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もう一つの稲守祭


 稲守祭を満喫した新と御言は、人で溢れる参道を離れ、稲荷ヶ丘神社の境内へと足を進めていた。

 徐々に祭囃子や人々の喧騒が遠ざかり、辺りは先ほどまでの賑わいが嘘のように、静けさが新達を包む。


「御言、こんなところに来てどうしたんだ?」

「そろそろ家族に会ってもらおうと思って」

「こんな暗いところに居るのか?」

「ううん。ここから行くの」


 御言は一度立ち止まって、新へ右手を差し出した。


「新、手貸して」

「ん? こうか?」


 新が手を取ると、御言はニッと笑った。


「今から新にはもう一つの稲守祭を見せてあげる」

「もう一つ?」

「そう! ほら、行こ」


 御言は新の手を引き、再び歩き出す。

 

 やがて辿り着いたのは、本殿から離れた場所にひっそりと建つ小さな社だった。


 古びた木造の建物で、正面には閉ざされた一枚の扉がある。

 物置か、あるいは使われなくなった古い社にしか見えない。祭りの日だというのに灯りすら点いていなかった。


「ここ?」

「うん、ちょっと待っててね」


 御言は新と手を繋いだまま、空いた手の人差し指と中指を揃えて胸元まで持ち上げると小さく目を閉じる。

 次の瞬間、その指先に青白い炎が灯った。

 

 その炎で、御言は扉の前にゆっくりと円を描き始める。

 すると、扉が淡く輝き始めて触れてもいないのにゆっくりとひとりでに開いていく。


「……おぉ」


 常識では考えられない光景に、新の口から思わず声が漏れた。

 扉の先は薄暗い社の中ではない。代わりに眩いほどの光が溢れていた。


「さ、行こ」


 御言に手を引かれ、新は光の中へゆっくりと足を踏み入れる。

 一瞬、全身を温かな風が撫でた。

 直後、笛や太鼓の音、そして大勢の楽しげな声が一斉に新の耳に戻ってくる。


 しかし、目に映ったのは新が知る祭りの風景ではなかった。


「……なんだ、これ」


 そこには、先ほどまでとはまるで違う祭りの景色が広がっていた。

 夜空には無数の提灯が浮かび、青白い狐火が星のように宙を漂っている。

 その下、隙間なく屋台が並んだ道には、人の姿をしているが角や翼、獣の耳や尾を持つ者、人の姿すらしていない不思議な生き物が当たり前のように行き交っていた。


「ようこそ新、神達の稲守祭へ」

「す、すげぇ……」


 映画の中のような光景に、心を奪われた新は呆然と立ち尽くしていた。

 

 「ほら、行こ行こ! こっちはこっちで楽しいんだよ」


 御言は嬉しそうに再び新の手を引いて歩き出した。

 並ぶ露店に見たことのない食べ物や品々が、新の視線を右へ左へと動かす。


 幼い頃から参加していた稲守祭では、もう味わえなかった興奮と高揚が新の胸の内を満たしていく。

 そんな中で、聞き覚えのある音が聞こえた。


 ――コロン。


 木で出来た鈴が鳴る音。

 音が聞こえたのは、屋台の傍に生えた一本の木の上。

 そこには、宿泊研修で新を助けてくれた森の精がいた。


「御言! あいつって」

「あの子は、あの時とは違う子だよ」

「違うのか?」

「うん。森の精はあの子だけじゃないからね」


 御言がそう説明している間にも、森の精は枝の上で楽しそうに身体を揺らす。


 ――コロン、コロン。


 その度に、首から提げられた木の鈴が軽やかな音を響かせた。


「見分けつかねぇな……」

「あはは。新にはまだ難しいかもね」


 森の精は二人の視線に気付いたのか、枝の上から小さく手を振る。

 御言と新も笑顔で手を振り返した時だった。


「御言様? 御言様ではないですか?」

「ん?」


 呼びかけられ、御言が振り返る。

 そこには、頭から立派な鹿の角を生やした一人の女性が立っていた。


「やっぱり御言様だ。お久しぶりです」

「久しぶりー! 元気だった?」

「はい。御言様もお変わりないようで」


 その声を聞きつけたのか、周囲を歩いていた神々も次々と足を止め始めた。


「御言様?」

「本当だ。随分久しぶりじゃないか」

「おお、御言様! また綺麗になられて!」

「あはは、みんな久しぶりー!」


 次々とかけられる声に、御言は嬉しそうに手を振って応えていく。

 そんな中、鹿の角を生やした女性の視線が御言の隣へと移った。


「ところで御言様……そちらの人間は?」


 その言葉に他の神達の視線も新へ集まった。


「人間?」

「ここへ人間が来るなんて、随分久しぶりじゃないか?」

「御言様と手を繋いでおられるということは……邪悪な者ではないようだな」


 神達は興味深そうに新を眺め、互いに小声で言葉を交わし始める。

 そんな様子を見た御言は、新と繋いでいた手をそっと離すと、どこか得意げに腕を組んだ。

 

「この人はね! 私の婚約者だよ!」

「……婚約者!?」

「御言様の!?」

「人間と!?」


 ざわつく神々に、新は特に考えもせず頭を浅く下げた。


「は、初めまして……」


 そんな新とは対照的に御言は嬉しそうに笑うと、鹿の角を生やした女に視線を戻した。


「ところで感じるんだけど、もしかしてもう皆揃ってる?」

「えぇ、皆様すでにお見えですよ」

「……そっか。だいぶ早いね」


 御言の顔から、僅かに明るさが消える。

 そして、ふーっと細く息を吐いて新を見た。

 

「新、先に家族に会ってもらってもいいかな?」

「え? もちろんいいけど」

「ありがと。じゃあ行こっか」


 二人はそれぞれに覚悟を決め、歩き出す。


 これから会うのは婿入り先の家族。

 新は無意識に背筋を伸ばし、どんな言葉で挨拶をするべきか頭の中で考える。

 一方の御言も、先ほどまでの楽しげな表情を僅かに引き締めている。

 そんな二人の足取りは、祭りを楽しんでいた時よりもほんの少しだけ慎重になっていた。

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