大丈夫、大丈夫
リハーサルを終え、紬は俯いたまま廊下を進んでいた。
腕の中には、まだ処理を終えていない書類が残っている。
しかしそれに割く心の余裕は、今のところなかった。
「……何をしてるのでしょう……」
大見得を切って、このざま。
そう言われても仕方がない。
大勢に迷惑をかけた。
叶達の大切な時間まで奪ってしまった。
『一年に任せるから、こんなことになるんだよ』
誰かがそんなことを言っていた気がする。
実際に耳にしたのか、それとも自分の中から生まれた声なのか、もうわからない。
「……うっ」
歩いているうちに、廊下の床がわずかに傾いた。
足を止め、壁に片手をつく。
視界の端が暗く滲む。耳の奥で甲高い音が鳴っている。
それでも休む暇は無いと、足を進める。
一歩。
また一歩と。
階段を上り、幾人もの生徒とすれ違う。
そして気がついた時には、とある教室の前に立っていた。
「……あれ?」
辿り着いたのは自分の教室ではない。
それどころか、一年生の教室でもなかった。
扉の札には二年一組と書いてある。
そう、紬はいつの間にか新の教室に来ていたのだ。
「わ、私ったら……」
すぐに踵を返して、戻ろうとする。
その時、教室の中で作業をする新の姿が見えた。
企画である和風喫茶の看板に色を塗っている。
頬には数色の絵の具がついていた。
「新!」
誰かが新に近づいてくる。
御言だ。
彼女は当日の衣装を身に纏っている。
少し濃い緑の生地の着物だ。腰元には白い帯が結ばれ、見事に着こなせている。
「どうどう? 似合う?」
くるりと回った御言に新は「おー」と、好反応を見せた。
「似合ってるよ」
「えへへ……良かった」
そのやり取りを、紬は廊下から黙って見つめていた。
新の笑顔。
嬉しそうに頬を緩める御言。
今、教室に入ったらこのざわめきも少しは治まるだろうか?
そんな考えが浮かぶが、足はこれ以上前には進まない。
するとその時、教室内の新が紬に気づいた。
「紬?」
「あ……お兄様」
作業を中断して新は紬のもとへと歩み寄る。御言も一緒だ。
「紬、どうしたんだ?」
「そ、その……たまたま近くを通りかかったので様子を見に」
「そうか……そっちはどうだ?」
「……順調です。中学の時より忙しいのは確かですが、それ以上にやりがいも大きいので」
笑顔で答えた。そのつもりだったが、新は一瞬、時が止まったようにその顔を見つめる。
そして、いつも紬を優しく見つめてくれるその目から、穏やかさが消えた。
「紬? なにがあった?」
「ど、どういうことですか?」
「俺になにか隠し事できるとでも?」
「なにもありませんよ! お兄様の勘違いでしょう!」
誤魔化すように紬は書類を抱え直した。
「では、私はこれで……」
逃げるように踵を返す。
その背に御言が声をかけた。
「紬!」
足を止める。
振り返りはしない。
「なんでしょうか?」
「この前の話、忘れないでね」
「……ありがとうございます。でも大丈夫です」
紬はそのまま自分のクラスへ向かう。
そう……大丈夫。もっと頑張らなきゃ。
失敗はその後の働きで取り返せば問題ない。
大丈夫……大丈夫。
大丈夫……大丈夫……大丈夫。
何度も心の中で呟きながら、廊下を進む。
「……頭……痛い……」




