気持ちは落ち着くどころか
その後、教師達に簡単な事情を説明した二人は、御言達のもとへ戻る前に、少し気持ちを落ち着かせるため学園の屋上へ向かうことにした。
「叶、大丈夫か?」
二歩先で屋上への扉を抜けた新に、叶が返したのは言葉ではない。
新が振り向くよりも早く、その背に抱き着いた。
「か、叶?」
「新、守ってくれてありがと」
「……気にすんな」
「でも、また助けられちゃったね」
「馬鹿。そんなもん数えなくていいんだよ」
新の背中から伝わる熱を感じながら、叶は再び口を開いた。
「さっきの言葉……ほんと?」
「さっきの言葉?」
「私といるから新が幸せって……」
「ん? あぁ、ほんとだけど」
新はあっけらかんと答えたが、それでも叶の鼓動は確かに激しさを増した。
「私も……新の傍にいれて、幸せだよ」
「お、おう……なんか言われる身になると照れるな」
頬を掻きながら空を見上げる新に、叶は口角を上げる。
そして深呼吸をして、きゅっとさらに強く抱きしめた。
「これからも……ずっと一緒にいてね」
「……あぁ」
鈍感な新でも、何か思うことがあったのだろうか。
少し言葉に詰まってから答えたその声色に、気のせいと言われればそうとも思えるほどの些細な陰りのようなものを感じた。
新の体から離れ、叶はすぐに「なにかあった?」と聞こうとする。
だがその前に新が口を開いた。
「まぁそれにしても、青潟のやつ……まさかあんなことするなんてな」
「今日のこと、新のお父さんとお母さんに言うの?」
「当たり前だろ。叶が危ない目にあったんだ。父さんも母さんもきっと、ぶち切れると思うぞ」
「じゃあ……青潟さんの家との付き合いはどうなるの?」
「それは父さん達次第……てか、そんなこと気にしてんのか?」
「だって……私のせいで新の家に迷惑かけると思うと……あだっ!」
言い終わる前に、新の手刀が叶の頭に落ちた。
「ばーか。それと叶、どっちが大事なんだよ」
本気で呆れた様子の新を、叶は手刀が落ちた頭を押さえながら見つめた。
「わ、私の方が大事ってこと?」
「比べるまでもないだろ」
新は叶に背を向けて空を見上げた。
青空を映す瞳。
風に揺れる黒い髪。
胸がうるさい。
この人は、自分がどれだけ目の前の幼馴染の心を揺らしているのか、きっと少しもわかっていない。
「ねぇ新」
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
喉から出かけた言葉を、叶は飲み込んだ。
もし、今ここで伝えたらどうなるのだろう。
ずっと前から、新のことが好きだったと。
助けてもらったからでも、優しくしてもらったからでもない。
新の隣にいると温かくて、離れていると寂しくて。
誰かと笑っているだけで、胸が苦しくなるほど好きなのだと。
伝えたら、新はどんな顔をするのだろう。
驚くだろうか。
困らせてしまうだろうか。
それとも――少しは、喜んでくれるのだろうか。
もう一度口を開く。ただ、言葉は出てこない。
それを二回繰り返していると、校内放送が鳴り響いた。
『瑞穂祭全行程が終了しました。生徒の皆さんは教室にお戻りください』
「やべ、戻らなきゃ」
新が何気なく口にすると、叶は「そうだね」と胸元に手を当てた。
言わずに済んだことに、少しだけ安堵している。
けれど同時に、せっかく生まれかけた勇気を奪われたような悔しさもあった。
もし、あと数秒だけ放送が遅かったら。
自分は本当に、この想いを口にしていたのだろうか。
「叶」
新の声に、叶は顔を上げた。
「なに?」
「来年は……どんな瑞穂祭になるかな?」
「来年?」
今年の瑞穂祭は、ライブで歌い、クラスの企画も最優秀企画賞が期待できるほどの大盛況だった。
とても充実した瑞穂祭だったと、言い切れる。
しかし、後悔など無いと言ったら嘘になるのも事実だった。
「来年は……新と一緒に回りたいな」
胸の内でずっと抱いていたものが、思っていたよりも素直に声となった。
「俺と?」
「うん。二人でいろんな催し物を見て、屋台のものを食べて……今年できなかったこと、全部したい」
新は僅かに目を見開いた。
だがすぐに、優しく目を細めた。
「……そうだな。来年は、一緒に回ろうぜ」
「ほんと?」
「あぁ。約束する」
その言葉に、叶の胸が弾む。
すると、新は屋上の出入り口へ身体を向けた。
「そろそろ戻ろう」
「そ、そうだね!」
二人が並んで屋上の扉へ向かって歩き始める。
「なぁ叶、俺、この瞬間が好きなんだよ」
「え……?」
思いもよらない言葉に、叶の足がぴたりと止まった。
「こ、この瞬間って……」
まさか、今こうして二人で歩いている時間が好きだということだろうか。
それとも、私といるこの時間自体のことだろうか……。
ようやく落ち着きかけていた胸が、再び騒がしくなる。
しかし、新はそんな叶の様子など気にも留めず、大きく伸びをした。
「だって瑞穂祭が終わったってことは……夏休みだろ!」
足を止めた叶へ振り返った新は、屈託のない笑みを浮かべる。
ほぼ同時に、叶の胸のざわめきは急激に萎んだ。
「ほら、瑞穂祭ってやりがいあるけど、忙しかっただろ? でも、これで今学期も残すところ明日の終業式だけ。だから、この全部終わったーって感じ、良くないか?」
「……新」
「ん?」
「馬鹿!」
「なんで!?」
叶は頬を膨らませ、新の横を通り過ぎて一人で屋上の扉へ向かう。
「え、ちょ、叶!? なんで怒ってんだよ!」
「知らない!」
慌てて追いかけてくる新の声を背中に聞きながら、叶は小さく笑った。
ずっと、こんなふうに。
新の隣で笑っていられますように。




