温もりを奪う雨の中で
「ん……」
気がつくと、最初に感じたのはいまだ降り続く雨の音だ。その次に身体中を走り回る痛みに気がついた。
「ぐ……うぅ……」
意識を失う前のことを思い出し、新は体を起こして傍で横たわる女子生徒に声をかけた。
「お、おい! 大丈夫か?」
「……うぅ」
反応はある。
しかし、意識はないに等しい。
そんな女子生徒は、頭から血を流していた。
頭は派手に血が出るというが、医者でもない新が見たところで重症か軽症かもわかるはずがない。
そして体は長らく雨に打たれていたせいか、震えている。すぐさま運ぼうと、新は女子生徒のもとへ向かおうとした。
「……ぐっ!」
立ち上がろうとした瞬間、右の足首に激痛が走った。
自覚した途端に、熱を持ったようにずきずきと脈打ち始める。
くるぶしの辺りが、酷く腫れている。
どうやら転げ落ちたときに挫いたようだ。
「これじゃ歩けそうにないな……」
転げ落ちてきた斜面を見上げた新は、腰を地面に下ろしたまま足を引きずって、女子生徒の元へ向かう。
新一人では運べない。ここで共に助けを待つしかない。
「智也! 聞こえるか!」
叫ぶが返事は無い。
もしかしたら新の姿が見えなくなり、探し回ってるのかもしれない。
ならば電話で呼び出せばいい。
ポケットからスマホを取り出す。
だが、その希望も一瞬で潰える。
転げ落ちた拍子で、画面が割れてしまって使えない。
この間も、女子生徒は変わらず震えている。顔も青白い。
新は反射的に、自分の上着を脱いで被せようとした。
けれど、すぐに手が止まる。
雨を吸って重くなった上着を被せたところで、温めるどころか、余計に体温を奪うだけかもしれない。
出来ることを必死に探していると、突如女子高生が呻き始めた。
「……う、うぅ」
「おい! 大丈夫か!?」
「頭……痛い……」
か細く答えた女子生徒の頭からは、いまだ血が流れている。
絆創膏など持っていない。
代わりになるものはないかと新はポケットを探る。
出てきたのはハンカチだ。
このまま血を流し続けるのは良くない。
ハンカチも濡れているが、幸いそこまで汚れてはいなかった。
「ごめん、ちょっと傷口に触れるぞ」
新は女子生徒の傷口に、ハンカチをきつく絞って当てる。
次に押さえられるものを探した。
しかしそう簡単には見つからない。
周囲にあるのは、濡れた草と泥と折れた枝ばかりだった。どれもハンカチを押さえられるものではない。
「何かないか……何か……」
焦る新は自分の身体に視線を落とす。
そして気づいた。
「……叶、ごめん」
そう呟いた新はジャージのファスナーを下げ、前を開いて脱いだ。
そして中に着ていた叶から借りたシャツの縫い目を、両手で掴んで引き裂こうとした。
ドラマやアニメでよく見るシーンだが、そう簡単ではない。
生地は伸びるばかりで、思うように裂けてくれない。
それでも奥歯を噛みしめ、全力を込めた。
するとびり、びり、と嫌な音を立てて、シャツは肩のあたりから裂けていく。
そのまま袖が一本の細長い布になるまで裂くと、ハンカチを挟んで女子生徒の頭に巻いた。
「着てたやつだけど、我慢してくれよ」
正しい処置なのかはわからない。
けれど、血を流し続けるよりはましなはずだ。
「……寒いよぉ……」
女子生徒が、か細く呟く。
次にできるのは、彼女の身体をなるべく冷やさないことだと思った。
頭を揺らさないよう、後頭部へそっと手を添える。
そのまま、慎重に女子生徒の体を抱き寄せた。
新は座り込んだまま、力なく傾く彼女の上半身を胸元で受け止めた。右頬が胸に触れるように支え、体温を逃がさないよう彼女の背に腕を回す。
次に鬱陶しくなったのは雨だった。
少しでも凌げれば、体温の低下も抑えられるだろうと、新は辺りを見回した。
「……これは」
ふと目に留まったのは、蕗に似た、新の顔よりもずっと大きな葉だった。
太い茎の先に広がった葉が、雨粒を受けて重たげにしなっている。
「……ないよりマシか」
空いた手を伸ばした新は、一際大きな葉の茎を掴んで根元の辺りでへし折る。
女子生徒の頭上に翳す。葉が一枚では、新の頭上までは覆えなかった。
傘には程遠いが、幾分か女子生徒に降りかかる雨は凌げる。
今の新にできるのはこれで精一杯。
あとは助けが来れば……。
助けはいつ来るのだろう? 雨が止めば? 日が暮れてから? それとも明日の朝?
