二度目の春? それともデジャヴ?
新を包み込んだ炎は消え、ふと視界が開ける。
そこには見慣れた光景があった。
「ここは……教室?」
いつの間にか窓際の席に座り、頬杖をついていた。
黒板。
談笑するクラスメイト達。
春の光を受けて、白く浮かび上がるカーテン。窓の外には桜が咲き乱れている。
「新!」
聞き慣れた声が耳に入ってくると、振り向く暇もなく、背後から伸びた腕が新の肩に回される。
右肩のすぐ上には、親友の顔があった。
「智也」
「俺達また同じクラスだぜ? よろしくな! 実はさっき隣のクラスの増井がさ、新学期早々――」
小学校の頃からの親友の何気ない笑顔と、声がやけに懐かしく感じた。
この人懐っこい笑みを向けてくるのは、成瀬智也。
少し明るめの茶色い短髪、新よりがっちりとした体格で背も高い。
同じ詰襟の学生服は襟元のホックが外れ、第二ボタンも留まっておらず、少し緩い着こなしに見える。
「おーい新、聞いてるか?」
「え? あぁ、ごめん! ぼーっとしてた」
「なんだ? 二年生になったのを機にキャラ変か? スピリチュアルな俺かっけー! 的な?」
「それは中学一年の時に、少し早めの中二病を発症した智也のことか?」
「おい、それは忘れろ」
智也が顔をしかめると、新はハッとあることに気づいた。
覚えている。この会話を、覚えている。
二年生になったばかりの朝。窓際の席。春の光を受けて揺れるカーテン。背後から肩に腕を回してくる智也の声。
全部、頭の中にあった。
なら、あの出来事は現実で、未来から戻ってきたのだろうか……いや、これだけではわからない。
あれは夢であって、それが妙に鮮明な夢だったせいで現実まで同じに感じているだけかもしれない。
デジャヴ。
そうだ。きっと、それだ。
死んだ人間が蘇るなんて……にわかに信じられない。変な夢を見たのだろう。
新は自分に言い聞かせるように、ゆっくり息を吐いた。
「二人とも、おはよ」
じゃれ合う新と智也の横から聞こえた声に、胸の中でなにかが跳ねた。
声のした方へ顔を向ける。
藍色の髪を後ろで束ねた女子生徒が一人、こちらへ歩いてきていた。
「叶……」
名前を呼ぶだけで、喉の奥が詰まった。
あの悪夢のせいだ。
「新? どうしたの?」
「……へ?」
「人の顔、じーっと見つめて固まっちゃって」
「あ、あぁ……悪い」
叶から顔を逸らすと、智也がニヤニヤとした顔で口を挟んできた。
「おいおい新、学校一の美女と名高い幼馴染に見惚れてたのかぁ?」
「ち、違う馬鹿!」
「そ、そうだよ智也君!」
同時に慌てる新と叶に、智也は「はいはい」と笑った。
「だけどよ、二人の友人として言わせてもらうが、うかうかしてたら取り返しがつかないことになるぞ? 叶ちゃんはもちろん、新だって見た目もいいし、成績もそこそこ、それに加えて両親は超がつくほどの成功者。校内の女子人気も高いんだぜ?」
「なに言ってんだよ。叶はともかく、俺はまったくだろ? 女子との交流も少ないし」
新が肩をすくめると、智也は鼻で笑った。
「……それはお前がいつも一緒にいる女と、張り合おうって勇気が中々湧かないからだよ」
「ど、どういうことだよ?」
「お前な……その超絶鈍感、どうにかならないかね? なぁ叶ちゃん」
智也が問いかけても、叶から返事はなかった。
「あれ? 叶ちゃーん?」
まだ叶から返事は返ってこない。
彼女はエメラルドを埋め込んだような瞳を見開き、口元だけをわずかに引き攣らせている。
「新……人気……高い?」
「ほら、智也が変なこと言うから叶も困ってるじゃないか」
「お前……まぁいいや……」
呆れた智也は何か思い出したように「あ、そうだ」と新の耳元に顔を寄せた。
「つかぬこと聞くが……紬ちゃんも今日から一緒の学校だよな?」
「あぁ、そうだけど」
「じゃあさ、あとで一緒に紬ちゃんの教室へ……」
「なんでだよ。お前一人で行けばいいだろ」
「連れないこと言うなよ相棒」
智也が先程よりも強く、新の肩を抱いたその時だった。
「おい、あの子……」
一人のクラスメイトが教室の入口へ視線を向けていた。
その声につられるように、周囲の視線が少しずつ入口へ集まっていく。
そこに立っていたのは、一人の女子生徒。
背は叶より頭ひとつほど小さい。
艶のある黒髪を腰の辺りで綺麗に整え、背筋はすっと伸び、両手は上品に前で重ねられていた。
柔らかな微笑みを浮かべるその姿は、ただそこにいるだけで教室の空気を静かに変えてしまうほど端正なものだ。
「誰? 一年生?」
「すご……柚木さんと同じくらい、めちゃくちゃ綺麗な人……」
「誰に用?」
小さな囁きが、教室のあちこちから漏れ始める。
クラス中の注目を集めた彼女の視線は、ある一人の生徒へ真っすぐ向けられていた。
「お兄様」
澄んだ声で彼女は自分の兄を呼ぶ。
