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独り言


 雲に覆われ、陽の差し込まない校舎裏で、叶は壁に背を預けて膝を抱えていた。

 

 冷えた地面から伝わる寒さも、今はどうでもいい。

 膝に顔を埋めると、掲示板に並んでいた名前が何度も頭に浮かぶ。


 青潟綾乃の三段下に柚木叶の文字。

 頭の中の光景だというのに、現実の視界が滲んでいく。


「……頑張ったのになぁ」


 呟いた声は震え、膝を抱く腕に力がこもり、涙が頬を伝っていく。

 

 その時、校舎の角から叶の方へ近づいてくる足音が聞こえた。


「叶お姉様」


 聞き慣れた声に、叶は顔を上げる。

 そこには暗い表情の紬がいた。

 細い腕には不釣り合いなほど大きなコートをかけている。

 

 叶はそれが誰のものか確かめるより先に、慌てて涙を袖で拭う。

 ただ、真っ赤になった目元までは誤魔化せず、顔を背けながら返事をした。


「紬ちゃん」

「こんなところにいては風邪をひいてしまいますよ」

「……もう、どうでもいいんだ」


 推薦を取れなければ、瑞穂には進めない。

 新と同じ制服を着て、これまでと変わらず隣を歩いていく。

 ずっと思い描いていた未来が、すべて消えてしまった。


 これまでの努力が無意味だったと悟り、叶は再び顔を膝へ埋める。

 すると、不意に肩に柔らかな重みがかけられた。


 顔を上げた叶の身体を、紬が腕にかけていたコートが包んでいる。

 その時に、このコートが誰の物なのかがわかった。


「これ……新のコート」

「私が叶お姉様を探しに行くと申し上げたら、持っていくようにと」

「新が?」

「はい。お兄様は今、お母様とお父様に掛け合ってます。叶お姉様の学費を援助してくれないかと……もちろん叶お姉様が望めばの話ですが」

 

 叶はコートの襟を握り締める。そこから新の匂いがした。

 涙が再び叶の頬を伝う。

 いつも隣にいてくれた、大好きな人の匂い。

 それに触れた途端、必死に堪えていた想いが溢れ出した。


「……行きたい」

「叶お姉様?」

「私、瑞穂に行きたいよぉ……新と一緒にいたい……!」


 子供のように泣きじゃくる叶は、何度も涙を袖口で拭った。


「離れたくないよ……瑞穂に行くために頑張って来たのに……」

「でしたら――」

「でも……怖いの」

「怖い?」

「ずっとそうだった。困った時は新や紬ちゃん達に助けてもらって……恩ばかり作って……なのに私は何ひとつ返せない……そんな私を新がいつか重荷に感じちゃったらと思うと……怖いの」

「叶お姉様……」


 紬は叶の隣へ静かに腰を下ろした。


「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「……なに?」

「もし立場が逆で、お兄様が困っていたら、叶お姉様は助けますか?」


 叶は顔を上げる。

 もう涙に濡れた顔を見られても、抵抗は無かった。


「それは……もちろん助けるよ」

「何故ですか?」

「何故って……そんなの大切だから」

「でしたら、お兄様も同じです。それに……私も」

「紬ちゃんも?」

「当たり前です。叶お姉様を大事に思ってるのは、なにもお兄様だけではないのですよ?」


 優しく微笑む紬に、叶はまだ素直に頷くことはできなかった。

 頭の中で先日の青潟の冷めた視線が蘇り、きゅっと手に力が入る。


 そんな叶の様子を見た紬は曇天を見上げた。


「……ふむ。やっぱりですか」


 何かを見通したような紬に、叶は涙で濡れた瞳を瞬かせた。

 

「紬ちゃん?」

「お姉様、今この場で話したことは一旦忘れましょう」

「ど、どういうこと?」

「それはお姉様が正直に答えてくれたら、わかります」

 

 穏やかな口調のまま、紬は叶の瞳をまっすぐに見つめた。


「何があったのですか?」

「な、なにも……」


 紬から目を逸らす叶の脳裏には、青潟の顔が浮かぶ。

 

