。
「なるほど、確かに綺麗な魂を持ってるわね」
天華は新の周りをゆっくりと一周しながら、まるで観察するかのように新を眺めた。
「でも、御言の許婚にしては物足りなさすぎるわ」
再び新の正面に立った天華に御言が眉を寄せた。
「天華お姉ちゃん」
「事実を言ったまでよ。可愛い可愛い妹が生涯を預ける相手だもの。姉として気になるのは当然でしょう?」
「……お姉ちゃん」
御言の眼が細められる。
すると、そこに屋根の上にいた彼女達の母親が口を挟んだ。
「天華、そのくらいにしておきな」
母の言葉に天華は静かに、他の姉妹達のもとへ戻ると、母親は再び口を開いた。
「さて、娘達ばかり紹介して、肝心のあたしがまだだったね」
母親は再び煙管を口元へ運び、短く煙を吐き出してから続けた。
「玉藻と呼びな。よろしくね」
「よろしくお願いします。玉藻さん」
「そう硬くなさんな。こっちの祭には人間のあんたにとっちゃ珍しいもんいっぱいある。楽しんでいきな」
「ありがとうございます」
新がそう返すと、玉藻は御言へ視線を移した。
「御言、気づいているとは思うがその子から目を離すんじゃないよ」
「うん、わかってる。それにしても、こんなこといつぶり?」
「さあねぇ」
二人の会話に新が思わず口を挟んだ。
「御言、何の話だ?」
その問いに答えたのは、御言ではなく玉藻だった。
「鬼さ」
「……鬼?」
「あぁ。ここ最近、この辺りに鬼が出てる」
あまりにも当然のように告げられ、新は一瞬言葉を失った。
「鬼って……あの鬼ですか?」
「角が生えて、人を喰らう。お前達人間が昔話で聞くような、あれだよ。まぁ今来てるのは小さい奴だがね」
「どうして鬼がこの祭りに?」
「もちろん、神や人を喰らって自らを強くするためさ。あいつらにとって食事は腹を満たすだけじゃない。奴らは喰らえば喰らう程強靭になる、喰らったものが神ならなおさらさ」
「それじゃ、神を喰おうと?」
「まぁそのつもりだろうが、祭の周辺には鬼除けが施されている。そこから出なきゃ大丈夫だろう」
玉藻はそう言って、煙管を口元へ運ぶ。
「小鬼といっても、素手の人が敵う相手じゃないよ。来て早々、喰われたとなっちゃこっちも寝覚めが悪い。鬼除けの外には絶対出るんじゃないよ」
「わかりました。ご忠告、ありがとうございます」
新が礼を言うと、玉藻は末っ子三姉妹を見た。
「お前達もだ。特に灯、お前の力はまだ幼い。いくら神とはいえ、襲われたらひとたまりもないからね」
「もちろんだよお母さん! 灯は良い子だから、鬼除けの外には出ないもん!」
灯の元気な返事に玉藻は満足そうに頷くと、今度は御言を見た。
「御言、ちょっと話がある。中で話そうじゃないか」




