溶け合う心
新の部屋を後にした叶と御言は、自室に戻る。
入浴時間の後は就寝までの僅かな自由時間、室内には叶達以外は誰もいなかった。
「叶~そう怒らないでよ~」
「怒ってないよ、こっそり新の部屋に行ったのは私も同じなんだし」
叶はそう言って、部屋の中央、敷かれた布団の上に両足を横に流すように崩して座る。
その向かいに、御言も同じように腰を下ろした。
ふいに御言を見つめる。
抜け駆けされたことに思うことがないわけではないが、彼女のおかげで新が助かったのは事実だ。
「……ありがとね、稲荷坂さん」
素直に礼を伝えると、御言が首を傾げた。
「え? 私、感謝されるようなことした?」
「新を助けてくれたでしょ?」
「あぁ、そのことか! いいのいいの! 大したことじゃないし」
「そんなことないよ! 稲荷坂さんがすぐ見つけてくれなかったら、もっと悪い状況になってたかもしれないし……」
そこまで言って、叶は言葉を止めた。
ふと考えてしまった。
もし、まったく見つからなくて、新に取り返しのつかないことがあったら……。
想像しただけで、こんなにも苦しくなる。
「……本当に、ありがとう」
叶は頭を下げる。
御言は一瞬きょとんしてから、素直に受け入れるように微笑んだ。
「うん、どういたしまして」
御言が転校してきてから一ヵ月少々。
最初こそ、新の婚約者だと突然名乗り始めた彼女を良く思っていなかったのは事実。
理事長の稲元から理由を聞いたところで、すぐに納得できたわけではない。
新との婚約が本当ではないと知って安心した一方で、御言が新に好意を寄せていることは、嫌というほど伝わってくる。
距離が近くて、まっすぐな子だ。
そんな彼女に、新が本気で惹かれてしまわないか、心配になる。
しかし、そんな叶の警戒心も知らずに、御言はいつも無邪気に隣へやってきた。
休み時間になれば当然のように話しかけてくる。
放課後は一緒に帰ろうと、誘ってくれる。
時には叶に抱き着いて、「叶の匂い好き」と言ってくる。
それらが、少しずつ叶の調子を狂わせていった。
警戒している自分の方が意地悪みたいに思えてくるほど。
性格が悪かったら、迷わず嫌いになれたのにと思ったこともある。
でも、認めなきゃいけない。
御言は悪い人間じゃない。むしろ、見習うべき箇所が多い。
——だから余計に厄介なのだ。
「叶?」
御言の言葉に、叶はハッと顔を上げた。
「な、なに?」
「どうしたの? ぼーっとしてたよ?」
御言はそう言って、叶の顔を覗き込むように少し身を乗り出した。
「なんでもないよ!」
「そう? ならいいけど」
距離を戻した御言は、目元をふっと緩めた。
「ねぇ叶?」
「なに?」
「叶は新のことが好き?」
「え……えぇ!?」
叶の声が裏返る。
頬は湯上りの時より、真っ赤に染まった。
「な、なに急に!」
「だって~叶、新のことになると目の色変えるじゃん。新が怪我したって聞いた時も、顔色真っ青だったよ?」
「そ、それは……幼馴染なんだから心配するに決まってるでしょ」
「叶はそれだけじゃない気がする」
御言は布団の上でころんとうつ伏せになる。
頬杖をつき、足をぱたぱたと揺らしながら、楽しそうに叶を見つめた。
「それで、どうなの?」
金の眼差しに、叶は言葉を詰まらせる。
ごまかそうと思えば、ごまかせた。
幼馴染だからと、心配だったからと、新とは昔から一緒にいるからと。
いくらでも逃げ道はあった。
でも……ここで否定したら、御言には負けてしまう気がする。
転校初日、御言は新のことを好きだと言った。
根拠はないが、その言葉は嘘ではない。そう直感した。
だからこんなにも、彼女が気になるのだろう。
新のことを大切に想っている彼女には、伝えるべきだ。
「……うん」
頷いて、きゅっと拳を握る。
「私も……新が好き」
本人はいないのに、言葉にしただけで頬と胸が燃え上がりそうになった。
その言葉を受け止めた御言は、少し間を開けてにんまりと口角を上げる。
そして、傍にあった枕を抱き寄せた。
「……きゃー!」
叫びながら枕に顔を押しつけた御言は、足をぱたぱたと大きく揺らした。
「叶かわいー!」
「稲荷坂さん!?」
「これが恋バナってやつだよね! いやーきゅんきゅんする!」
普通、同一人物でする話ではないのでは?
