見下ろしていたのは
「はぁ~空気が美味しい!」
新の視線の先で、大きく息を吸い込んだ御言が心底幸せそうに頬を緩ませた。
ジャージに着替えた四人は、各々の荷物を背負って研修センターの裏手から続く森の遊歩道を歩く。
思っていたよりもずっと深い森だった。
左右には背の高い木々が立ち並び、枝葉が頭上で重なり合っている。
陽の光はその隙間から細く差し込み、薄緑色の光になって遊歩道を優しく照らしていた。
人が歩きやすいように踏み固められた土の道だが、勾配が激しく、どちらかと言えば登山道に近い。
場所によっては道の外れは崖なっており、もちろん落下防止のロープは張られている。
「三人共、早く早く!」
先を歩く御言が振り返って手招きする。
残された三人の中で、智也が肩にかけたリュックを背負い直しながら口を開いた。
「御言ちゃん、元気だな」
元々神だし、こんな山道大したことないんだろ?
新は心の中で答えて、隣を歩く叶を見た。
「叶、大丈夫か?」
「うん、まだ平気」
叶はそう答えたものの、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
普段の通学路とは違う。
舗装された道ではなく、踏み固められた土の上を歩く感覚は、思ったよりも足にくる。
「無理すんなよ。きつかったらペースを落とそう」
「ありがと、でもまだ大丈夫だから」
叶はそう言って、小さく笑った。
「なんか、懐かしいね」
「懐かしい?」
「ほら、小さい頃、学園の裏にある山をよくこうして登ったよね」
叶の言葉に懐かしい記憶が、新の脳裏に蘇る。
まだ背も低くて、ランドセルがやけに大きく感じていた頃のことだ。
稲守市は、駅前や学園周辺はそれなりに発展している街だ。
空き地や田畑だった場所も、月日が経つごとに住宅や店へと変わってきている。
けれど、瑞穂学園の校舎裏にある山だけは昔のまま手つかずだ。
そこは新だけではなく、稲守市で過ごした多くの子供達の遊び場でもあった。
放課後になると新も、叶や紬、そして友人達を連れて裏山へ向かい、よく落ち葉や土を踏みしめたものだ。
「懐かしいな」
感慨深げに新がそう言うと、叶はなにかを思い出したようにぷっと吹き出した。
「どうした?」
「あの山で新が作った木の剣を思い出しちゃった。ほら、アルティメット・ドラゴンブレイドだっけ?」
「叶、頼むからそれは忘れてくれ」
頬に今まで感じた事のない熱が宿る。
叶はここぞとばかりに、悪戯じみた笑みを浮かべた。
「新、言ってたよね。『これはただの木の枝じゃない。選ばれし者だけが扱える伝説の剣だ』って」
「叶、やめて。ほんとにやめてください」
「ふふ、でも私は結構好きだったよ。あの剣を持ってる時の新、頼もしかったから」
叶はそう言って、少しだけ目を細める。
「奥の方まで行くの、ちょっと怖かったけど……新がそれ持って前を歩いてくれたから、平気だった」
叶の言葉に、悶える新がちょっとだけ救われた時だった。
「おーい、二人ともー!」
少し先から、智也の声が聞こえた。
顔を向けると、道の先で智也と御言がこちらに手を振っている。二人の前には、古びた木製の解説板が立っていた。
板にはこの森に生える植物や、周辺に棲む小動物についての説明が書かれていた。
どうやら、今回の班行動で調べる最初の観察地点にたどり着いたようだ。
「やっと、最初のチェックポイントか」
ぐっと伸びをした新が、ふと真上を見上げた時だった。
「……ん?」
頭上の太い枝の上に、何かがいた。
最初は苔の塊かと思ったが違う。
確かに動いている。生物であることは間違いない。
しかしそれは、新が知る生命のどの分類にも当てはまらない異端だった。
それには、枯れ枝をそのままつけたような細い手足がある。
赤子サイズの身体は苔と葉で覆われ、体の中心にはコロンと心地良い音を鳴らす、木の鈴がついている。
森の一部にしか見えないほど周囲に溶け込んでいるが、ただ目だけが違う。薄暗い木陰の中で丸い二つの瞳だけが、淡い金に光っている。
それが、じっと新を見下ろしていた。
「お、おい……あれなんだ?」
新が枝の上を指差すと、叶と智也もつられて上を見上げた。
「え? なに?」
叶が額に手をかざし、枝の上を覗き込むように目を細めた。
「鳥でもいるのか?」
智也も枝の上を見つめる。
けれど、二人の反応はどこか鈍かった。
「いや、あそこだよ。ほら、太い枝の上」
新はもう一度、指先に力を込めた。
苔と葉に覆われた小さなそれは、相変わらずじっと新達を見下ろしている。
「……何もいないけど。成瀬君見えた?」
「俺にも見えないな。苔の塊か、葉の集合体がそれっぽく見えただけじゃないか?」
「いや、そんなはず……」
新がもう一度枝の上を見ると、ジャージの袖口がくいっと小さく引っ張られる。
振り向くと、そこには御言がいた。
彼女はなにも言わず、新にウィンクをする。
その意味は、すぐに理解した。
あれは先日の火事現場にいたあの少女の霊のように、神の力に触れた新と神そのものである御言にしか見えない存在なのだと。
「あーごめん! 見間違いだったわ」
わざとらしく新は笑う。
叶と智也は、少し呆れたように視線を下げた。
なかでも智也は「やれやれ」と呆れた様子で肩をすくめた。
「大丈夫か? アルティメット・ドラゴンブレイドの後遺症じゃね?」
「おい、ぶっ飛ばすぞ」
軽口を叩いたその時だ。
新は鼻頭に、ひやりとした感覚が落ちた。
「……雨?」
新がそう口にすると、答えるようにぽつ、ぽつと雫が葉を叩く音が聞こえ始めた。
瞬く間に乾いた地面が黒く染まっていく。
やがて雨は、頭上で生い茂る葉だけでは収まらないほどに強まっていった。
「今日って一日晴れ予報じゃなかったか?」
智也はリュックを頭の上に掲げ、慌てて雨を避ける。
新は強い違和感を覚えながら、木々の隙間から空を見上げた。
おかしい。
新の知る宿泊研修では、こんな雨は降らなかった。
この日は一日中晴れていたはずだ。
班行動も予定通り進み、最初のチェックポイントも次の観察地点も何事もなく回った。
雨なんて降らなかった。なのに現にこうして、雨粒は頬や肩を濡らしている。
それは何故か……見当がつかないことはなかった。
御言だ。新が前回経験した宿泊研修との最大の違いは彼女の存在。
彼女は以前言っていた。「神である私が干渉するだけで、未来は変わる」と。
この雨も、その影響なのかもしれない。
「とりあえず、雨宿りできる場所に!」
新の声に三人は同時に頷くと、降りしきる雨の中、ぬかるみ始めた道を走り出した。