 ここで話してしまうのは簡単だ。

 しかし、青潟の言葉が叶の喉を詰まらせる。


『藤宮と青潟の関係が悪くなれば、多大な損失が出るわ。藤宮家に迷惑をかけたいのであれば、告げ口してまた守ってもらえばいいわ』

 

 もし自分が紬にすべてを話せば、当然、新の耳にも入る。

 それで両家の関係が悪化し、受けた恩を仇で返してしまったらと思うと、ここで抱え込んだ方がマシに思えた。


「本当になにもないよ」


 紬と目を合わせずに叶は首を横に振る。

 それを黙って見つめていた紬は、ふぅと細く息を吐いた。


「……わかりました。では、ここからは私の独り言です」


 紬は曇天へ視線を戻した。


「まず、私は今回の叶お姉様の試験結果に懐疑的なのです」

「……え?」

 

 予想もしなかった言葉に驚いた叶を、紬は横目で見ながら微かに口角を上げた。


「試験が終わった日、お兄様と一緒に叶お姉様の自己採点をしましたよね? あの時、私もいましたが……その時の点数と、今回の結果があまりにも違いすぎるのです」


 叶の反応を待たずに、紬は続けた。


「一問、二問ならまだわかります。ですが今回はそれだけでは説明できないほど、点数の開きが大きすぎる。自己採点は、一年生からの全試験の時にやっていて、叶お姉様が採点ミスしたことなど一度もありませんでした……ではなぜ、今回だけはこんなにも答え合わせと実際の点数に開きが出たのか、考えられることは大きく三つ」


 紬は胸の前で、まず人差し指を立てた。


「教師側の集計、もしくは問題の採点ミス……まぁこれは考えにくいですね」


 二本目を立てた。


「次に叶お姉様の自己採点が間違っていた可能性。まぁ確率的には十分あり得ます。しかし先程も言いましたが、それにしても点数が違い過ぎます。そして残る三つ目は……」


 紬は三本目を立てた。


「――誰かがお姉様の答案に細工をした」

「そ、そんなことあるわけ!」

「まだ独り言の途中ですよ」


 紬に窘められ、叶は口を閉ざした。


「もちろん、ここまで私が呟いた内容では、一つ目か二つ目の可能性の方が高い。ただ、絶対ではないというのも確かなことです」

 

 紬は立てていた三本の指をゆっくりと下ろした。


「それは同時に、三つ目の可能性を捨てきれない理由にもなります」


 紬は人差し指を顎に添えて、推理探偵のように続けた。


「では、仮に誰かが答案へ細工したとしましょう。次に考えるべきは、一体誰が……ということになります。それは叶お姉様の成績を良く思わない者……そして、今回叶お姉様よりも成績上位だった者である可能性が高い。このように疑問を潰していけば、犯人は見えてきます。無差別な嫌がらせであれば、叶お姉様の答案だけを狙う理由がありません。となれば、叶お姉様の点数が下がることで、何らかの利益を得る方ということになります」

「利益って……」

「今回の試験は、ただの期末試験ではありません。卒業後の進路を決める、最後の判断材料です」


 叶の胸が大きく跳ねた。

 ここまで来れば、叶でもあらかた見当はつく。


「お兄様の推薦は、ほぼ確実。残る一枠をかけて躍起になっている者もいるでしょう。ここまで来れば絞るのは容易い。お姉様と同じ瑞穂への推薦を目標としていて、今回叶お姉様よりも順位が上だった者……」

 

 紬はそう言って、立ち上がった。

 

「まぁなんということでしょう! 私、犯人が誰かわかってしまいました!」


 紬はわざとらしく目を見開き、胸の前で両手を合わせた。


「こうしてはいられません! 私、犯人にガツンと言ってやらねば!」

 

 紬は勢いよく駆け出す。

 叶もコートの前を掻き合わせながら、慌てて立ち上がった。

 

「つ、紬ちゃん! 待って!」

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