そう思っても口には出さなかった叶に御言は続けた。
「じゃあ新に恋したのはいつ?」
目を輝かせる御言に、叶は頭の中で新との記憶を辿る。
短い沈黙の後、右手で左腕を抱き、御言から視線を逸らした。
「それは……わからない」
「気がついたらみたいな?」
「そうだと……思う」
叶は深呼吸を挟む。
ここまで話したら、御言には知ってもらいたい。
「稲荷坂さん、ちょっと聞いてもらってもいい?」
御言は「もちろん」と即答した。
「新はね、私を救ってくれたの」
「救ってくれた?」
叶は頷いた。
「幼稚園の頃、皆で金魚を飼ってたの。それが私が餌をあげた次の日に死んじゃったの。その次の日、今度は家で飼ってた犬が死んで……その三日後、おばあちゃんが死んで、その一週間後……お母さんとお父さんが交通事故で……」
語った頃には、御言の足はピタリと止まっていた。
「ご、ごめん! こんな暗い話……」
御言は首を横に振った。
「ううん、叶がよければ続けて」
「わ、わかった……それでね、悲しいことが続いて、誰かが私に言ったの――あの子は呪われてるって」
「酷い! 叶は悪くないのに!」
御言は憤った様子で、身体を起こす。
枕を脇へ置き、布団の上で正座するように座り直した。
恋バナに浮かれていた雰囲気は、もうない。
「身寄りもなくなった私は家に閉じこもって、ずっと泣いてた。毎日施設や役場の人が来たけど、誰も信じられなくて……」
次を語ろうとしたその時、冷たい氷が溶けるように叶は優しく微笑んだ。
「そんな時、隣に住んでた新が急に家に来て言ってくれた。『これからは俺がずっと傍にいる。だから笑ってよ、叶』って」
「か、かっこいい!」
御言は再び恋バナモードに突入した。
「小さくても新は人を思いやれる子だったんだね!」
「うん。新ったら次の日も、そのまた次の日も、雨の日も、風の日も、自分が熱を出した日だって来たんだから」
「ふふ、体調崩した日は駄目でしょ」
「だよね」
叶と御言は顔を見合わせて笑う。
この過去を恋敵に話すとは思わなかった。
「ねぇ稲荷坂さん」
「なに?」
「稲荷坂さんはどうして新が好きなの?」
叶が尋ねると、御言はきょとんと目を瞬かせる。
枕を抱きかかえ、「うーん」といいながら少し視線を泳がせると口元を緩めた。
「私もね、叶と似てるんだ。朱美ちゃんから聞いてると思うけど、小さい時に新と出会って、困ってる私を新が助けてくれたの」
「助けた……その時、私と紬ちゃんもいたんだよね?」
御言は「うん」と言って、目を細めた。
「あの時、まず新が私を見つけてくれて……その後に叶と紬が来たの。でも、ほんのちょっとの時間だったから覚えてなくても無理ないよ」
「ごめんね……でも、稲荷坂さんになにがあったの?」
「簡単に言うと、あの時の私、凄く心細くて……とても……とても怖かった」
御言は窓の外を眺めながら、声のトーンを落とした。
「その時、一人だった私のもとに新が来て、『もう大丈夫だよ』って言ってくれたんだ」
「凄い、私の時とほとんど一緒だね」
「でしょ?」と笑う御言の顔は、今まで見たどれとも少し違って見えた。
長い時間ずっと抱きしめてきた想いがあるような、そんな顔だ。
似た境遇のせいか、叶には彼女が今感じている気持ちの温かさがわかる気がした。
「ねぇ稲荷坂さん」
「なに?」
「稲荷坂さんは私が新のことを好きなこと、どう思うの?」
「もちろん、複雑な感情がないわけじゃないよ。でもね、叶が新を好きでいてくれることは、嫌じゃないんだ」
「……嫌じゃ、ない?」
叶は思わず聞き返した。
御言は枕を抱きしめたまま、幸せそうに目を細める。
「叶の話を聞いてわかったもの。叶にとっても新はすごく大切な人なんだって、その気持ちすごーくよくわかる」
「私も……稲荷坂さんの気持ちは……わかる」
「ありがと叶」
御言は仰向けになって満足げな表情を浮かべた。
「あー話せて良かった。やっぱり叶は良い子だ」
御言は枕を抱き締めたまま、布団の上をごろごろと転がる。
頬はゆるみっぱなしで、恋バナの余韻を全身で味わっているようだった。
「ねぇ、叶」
「なに?」
「私、叶ともっと仲良くなりたい」
「……私も」
すっと出た言葉に御言は、「やったぁ!」とにっこりと笑う。
「じゃあさ、お近づきの印に一つお願いしていい?」
「私に出来ることなら」
叶が答えると、御言は枕を脇に置く。
それから、布団の上でまた叶の正面に座り直した。
「稲荷坂さんじゃなくて、御言って呼んで?」
叶は一瞬目を丸くしたあと、拍子抜けしたように肩の力を抜いてくすっと笑った。
「……わかった。ねぇ御言?」
「なに? 叶」
「——私、絶対に負けないから」
叶のエメラルドのような瞳が、真っ直ぐ御言を捉える。
御言は一瞬きょとんとしたのも束の間、嬉しそうに叶に抱きついた。
「言ったなー! 私だって!」
「きゃ! ちょ、ちょっと御言!? 変なところ触らないで!」
二人だけの室内は、笑い声で満たされていった。




