この時期はいつも
稲守市が一年で最も強い日差しに照らされる季節を迎えた頃、瑞穂祭の熱気も冷めぬまま、瑞穂学園は夏休み期間に入った。
学生達が待ち侘びた一ヶ月と十日の長い休暇。その始まりから少し経ったある日、藤宮家ではいつもと少し違った空気が流れている。
「お兄様、グラタンが焼けましたのでテーブルに並べてくれますか?」
「あぁ。叶、このサラダの盛り付け頼めるか?」
「うん、わかった」
新は焼き上がったグラタンを慎重にテーブルへ運ぶ。
その傍らでは、叶が大皿へ色鮮やかな野菜を盛り付ける。
そんな時、玄関のインターフォンが来客を知らせた。
「あら? 予定より少し早いですね」
紬がエプロンを外して、玄関に向かおうとする。
だが、そこに新が待ったをかけた。
「いいよ紬、俺が出る」
グラタンをテーブルに置き終えた新はそのまま、玄関へ向かった。
玄関に着き、ドアノブを掴む。
開いた扉の先にいたのは、御言だった。
「あ……らたぁ……」
「み、御言? この暑い中歩いて来たのか?」
御言は今にも溶けてしまいそうな顔で新を見上げていた。
いつも美しく靡いていた銀色の髪は汗で頬に張り付き、肩を大きく上下させている。普段の陽気な姿は見る影もない。
「そう……もう一歩も動けない……」
御言は力なく両腕を伸ばし、新の身体に縋りつく。そのまま額を新の胸へ押しつけ、ぐったりと全体重を預けてきた。
「どうしてこんな日に限って、車で来なかったんだよ?」
「家の人みんな、夏季休暇? ってやつでさぁ……車が使えなくて……」
「連絡くれれば迎えに行ったのに……って、お前スマホ持ってないか……」
「そうだよぉ……でも、呼んでもらえて嬉しくて……それに新に会いたくて頑張ったんだよぉ……」
甘えるような声と共に、御言の腕が新の背中へ回る。
火照った身体の熱が、服越しにもはっきり伝わって来た。
「おいおい、暑いんだったらくっつくなよ……」
「それはいいのぉ……!」
御言は幸せそうに頬を緩め、新の胸へさらに深く顔を埋める。
その時、新は背後から刺すような視線を感じた。
「……お兄様」
地の底から響くような声に、恐る恐る振り返る。
そこには、いつの間にか紬が立っていた。
その顔にはいつもと変わらない微笑みが浮かんでいる。だが、背後から立ち昇る黒い気配は、真夏の玄関を一瞬で凍りつかせるほど禍々しい。
「つ、紬! これはその……!」
「妹と、幼馴染が準備にいそしむ中、お兄様は稲荷坂先輩と随分と仲睦まじくされていたようですね?」
「そ、それは悪かった! でも、とりあえず御言を涼しい場所へ……」
紬は一拍空けて、ため息をついた。
「……早くリビングで涼んでください。稲荷坂先輩、麦茶でいいですか?」
「ありがと、つむぎぃ……」
新は御言を支えたまま、冷房の効いたリビングへ向かう。
リビングでは料理の続きをしていた叶が、御言を見るなり手を止めて駆け寄ってきた。
「御言!?」
「叶ぇ……やっほ~」
御言をリビングのソファに座らせる。
エアコンの冷風が当たると、彼女は気持ち良さそうに頬を緩めた。
「はぁ~生き返る~」
「稲荷坂先輩、どうぞ」
紬が盆に載せた麦茶を御言に渡した。
「ありがと、紬!」
御言は受け取った麦茶を一気に喉へ流し込んだ。
「……ぷはぁ! おいしい!」
満足そうに息を吐いた御言は、ふとテーブルの上へ目を向ける。
焼きたてのグラタンに、色鮮やかなサラダ。ほかにも、紬達が用意した料理が所狭しと並んでいた。
「うわぁ凄いご馳走!」
御言は目を輝かせて、料理のもとへ向かった。
「美味しそ~! 改めて、呼んでくれてありがとね!」
御言の言葉に紬が、食器を並べながら答えた。
「事情もありますし、稲荷坂先輩には是非顔を合わせるべきかと」
「まぁそりゃそうだね。いつ到着するの?」
「そうですね……そろそろ」
紬が時計を見た直後、まるでその言葉を待っていたかのように玄関の方で扉が開く音がした。
「ただいまぁ~!」
明るい女性の声に、その場にいた全員が同時に声のした方へ顔を向けた。
「どうやら、帰って来たみたいだな」
新がそう言うと、軽やかな足音が玄関から近づいてくる。
やがて姿を見せたのは、大きなキャリーバッグを引いた一組の男女だった。
黒髪を肩のあたりで整えた女性は、満面の笑みを浮かべている。
上質なシャツを着こなす男性の顔は、まるで未来の新を映しているようだった。
その二人の姿に、新は穏やかな笑みを浮かべた。
「おかえり、父さん、母さん」




