溜まったものは、いつの間にか
「これの数多くない? 気を付けてよ! 経費限られてんだから!」
「こっち、段ボール足りないかも! 誰か調達してきて」
「延長コード、誰が借りに行くの?」
放課後の校舎には、至るところから生徒達の声が響いていた。
廊下を行き交う生徒。
教室から運び出される机や椅子。
床に広げられた段ボールや色紙。
瑞穂祭が近づくにつれて、準備は一層慌ただしさを増していた。
その中を紬は少し早足で歩く。
穏やかな表情とは裏腹に、その内側は逆だった。
最近、お兄様と顔を合わせる時間が普段の四〇%も少ない。
暇を見つけて、お兄様を補給しないと……このままだと学校で見かけた時に我を忘れてしまいそう。
そのためにも、今日はなるべく早く終わらせなきゃ。
えっと……一年生の追加申請を確認したら、次は体育館に行って三年生の有志発表のリハーサルの手伝いに——。
「藤宮さん」
頭の中でタスクを洗い出していると、背後から声をかけられる。
同じクラスの女子生徒が二人。
朝野と葛城だった。
「朝野さん、葛城さん……どうかなさいました?」
二人の中で朝野が、眉間に皺を寄せていた。
「あのさ藤宮さん、単刀直入に言うけど」
そこまで言って葛城が口を挟んだ。
「ちょ、ちょっとやめなよ」
「いいの。本人わかっていないみたいだし」
朝野は葛城を制し、改めて紬へ顔を向けた。
「藤宮さん、少しは自分のクラスのことも見てくれない?」
「……え?」
予想していなかった言葉に、紬は目を瞬いた。
「どういう、ことでしょうか」
「そのままの意味。忙しいのはわかるけどさ、少しは自分のクラスも手伝ってほしい。他のクラスの実行委員会の子達は、そのあたりちゃんとバランスとってるよ?」
「す、すみません……」
「そういうこと。気を付けてよね」
朝野はそう言って、クラスへ戻っていく。
残った葛城は申し訳なさそうに紬へ頭を下げた。
「ご、ごめんね藤宮さん! 私から説得してみたんだけど、上手くいかなくて……」
「いいんです。お気遣い、ありがとうございます」
紬が微笑むが、葛城の表情は晴れない。
「朝野も藤宮さんを嫌ってるわけじゃないからね。ただ……皆、藤宮さんと一緒に準備できると思ってたから」
「皆さんが……?」
「うん。藤宮さん、中学時代から有名人だったし、とっても頼りになるから、いてくれたら心強いって、皆言ってたよ」
だからこそ、ほかのクラスの仕事ばかりをしていることに不満が溜まった……ということですか。
となれば……今日、お兄様と過ごせる時間は更に短くなりそうですね。
「そうですか……これは申し訳ありませんでした。この後、有志発表のリハーサルが終わり次第、クラスの準備にも参加できるようにスケジュールを調整してみます」
「む、無理はしないでね! いてくれたら頼もしいのはほんとだけど、藤宮さんの忙しさが私達の比じゃないことはわかってるから!」
「ありがとうございます」
「うん! じゃあ、私も戻るね」
葛城が教室へ戻って行く。
紬は踵を返して、体育館に向かう。
道中、何度も声をかけられる。
歩を進ませるたびに書類が増えることにも慣れた。
もうすぐ瑞穂祭。
この慌ただしい日々も終わる。
そして当日は――お兄様と一緒に、校内を回ることができる。
まずは野外の露店ならではの食べ物を味わい、校内を巡る。
一番の楽しみはやっぱりお兄様のクラスの和風喫茶。
立場上、一緒にいられる時間は午前の部だけだが、かけがえのない時間を、お兄様の隣で過ごせる。
その光景を思い浮かべるだけで、書類の重さも、足に溜まった疲れも、ほんの少しだけ軽くなる。
紬は微かな笑みを浮かべて体育館の扉を開いた。
「遅れてすみませ――」
「どういうことだよっ!」
怒声が体育館中に響き渡った。
その声の出どころはステージの上だ。
数人の男子生徒と女子生徒が睨み合っている。
男子の方はバンド演奏で使用する楽器や機材を持ち、女子生徒達は揃いの衣装に袖を通していた。
「この時間は俺達がリハーサルすることになってんだよ!」
「こっちだって、この時間から最終リハって聞いてたから、本番の衣装で来たんだけど!」
