紅茶を飲み干して
「はぁ……どうしよ……」
放課後の理事長室。
ローテーブルを挟んで向かい合った来客用のソファに座った新の向かいで、叶が大きなため息をつく。
紅林麻の誘いを、安易に勧めてしまったのではないかと、少し責任を感じた新は、紅茶が入ったマグカップを持ちながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「なんか、ごめんな。やっぱり俺から断ってこようか?」
「違うの。嫌ってわけじゃないんだけど……」
叶はローテーブルの上に、指先で意味のない線を描いた。
「みんなの前で歌うんだよ? もし失敗したらどうしようって思うと、胃がきゅーってなる」
腹を押さえる叶の隣に御言が腰を下ろした。
「大丈夫だよ。叶が失敗したらそれはそれで可愛いから」
「もう、人ごとだと思って……」
少し頬を膨らませた叶に、御言は悪びれる様子もなく笑みを浮かべた。
「楽しみだなぁ〜でも、忙しくなりそうだね。文化祭の準備に練習……」
「まぁそれはいいんだけど……忙しいと言えば……」
叶は入口の扉へ一度視線を移してから新を見た。
「さっき紬ちゃんを見かけたけど、かなり早歩きで忙しそうだったな」
その言葉に新が答えた。
「実行委員会に立候補したらしい。各クラスの企画の確認、備品の申請、ステージ発表の調整、それから生徒会の仕事も手伝うってさ」
叶は苦笑いを浮かべた。
「相変わらずだね……でも、そんなに受け持って大丈夫なの?」
「もちろん『無理すんな』とは言ったさ、でも当の本人が『藤宮家の者として、これくらい軽々とこなせなければ恥ですから』って……俺、凄いプレッシャーなんだけど」
新が渋い顔をすると、御言が楽しそうに目を細めた。
「紬は凄いね。入学したばかりなのに、そんなにたくさん任されてるんだ」
「小さい時から先頭に立つタイプだったからな。ただ、あいつの場合は何でも抱え込みすぎるんだよ」
新はマグカップの中の紅茶を見つめながら、小さく息を吐いた。
「頼られると断らないし、それどころか期待に応えちまうから、余計に頼られる。いつかパンクしないか、見てるこっちが心配になる」
「……私も、少しは見習わないとかな」
か細く呟いたのは、叶だった。
「見習う?」
「うん。紬ちゃんって、怖がらずに何でも引き受けるでしょ? 私なんて、歌うって決まっただけでこんなに狼狽えてるのに」
「比べるものでもないだろ、紬は紬。叶は叶だ」
新は紅茶を飲み干して、マグカップを静かにテーブルに置いた。
「怖いとか、どうしようって言えるのはしっかり向き合ってる証拠だ。むしろ周りにいる身としたら、そっちの方が支えやすい。その点、紬は不安を表に出さないからな」
新はソファから立ち上がる。
傍に置いていた鞄を肩にかけると、自分が使ったマグカップと空になっていた御言のカップを手に取った。
「さてと……これを洗って俺は帰るかな。紬が大変な分、家事は俺がやらないと」
「新って家事出来るの?」
御言が急に失礼なことを言い始めた。
「まぁ人並みには。普段は俺がやったら紬が怒るんだ」
「どうして怒るの?」
「『お兄様は私の花嫁修業を邪魔するのですか?』とか言うけど、それは建前だろうな。あいつにとって家事も自分の役目だと思い込んでるんだと思う」
「それも紬ちゃんが抱え込んでるってこと?」
「かもしれないな」
後ろめたさは確かにある。
一年のほとんどを二人きりで生活しているあの家で、新がやる家事と言えば掃除や多少の洗い物。
それらも新が手を出そうとすれば紬は「紬がやります」と必ず言ってくる為、半ば強引にやっている時もある。
兄妹とはいえ、紬は年頃の女の子。
洗濯には踏み込みづらい部分もあるが、その他はもっと任せてもらいたいのが本音だ。
「待って新、私も一緒に帰る」
慌ててマグカップの中身を飲み干した叶も、立ち上がって帰り支度を進めながら御言に声をかけた。
「御言はどうする? 一緒に帰る?」
御言は腕を組み、「うーん」と少し悩んでから答えた。
「ごめん、ちょっと用事があるから先に帰ってて」




