完売御礼、それでも……
瑞穂祭三日目、最終日。
各クラスが入賞を目指して最後の追い込みに躍起になる中、叶達二年一組の和風喫茶は、午前の部だけで用意していた食材をすべて売り切ってしまった。
予定より早く営業を終えた叶は、催し物で使った食器を洗うために家庭科室へ運ぶ。
使用済みの湯呑みや小皿を載せたトレーを両手に抱え、歩を進める。
しかし、叶の胸にあったのは達成感ではない。瑞穂祭初日に彼女と再会して以来、消えることのない胸騒ぎだった。
家庭科室のある一帯は、文化祭の作業に使用するため一般客の立ち入りが禁止されている。
先ほどまでの賑わいが嘘のように、周囲に人の姿はほとんどない。
食器を落とさないよう慎重に歩く。
廊下の角に差しかかった、その時だ。
まるでタイミングを合わせたように、現れた人影が叶にぶつかった。
「きゃっ!」
衝突の勢いは強く、バランスを崩した叶はその場に転ぶ。
トレーに乗っていた食器のほとんどが廊下へ落ち、甲高い音を立てて割れた。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫――」
咄嗟に相手を気遣った叶の言葉は途中で止まった。
そこにいたのは、初日に叶を敵意の宿った瞳で睨んだ女性だった。
艶のある茶髪は胸元まで伸び、毛先だけが緩やかにカールしている。
整った目鼻立ちに、陶器のように白い肌。淡い色のブラウスと膝丈のスカートを上品に着こなした姿は育ちの良い穏やかな令嬢にしか見えない。
「あらあら……これは大変。大丈夫? 柚木さん」
「あ、青潟さん……」
叶が呼ぶと、青潟は散らばった食器を見下ろし、しゃがみ込む。
「まずは片付けましょう」
青潟が床に散らばった破片を拾ってトレーに乗せ始める。
続くように叶も、廊下に散らばる破片に手を伸ばした。
「あ、青潟さん……どうしてここに?」
「少し迷ってしまったの。でも、こんなところでまさか柚木さんと会うなんて、奇遇ね」
穏やかに微笑んだままの青潟は、最後の破片をトレーに乗せて立ち上がった。
「ここの学園祭はほんとに凄いわね。柚木さんの衣装も、とても似合ってるわ」
「あ、ありがとう……」
青潟は叶の和服姿を眺めると、床に座り込んだままの叶へ手を差し伸べた。
「その格好だと、立ち上がるのも大変でしょう? ほら、掴まって」
差し出された手を、叶はしばらく見つめる。
もしかしたら、自分は過去にとらわれ過ぎているのかもしれない。
そう思って、差し出された手を握る。
青潟も微笑んだまま、その手を握り返す。そして、空いているもう片方の手を上から重ねる。
その直後だった。
「――痛っ!」
突然、青潟に握られた右手の甲に鋭い痛みが走った。
反射的に手を引こうとする。
しかし青潟は逃がさないように力を込め、そのまま叶の身体を引き起こした。
叶が立ち上がったところで、ようやく手が離される。
手の甲に走った傷から、赤い血が筋を引いて流れ始めていた。
「どうして……」
青潟の手へ目を向ける。
叶の手を包んでいた手の中に、先ほど拾ったはずの小さな陶器の破片がきらりと光っていた。
「青潟さん……何を……」
「あら、ごめんなさい」
青潟は悪びれる様子もなく微笑むと、隠していた破片をトレーの上へ落とした。
「でも、これくらいでそんな顔をしないでほしいわ」
青潟は叶の傷ついた手を見つめながら、穏やかな声で続ける。
「私があなたに負わされた傷は、こんなものではないのだから」
穏やかな声とは裏腹に、青潟の瞳には剥き出しの憎しみが宿っていた。
叶がなにも返せずにいると、不意に横から伸びた手が青潟の手首を掴んだ。
「何してるの?」
聞き慣れた声に、叶は弾かれたように顔を上げる。
「御言……?」
そこには、いつもの無邪気な笑顔を消した御言が立っていた。
「あなた、今何したの?」
いつもの陽気さが微塵も感じられない御言の言葉に、青潟は微笑みを崩さず答えた。
「割れた食器で柚木さんが手を切ってしまったみたいで……」
「そんな嘘、通じると思う?」
青潟の表情はいまだピクリとも動かない。
その内側を探るように、金の瞳で鋭く青潟を見据える御言に叶は口を開いた。
「いいの御言!」
「叶?」
「いいの御言。私が前をちゃんと見てなくてぶつかったんだし……」
「な、なに言って――」
「さ、戻ろ? 早く戻らないと」
叶が破片の乗ったトレーを持ち上げると、青潟が口を開いた。
「本人がこう言ってることですし、離してもらえませんか?」
御言は納得できない表情を浮かべながらも、青潟の手首を離した。
「……次、叶に何かしたら許さないから」
青潟は微笑んだまま、二人の横を通り過ぎて行った。