そんなことを考えてしまうと、急に心細くなった。
「誰か! 誰かいないのか!」
返事はない。
「……くそ……寒いな」
次第に新の体も冷え、震えてきた。
空を見上げると、雨は弱まってきている。
丁度、新が死んだあの日と同じくらいの雨だ。
……もしかして、また雨の中で死ぬのだろうか?
よくない方向へ思考が傾いたときだった。
――ころん。
異質な音が雨音に混じって、新の耳に届いた。
新が顔を上げる。
ころん。
また聞こえる。
ころん。
どんどん近づいてくる。
ころん。
それは四回目で姿を現した。
それは道中見かけた、木の葉を纏った変な生き物だ。
赤ん坊程の大きさだが、それを支える木の枝で出来た足は細く、頼りない。
首元にぶら下げた木の鈴を鳴らし、よちよちと歩き、新のすぐ目の前まで寄って来た。
「お前、さっきの」
反応するように生物は硝子玉のような金色の瞳を新へ向ける。
言葉は発しない。代わりに木の鈴の音がころんころんと鳴った。
雨に濡れたその身体は苔と葉で覆われているせいか、ひどく重たそうに見える。頭の上に生えた若葉からも、ぽたり、ぽたりと雨粒が落ちていた。
「傘は持ってないのか?」
生物は「傘ってなに?」とでも言いたげに、鈴の音を鳴らす。
「……ならいいものがある」
新は近くにあったもう一枚の大きな葉へ手を伸ばして、茎を折った。
「ほら、お前のサイズならちょうどいいだろ?」
新は葉を生物に差し出す。
生物の指は三本。関節の数は同じで、新の差し出した葉を器用に握る。
最初は扱い方がわからないのか、生物は葉をじっと見つめていた。
「こうだよ」
新は自分が女子生徒にかざしている葉を、少しだけ持ち上げて見せた。
理解したのか、生物は葉を頭の上に掲げる。
葉の縁から雨粒がぽたり、ぽたりと落ちるのをしばらく見て、生物は鈴を鳴らした。
ころん。
ころん、ころん。
さっきよりも、どこか弾んだ音だった。
生物は葉をかざしながら、雨が好きな子供の様にぴょんぴょんと跳ね始めた。
「気に入ったのか?」
新が問いかけると、答えるように生物はもう一度、ころんと鈴を鳴らした。
不思議と、不安と右足の痛みが少しだけ和らぐ。
すると生物の硝子玉のような金色の瞳が、新の胸元で浅い呼吸をする女子生徒へ向けられた。
「怪我してるんだ。この人だけでも助けられないかな?」
藁にも縋る思いで、生物にそう言った。
もちろん、無理だということはわかっている。
しかし、他に頼れるものがない。
生物は新と女子生徒を交互に見る。
そして、ころんと鈴を鳴らして新に背を向けた。
小さな背中が、濡れた草むらへ向かっていく。
ころん、ころんと木の鈴の音が、雨音に混じって少しずつ遠ざかる。
葉の傘を差したまま、生物は草むらの奥へ溶けるように消えていった。
「まぁ、そう都合よくはいかないか」
笑みで寂しさを誤魔化す。
雨は徐々に弱まっていた。けれど、身体の芯に染み込んだ冷たさは消えない。右足は熱を持ったように痛み続け、葉の茎を握る指先は少しずつ感覚を失っていた。
それから、どれだけ時間が経ったのかわからない。
十分? 三十分? それとも一時間?
徐々に眠気を覚えてくる。だが、眠ってはならないと何度も自分に言い聞かせる。
女子生徒の上にかざした葉を握り直す。
寒さによる震えは止まらない。
右足の痛みさえ、遠くなり始めていた。
……まずい。
新の意識が沈み始める。体がぐらりと傾いた時だった。
「――新!」
聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、白銀の髪が視界に入り込んでくる。
倒れかけた新の身体を受け止めたのは、御言だった。