それに応えたのは、男の声ではなかった。
「紬ちゃん!」
固まっていたはずの叶が、ぱっと表情を明るくする。
紬と呼ばれた彼女も、淑女らしい微笑みを返した。
「叶お姉様、おはようございます。今日から同じ学校ですね。叶お姉様とまた学校で勉学に励めると思うと、とても嬉しいです」
「もう紬ちゃんってば、大げさだよ」
叶が笑うと、新の肩に腕を回していた智也が背筋をピンと伸ばした。
襟元のホックは外れたままだが、本人なりに精一杯きちんとした姿勢を取っているらしい。
「つ、紬ちゃん! おはよう!」
「成瀬さん。おはようございます」
「ま、まさか紬ちゃんがこの学校に来るとは思わなかったよ! もっと偏差値の高いところに行くと思ってたからさ」
「慣れ親しんだこの街を離れるのが寂しくて……ねぇお兄様?」
紬の目線が向けられた先は、苦笑いを浮かべる新だった。
「お兄様って……あの子、藤宮君の妹さん?」
「あいつ、超絶美女の幼馴染だけじゃなく、あんな可愛い妹もいんのかよ」
「俺、なんだかあいつが憎らしく思えてきた……」
周囲が、再びざわつき始める。
すると、紬はクラスメイト達へ体を向けた。
「二年一組の皆様、兄がいつもお世話になっております」
澄んだ声が、教室の中にすっと通る。
ただ自己紹介をしているだけなのに、ざわついていた空気が自然と落ち着いていった。
「初めまして。藤宮新の妹、藤宮紬と申します。本日より、この学校に通わせていただくことになりました。未熟な身ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
両手を前に重ねたまま、紬は丁寧な一礼を見せる。
乱れの無い一連の所作を終えたところで、紬は再び新へ視線を戻した。
「紬、なにか用があったのか?」
「いえ、実はこれといった用はないんです。用があって二年生の教室近くを通ったので、お兄様や叶お姉様にご挨拶しようと……」
「はは……うん。知ってる」
苦笑いを隠せない新はこのやり取りにも覚えがあった。
ここも一緒か……だとすると、この後すぐに紬は自分の教室に戻る。
そして予鈴が鳴って、ホームルームが始まると、特になにもなく始業式だったはずだ。
それが全部当たったとしても、あの夢を信じる気にはならない。
なぜなら、ここから先も特に何も起きない普通の日常なのだから。
「では、もうすぐ朝のホームルームなので紬は戻りますね」
紬はにこりと笑って、教室を出ていく。
その姿が見えなくなると、教室内は数秒だけ静まり返る。
そして次の瞬間、堰を切ったようにざわめきが広がった。
「すご……住んでる世界が違う人みたい」
「この学校に天使がまた一人……」
「俺、紬ちゃんになら毒を盛られても許せる」
あちこちから小さな声が上がる。
新の傍で、智也は良い夢の余韻から抜け出せていないような顔をしていた。
「新……いや、新お義兄さん」
「あほか」
新が呆れて返すと、朝の予鈴が鳴る。
担任が教室に入って来ると、クラスメイト達はそれぞれの席へ座った。
「みんなおはよう。このクラスを担当する杉江美華でーす。早速だが、今日から転校生がこのクラスに加わりまーす」
「え?」
気だるげな担任の言葉に、新は眉をひそめた。
転校生。
ここに来て、初めて新の記憶のようなものと食い違った。
それが安心材料となった。
やはり、夢だったのだ。
あの雨も、事故も、叶の悲鳴も。
全部、悪い夢だったのだと。
ほっと体から力が抜けた時だった。
「じゃ、入ってきてー」
扉が開く。その姿を見て、言葉を失った。
教室に入ってきたのは、白銀の髪を肩の上辺りで揺らした女子生徒だ。
彼女が教壇前で止まり、金色の瞳をクラスメイト達へ向けると、教室の空気がまた少しだけざわついた。
「すご……また美少女」
「このクラスの顔面偏差値どうなってんの?」
「綺麗な髪……ハーフかな?」
そんな声が耳に入る。
新はすでに開いた口が塞がらない。
「よーし、じゃあ自己紹介」
杉江が促すと同時に、一際強い春風がカーテンを揺らし、彼女の白銀の髪を靡かせた。
「稲荷坂御言です。両親の都合でこの街に引っ越してきました。皆さん、よろしくお願いします」
御言と名乗った彼女が一礼する。
頭の上にあった獣の耳も、腰辺りで揺らしていた尻尾も、今はない。
しかし、どこからどう見ても、ついさっきまで一緒にいた彼女だ。
そう理解した瞬間、新は耐えきれず立ち上がり、彼女を指差した。
「お、お前! どうして!?」
教室内の注目は、新へ移る。
いつも感情の起伏を見せない担任の杉江も、両手を腰に当てて目を丸くした。
「なんだ? お前達、知り合いか?」
「はい」
御言は迷いなく頷く。
そして、新を見て微笑んだ。
「私、藤宮新の婚約者です!」




