向けられた想いは
瑞穂祭当日。
独特の熱に包まれた校内では、クラスTシャツ姿で写真を撮り合う生徒もいれば、企画の最終チェックに余念がない生徒もいる。
その中を、紬と新は並んで歩いていた。
「紬、治って良かったな」
「……はい」
紬は顔を伏せたまま、どこか居心地が悪そうに自分のクラスへ向かっていた。
胸の内には、前日になって休んでしまったことへの後悔が、まだ色濃く残っている。
そんな紬の心情を察しているのか、新は何も言わないまま、紬の歩幅に合わせて隣を歩き続けていた。
きっと優しい兄は、紬が教室に入った時のことを案じているのだろう。
「つーむーぎー!」
突如、背後から声がかけられると同時に何者かが紬を抱きしめる。
視界の端で、銀色の髪が僅かに揺れた。
「きゃっ! い、稲荷坂先輩?」
「元気になって良かったぁー!」
頬擦りしながら抱き締める御言の力が強いのか、紬は顔を歪めて彼女の腕をパンパンと叩く。
「せ、先輩……苦しいです」
「あ、ごめんごめん」
御言は紬から離れると、新を真ん中にするようにして歩幅を合わせた。
「いやー楽しみだね!」
何気ない御言の言葉に、紬は「そうですね」と言いつつも再び視線を下げる。
その違和感を、御言は見逃さなかった。
「……どうしたの紬? もしかして、まだ具合悪い?」
「いえ、体調は問題無いのですが……」
少し言い淀んでから、紬は続けた。
「どんな顔をして教室に入ればいいか、わかりません」
絞り出したような紬の言葉に、御言は瞬きを二回してから僅かに口角を上げた。
「……大丈夫。紬がしている悪い想像にはならないと思うよ」
「どうしてそう言い切れるのですか?」
「まぁ行ったらわかるよ。私達も少し離れた場所から見てるし、勇気出して」
そうして三人が紬の教室に辿り着く。
少し離れた角で新と御言が見守る中、紬は浮かない表情のまま教室の引き戸を開けた。
「お、おはようございます……」
紬がか細く挨拶をすると、クラス中の視線が紬へ向けられる。
直後、教室内のほとんどの生徒が紬に詰め寄った。
「藤宮さん!」
「もう大丈夫なの?」
「間に合ってよかったぁ!」
「心配したんだよ!」
かけられる言葉に紬は目を見開いたまま固まっていたが、すぐに視線を下げて口を開いた。
「あの……すみませんでした……皆さんが頑張っているのに私は……」
「――何言ってんの!」
一人の女子生徒が強い口調で、紬の言葉を遮った。
「謝るのはこっちだよ!」
「そうそう! 私達、藤宮さんに頼りすぎてた! ごめんね!」
「逆に藤宮さんから仕事をもらって、負担を減らすべきだった」
「今日藤宮さんが来れなかったら、正直私は楽しめなかったわ〜」
止まらぬ言葉の数々に、紬は動揺を隠せない。
そこにもう一人の女子生徒が声をかけた。
「藤宮さん……」
その声は、不思議とはっきり紬の耳に届いた。
声の主へ視線を向けると、そこには先日、紬に不満をぶつけた朝野がいた。
「朝野さん……」
「……ごめん!」
朝野は勢いよく頭を下げた。
「私、自分勝手だった! 藤宮さんのことも考えず、好き勝手言って……傷つけた!」
朝野は頭を下げたまま、声を震わせる。
「昨日、藤宮さんがやってた仕事を皆で分けて、やっとわかったの。あんな量を一人で抱えて大変だったはずなのに藤宮さんはいつも笑顔で頑張ってた! 私は藤宮さんがいるからうちのクラスは他よりもレベルの高いものが出せるって他力本願になって……それが思い通りにいかないからって……」
一度言葉を詰まらせ、それでも朝野は続けた。
「本当に、ごめんなさい」
朝野は頭を下げ続ける。すると、違う方向から先日彼女と一緒にいた葛城も前に出て頭を下げた。
「私もごめんなさい!」
「葛城さん?」
「二人の話をそばで聞いていたのに、結局何もできなかったから」
教室の中が静まり返った。
紬はしばらく何も言わず、頭を下げる二人を見つめる。
やがて、その表情に柔らかな笑みが戻った。
「顔を上げてください」
紬の言葉に、朝野と葛城は恐る恐る顔を上げた。
「私は皆さんが私を期待してくださっていることが嬉しくて、それに応えなければならないと意地になっていました。この先もその姿勢は変わりません。今回はぶつかるべくしてぶつかったと思います」
紬は一度言葉を区切り、朝野と葛城をまっすぐ見つめる。
そして、「ですが」と続けた。
「期待に応えることと、一人で抱え込むことは違うのだと」
紬はそこで、自身を囲むクラスメイト達を見渡した。
「私は今後も藤宮紬として、皆さんを先導する人間でありたい。ですが今後は、もう少し皆さんの力も借りて、素敵な学園生活の思い出を作っていけたらと思います」
今度は紬が深々と頭を下げた。
「そのときは、どうか頼らせてください」
一瞬の静寂が、辺りを包む。
紬が顔を上げると、一人の男子生徒が胸をドンと叩いた。
「もちろん! 俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ!」
その声を皮切りに、教室中から賛同の声が上がり始めた。
「もう、一人で抱え込ませないから!」
「瑞穂祭、絶対成功させよう!」
「遠慮なく頼ってね!」
一言一言が、紬の胸の内を温めていく。
鞄を持った手の力が、自然と強まる。
「よーし! 藤宮さんも戻ってきたし、最後の確認始めよう!」
「看板、もう一回ちゃんと固定できてるか確認して!」
「やばい、緊張してきた!」
「そうだ! 一回クラスTシャツ姿でみんなで写真撮ろ! 先生呼んでくる!」
教室内が慌ただしく動き始める。
先ほどまで紬を囲んでいたクラスメイト達が、それぞれの持ち場へと散っていく中で、葛城が再び声をかけた。
「あのね藤宮さん」
「なんですか?」
「昨日先生が言ってた。『瑞穂祭は伝統もあるし、規模も大きいから、初めての一年生は毎年苦戦する。だけど今年はかなりスムーズに進んで、ここ数年で一番完成度が高い』って……それはきっと藤宮さんがずっと頑張ってくれてたからだよね!」
その言葉が、紬の胸の奥へゆっくりと染み込んでいく。
眠る時間を削った夜も。
何度も書類を見直した放課後も。
時には心を削られたあの日も。
何一つ、無駄ではなかったと、葛城の笑顔が教えてくれた。
「なぁ藤宮」
今度は朝野が声をかけた。
「藤宮は忙しいから、一緒に回る時間はないかもしれないけどさ……あとで何か奢らせてよ。藤宮が食べたいもの、なんでもいいからさ」
「朝野さん……ありがとうございます」
「お、お礼はこっちの台詞! 誰よりも頑張ってたのは藤宮なんだし!」
朝野は照れ臭そうに頭を掻くと、誤魔化すようにパンと手を叩いた。
「ほらほら! 準備始めるよ! 開場まで時間ないんだから!」
朝野と葛城も、それぞれの持ち場に戻っていく。
紬は軽くなった足取りで教室に入ろうとしたが、その前に廊下へ視線を向けた。
少し離れた場所の角で見守ってくれていた新と御言が、柔らかな笑みを浮かべている。
紬も笑う。
いつものような淑女の笑みではなく、花がぱっと咲いたような無邪気な笑顔だ。
そして紬は、クラスメイト達に気づかれないよう小さく右手を上げ、二人へピースサインを送った。