「俺達は一週間前から申請してたんだぞ!」
「私達も変更届を出して、ちゃんと承認してもらったわよ!」
互いに譲る気配は無い。
他の出演者達は見守るだけ。
紬は慌てて、両者のもとへ駆け寄った。
「ど、どうなされました!?」
紬が声をかけると、男子生徒が鋭い剣幕のまま口を開いた。
「どうもこうも、リハーサルの時間が被ってるんだよ!」
「瑞穂祭の準備で皆忙しい中、スケジュール合わせて頑張ってるんだから譲ってくれない?」
「それはこっちも同じだよ!」
また熱が上がる二人に紬は口を挟んだ。
「落ち着いてください! とりあえず、どちらも承認を受けた申請書はお持ちですか?」
すぐに両者とも申請書を差し出した。
受け取った二枚の書類に目を通して……紬の血の気が引いた。
「……嘘……」
ぽつりと言葉が漏れた。
二枚の申請書には、どちらも同じ日時が記載されている。
午後四時から一時間。
担当教師の承認印にも不備はない。
男子生徒達のバンドが先に申請を提出し、その数日後に女子生徒達から時間変更届が出されていた。
この二枚の申請書には覚えがある。
どちらも、紬が処理した物だ。
「それで、どうなの?」
女子生徒が問いかけると、紬は即座に深々と頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 私の手違いで、同じ時間帯に二つの組を入れてしまっていたようです!」
「はぁ!? どうすんのよ!」
女子生徒の鋭い声が、体育館中に響いた。
「私達、今日しか全員揃わないんだけど!」
「どうすんだよ! どっちが諦めないと収拾つかないぞ!」
男子生徒も負けじと声を荒らげる。
紬は頭を下げたままだった。
「申し訳ありません……」
「謝ってどうにかなるの?」
女子生徒の言葉に、紬は何も返せなかった。
どうにもならない。
どちらも正式に申請を出し、承認を受けている。
悪いのは、重複を見落とした自分だ。
「こっちは最後の瑞穂祭なのに……こんなくだらないミスで、台無しにされたくないんだけど」
女子生徒の言葉に、紬の胸が強く締めつけられた。
三年生にとって、高校最後の瑞穂祭。
仲間達と同じ舞台に立てる機会は、もう二度と訪れないかもしれない。
その大切な時間を、自分の不注意が奪おうとしている。
「本当に……申し訳ありません」
「だから、謝罪じゃなくてどうするのか聞いてるの」
「それは……」
妥協案が思い浮かばない。
リハーサルの予定は、瑞穂祭前日まで隙間なく埋まっている。
どちらかの時間を短くすれば、不公平になる。
後続の団体をずらせば、今度はその団体に迷惑をかける。
体育館の使用時間を延ばすにも、今から教師の許可が下りる保証はない。
「どうするの?」
女子生徒の声が、答えを急かす。
「少しだけ……お待ちください。必ず、何か方法を――」
苦し紛れな言葉の途中で、体育館の扉が開いた。
「私達の枠を使ってください」
体育館内にいた全員が、出入り口へ振り返る。
そこには女子生徒が四人。
一人は叶だった。
「叶……お姉様……」
叶達は歩み寄りながら、男子生徒と女子生徒に語りかけた。
「私達、明日の同じ時間にリハーサル入ってるんです。そこでよければ、お譲りします」
突然の提案に男子生徒が、少し動揺した様子で答えた。
「それじゃ、あんた達のリハは? 二年生は明日が最終リハだろ?」
「私達は音楽室でもできますし、今まで順調だったので問題ありません。私以外のメンバーも了承済みです」
叶がそう言うと、その傍にいた黒髪のショートボブの女子生徒がにやぁっと笑いながら続いた。
「そうそう~、使ってくださぁ~い」
男子生徒は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「……そういうことなら、俺達が移るよ」
事態が収まり、男子生徒達が女子生徒達にステージを譲ると、紬は叶と目が合った。
叶はいつものように優しく笑いかける。
けれど、その優しい笑顔を前にしても、紬の胸の内に沈んだ重たいものは、少しも軽くならなかった。




