記憶はずれの雨
五十メートル先も見えない豪雨の中、新達は「休憩所」と書かれた木製の小屋へ駆け込んだ。
中にはすでに他の班が数組、雨宿りをしていた。
「ひっどい雨だな」
タオルで頭を拭く智也がぼやく。
御言は首元のシャツをつまみ、襟元を少しだけ引っ張って内側をのぞき込んだ。
「うぇ~ジャージの中までべちょべちょだ。叶は大丈夫?」
「私なんか、リュックの中も全滅……」
リュックの中からびしょ濡れのノートやプリントを取った叶は、げんなりとした表情をする。
その傍で新も、リュックを下ろした。
「皆一緒さ。それよりも……これじゃ風邪ひくな」
新は濡れたジャージのファスナーを下げて脱ぐと、すぐにその内側のシャツも脱いだ。
「ちょ! ちょちょちょちょっと新!」
突如、叶が声を裏返させて両手で顔を覆う。
その隣の御言は「ほう」と興味有りげに新の体を見つめた。
「新って、細身だけど良い身体してるね」
「稲荷坂さん! なに観察してるのよ!」
叶は両手で顔を覆ったまま、御言に向かって叫ぶと、少しだけ指の隙間を開ける。
そこから見えたエメラルドのような瞳は、しっかりと新へ向いていた。
「あ、新もなにしてるの!」
「なにって……服脱いだだけなんだけど」
「他の人の目とかあるじゃない!」
「男の上半身なんて、別に見られて困るものでもないだろ」
「私は困るの!」
叶が叫ぶと、御言が「はいはーい」と口を挟んだ。
「私、着替えあるよ! 運良く濡れてなかったから、新、着て?」
「それじゃ御言の着替えが無くなるだろ」
「いいのいいの、私は平気だから!」
御言はリュックの中をがさごそと探ると、乾いたシャツを一枚取り出した。
「ちょっと小さいかもしれないけど」
「いやでも、これは御言の……」
「いいからいいから。はい、ばんざーい!」
御言はにこにこと笑いながら、シャツを広げて新の前に立つ。
その勢いに押されて、新が両手を上げようとした時だった。
「だ、だめー!」
叶の叫びが割り込んだ。
「叶?」
「稲荷坂さん! 新に着替えは渡さなくていいよ! えっと……そう! 私、紬ちゃんから新の着替えを預かってるの!」
叶もリュックの中を漁り、一枚のシャツを取り出した。
「はい、新! これ着て!」
叶は強引に新へシャツを渡す。
受け取ったシャツはずしっと重かった。
「叶……これ、叶のシャツ……それに濡れて――」
「いいからこれ着て!」
新が苦笑いを浮かべる。すると、智也が「ちょっと待て」と口を挟んだ。
「今、紬ちゃんが用意したシャツって言ったか?」
「そ、そう!」
嘘が下手くそな叶の目線は泳ぎまくっている。
すると、智也はなぜか真剣な顔で一歩前に出た。
「それは俺が着よう」
「は?」
親友の予想外な発言に、新は濡れた叶のシャツを持ったまま、静かに半歩後ろへ下がった。
「智也……お前まじか」
「新、さぁ俺に渡すんだ」
「いや、これ叶のシャツだと思うんだけど……」
「なんなら夕食で好きなおかずをお前にくれてやる」
新の言葉も聞かず、智也が手を差し出す。
そこに慌てた様子で叶が割って入った。
「わわわわ! いいから~!」
叶は智也のシャツを引っぺがし、御言のシャツをひったくると、そのまま智也の頭に被せる。
新の時は顔を覆っていたのに、智也に対しては一切ためらいが無い。その手際の速さは、体感一、二秒だ。
「叶ちゃん、ちょっと小さいかも……」
新よりもガタイの良い智也に、御言のシャツは完全にサイズが合っておらず、ぴちぴちに伸びてしまっている。
しかし叶はそんなことを気にせず、新へ振り向いた。
「はい! 新も着て!」
「わかったよ……」
これ以上は埒が明かないと、新は叶のシャツに袖を通す。
案の定、濡れた布が肌に張りついて、気持ち悪い。
それでも何とか着終えた時だった。
「それで置いてきたっていうの!?」
休憩所内で女性の鋭い声が響いた。
声のする方へ新達が視線を向けると、そこには別クラスの男女が今にも掴みかかりそうな剣幕で睨み合っている。
「違うって! あいつが『観察地点に忘れ物をしたから先に行ってて』って言ったんだよ!」
「だからって、この雨の中一人にしたの!? 一人くらいついていってあげればいいじゃない!」
「あいつが一人でいいって言ったんだよ!」
「それでも――!」
このままでは収拾がつかない。
そう感じて新は動く。
しかし新だけではない。先に二人の間に入ったのは智也だった。
「ちょいちょいちょい! どうしたどうした」
智也の言葉に、女子生徒が揉めていた男子生徒を睨みながら答えた。
「この人達と同じ班の女子生徒が行方不明なの」
「行方不明って……他の休憩所に行ったとかじゃ?」
智也の言葉に男子生徒が答えた。
「それはないと思う。道はたくさんあるけど、どのルートを通ってもこの休憩所が一番近いし、絶対ここを通るはずなんだ」
その言葉に新が問いかけた。
「出発地点の研修センターに戻った可能性は?」
「そうだといいんだけど、あいつと連絡がつかないんだ」
焦りを隠せない男子生徒の表情には明らかに後悔が溢れていた。
「くそ……そいつの言う通りだ。一人で行かせるんじゃなかった……」
男子生徒が拳を握りしめると、新と智也は互いを見合わせる。
すぐに互いの考えを理解すると、二人はずぶ濡れのジャージに再び袖を通した。
「探しに行こう」
新がそう言うと、叶は新の袖口を掴んだ。
「ま、待って! この酷い雨の中探しに行くの!?」
「あぁ、叶と御言は待っててくれ」
「待ってって……」
行かせたくない。叶の顔はそう言っていた。
だからこそ、新は笑ってみせた。
「大丈夫だよ叶。道はわかりやすいし、すぐ戻るさ」
次に新は御言へ視線を移した。
「御言、叶と待っててくれ」
そう言ったが、御言も納得できていない様子だった。
「待って新! 私も行く! 私は――」
御言の言葉はそこで止まるが、その先の言葉は容易に理解できる。
私は神だし、力になれる。
その通りだ。現時点で一番頼りになるのは、もしかしたら御言なのだろう。
しかし――。
「御言……叶と一緒にいてくれ」
新の言葉に、御言は一瞬だけ口を閉ざす。
そして、すぐに理解したように叶を見て「わかった」と呟いた。
「よし智也、行こう!」
「おう!」
休憩所備え付けの防水仕様の懐中電灯とスマホ、それから濡れても使えそうなタオルを持った智也が、男子生徒達へ向き直った。
「お前達のルートは?」
「七十二番ルートだ! 俺達も行くよ!」
「よし、じゃあ行くぞ」
そう言って新達は四人で豪雨の森の中へ駆けだした。




