宿泊研修当日
宿泊研修当日。
貸切バスの車内は、朝から妙な熱気に包まれていた。
まだ出発して間もないというのに、後ろの席では菓子袋の音が鳴り、前の方では担任の杉江が何度目かの注意を飛ばしている。
新は窓側の席に座り、その隣には智也がいる。
通路を挟んだ向こう側には、叶と御言が並んで座っていた。
「なぁ新」
智也が肘で新を小突いた。
「なんだよ」
「紬ちゃんへのお土産、なにがいいかな?」
「別にいらないんじゃないか? 旅行に行くわけじゃないんだし」
「わかってないな。紬ちゃんとの接点が欲しいんだよ俺は」
お前は勘が鈍いな。と言わんばかりに呆れる智也に新は半眼を向けた。
「それを兄である俺の前で堂々と言うか?」「お前に隠しても仕方ないだろ」
智也が紬に想いを寄せているのは小学生の頃からだ。
当時から普段は良い意味でも悪い意味でも、誰に対しても遠慮のない奴のくせに紬を見るたびに、借りてきた猫のように大人しくなっていた。
当時は紬の名を口にするだけで声が震えていたのに、今こうして兄の前で堂々と好意を口にしているのは、成長の証だろう。
「紬はかなりの甘党だ」
「ほう、じゃあ現地限定のクッキーとか?」
「良いんじゃないか? ……あっでも、直接渡したいなら少し日をおいた方がいいぞ」
「なんで?」
新は「いや……」と言葉に詰まって、苦笑した。
宿泊研修は一泊二日。
もちろんその間、紬とは顔を合わせない。
それは兄離れ出来ていない紬にとって、かなり深刻な問題なのだ。
中学の修学旅行の時も、泣き喚く紬を説得するのに二週間かかった。
今日だって、紬からのメッセージが止まらない。
帰ったらまず、紬との時間を優先しなければならない。
きっと、新と二人きりの時間を作らないと暴れだすだろう。
「紬に嫌われたくなければ、言う通りにしろ」
「よ、よくわかんねぇけど、わかった」
智也が背もたれに体を深く預けて答えた時だった。
「ちょっと稲荷坂さん!」
隣から叶の声が聞こえた。
ふと視線を向けると、窓側の席に座った御言が、膝の上いっぱいにお菓子を広げている。
「ん? なーに叶?」
「いくらなんでも持ってきすぎじゃない?」
「いいじゃない! せっかくのお泊まりだもん!」
御言がチョコのかかった細長い菓子を一本つまみ上げる。
そして何の迷いもなく、叶の口元へ差し出した。
「ほら、叶も食べよ? あーん」
御言が、叶の口に菓子を近づけた。
嫌と言う間もなく、叶が菓子の先端を加えると、御言は菓子から手を離してにっこりと笑った。
「美味しい?」
菓子をくわえたまま、叶は小さく頷いた。
けれど、すぐに手で持つことはせずに細長い菓子を少しずつぱき、ぱき、と口先だけで食べ進めていく。
そして最後の一口を食べ終えると、口元に手を添えた。
「あんまり食べ過ぎちゃ駄目だよ? 到着したらすぐにお昼ご飯なんだから……」
「大丈夫大丈夫! 私の胃袋を甘く見ないで!」
胸を張る御言に、新は頭の中で御言が一度に食べる食事量を思い出す。
始業式の日も、いなり寿司を五パックぺろりと平らげていた。
そこは神の規格なのか、それとも御言が単に大食いなのかはわからない。
新が少し遠い目をしながら窓の外を眺めていると、最前列の杉江が立ち上がり、バスの後方へ振り返った。
「そろそろ到着するぞー準備しろー」
その言葉に御言の表情は更に明るくなった。
「もう到着なの!? 楽しみだなぁ」
御言は窓に両手をついて、流れる景色の先を見る。
バスの窓の向こうには、緑に囲まれた広い敷地が見えていた。
暖かな木の色の建物と、整えられたロータリー。
その奥には、背の高い木々が風に揺れている。
「ねえ叶。最初はどうするの?」
「まずは荷物を持って集合。全体ミーティングをして昼食。その後に各班で行動開始かな」
「了解! 新、智也、離れちゃ駄目だからね!」
「稲荷坂が一番どっかに行きそうだな、新」
「同感だ、智也」
「どういう意味よそれ!」
人生二回目の、高校二年の宿泊研修が始まった。




