憎悪
「最初からそうすればよかったのに」
綾乃が男達に目で合図を送る。
男の一人が叶の口を塞いでいた白い布を解く。
自由になった口で、叶は開口一番にこう言った。
「新! 私、絶対に嫌だよ!」
「叶……ごめんな」
「嫌だ! 新と一緒にいたい!」
叶は拘束されたまま身体を必死に前に押し出す。
椅子の足が床を擦り、徐々に新へ近づく。
「おっと、大人しくしてよ叶ちゃん」
男の一人が叶の肩を押さえて、椅子を元の位置へ引き戻した。
「嫌っ! 触らないで!」
叶は必死に身をよじるが、男の手は離れない。
「新……私は新がいないと……」
エメラルドのような瞳から涙が溢れる。
今すぐ駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られるが、今の新は唇を噛みしめることしか出来ない。
「叶、俺は――」
「そこまで、もういいでしょ? 柚木さんは解いてあげるから」
言葉を遮った綾乃が再び目で合図を送る。
男達は下卑た笑みを深めて叶の拘束を解いた。
「新!」
自由になるや否や、叶は新のもとへ駆けだす。
しかしすぐに男に腕を掴まれた。
「嫌っ! 離してよ!」
叶は掴まれた腕を振りほどこうとするが、華奢な女性の力では限度がある。
それどころか叶は男達の輪の中へ引きずり込まれていく。新は綾乃へ鋭い視線を向けた。
「話が違うぞ! 叶は離すって約束じゃないか!」
「離したじゃない」
声を荒げる新に綾乃は悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「椅子からは離してあげたでしょ?」
「ふざけるな!」
「ふざけてないわよ。私は『拘束を解く』って約束しただけ。その後、柚木さんがどうなるかまで面倒を見るなんて一言も言ってない」
新の顔から血の気が引く。
これほどまでにない憎悪が身体を震わせ、奥歯がぎりぎりと鳴った。
「青潟……っ!」
「そんな怖い顔で見ないで。これからパートナーとなるというのに……まぁ、私に楯ついた報いを受けさせるのも大事よ。それにこのままだったら確実に助けを呼ぶでしょ? そんな気を起こさせないくらいに心も身体もズタズタにしてやらないと」
綾乃は腕を組んだまま、男達に顎をしゃくった。
「へいへい、了解っと」
男は叶の腕を乱暴に引っ張ると、倉庫の奥へ連れていこうとする。
「新ぁ! 新ぁぁ!」
「叶! 頼む青潟! やめてくれ!」
新の必死の乞いにも綾乃は口角を上げたまま答えない。
「やだ……やだぁぁ!」
叶の悲痛な叫びが倉庫に響き渡る。
抵抗を続ける彼女に苛立った男が、強引にその身体を引き寄せた。
「大人しくしろって言ってんだろ!」
「嫌だっ! 離してよぉっ!」
「この……アマ!」
男が右手を振り上げる。
「やめろぉぉっ!」
新の叫びも虚しく、男の手が叶へ振り下ろされようとしたその時だ。
——叶のコートの内ポケットの辺りから、淡い光が漏れ出した。
最初はほんの小さな光だった。
しかし、それは瞬く間に輝きを増し、暗い倉庫の床を黄金色に照らしていく。
「な、なんだこれ!? がっ!?」
突如男達が苦しみ始める。
その隙に叶は掴まれた腕を振り解き、新のもとへ走り出した。
「新ぁ!」
「叶!」
叶は新に抱きつく。
余程の恐怖だったのだろう。確かな震えが彼女の身体から伝わった。
「う……なにこれ……」
綾乃も男達と同様に頭を押さえて苦しんでいる。
しかし、新に抱きつく叶を瞳に映すと表情を一変させた。
「なんで……なんであんたばっかり助けてもらえるの!? 寄り添ってくれる人がいるの!? 私はどんなに頑張ってもパパは見てもくれないのに!」
頭を掻きむしる綾乃の身体から、見るからに禍々しい濃紫の煙のようなものが滲み出す。
顔を歪める綾乃は頭をぶんぶんと振った。
「うっ……ああぁぁ……いやあああぁぁっ!」
「な、なにが起きた?」
新は目を見開く。
異変は綾乃だけではない。叶を襲おうとした男達の身体からも、同じような煙が噴き出し始めている。
「なんだよこれ……! 身体が……!」
「ぐああぁぁっ!」
「助けてくれ……」
男達が次々と床に横たわっては虫の様に身体をくねらせる。
すると、新に抱き着いていた叶が鉄柱の裏側へと回り込んだ。
「叶! 何かがおかしい! 俺はいいから逃げろ!」
「新と一緒じゃなきゃ嫌!」
叶は鉄柱に回された縄の結び目を探し、震える指先で懸命に解こうとする。
その間にも綾乃達から噴き出す煙は量を増し、倉庫の天井付近へと集まっていく。そんな中、幸いにも新を結んでいた縄が解けた。
「叶!」
「新!」
自由になった両腕で新は叶を力いっぱい抱き締める。
彼女の確かな温もりに心からの安堵を感じた後、床で苦しんでいた綾乃を見下ろした。
「うっ……あぁ……」
綾乃達のもがき方も、徐々に力が無くなってきている。
やがて誰一人として動かなくなった。
「お、おい……!」
新が呼びかけても返事はない。
そして天井付近を漂っていた煙が、まるで意志を持っているかのように渦を巻き始めた。
なにか人の常識では考えられないことが起きている。
そう直感した新は叶を守るように抱き締める腕にさらに力を込めた。
「新……あれなに?」
「わからない……」
天井に溜まった煙の中には、こちらを見てニタリと不気味に笑っているような模様が見える。
しかしその時、今度は新の胸元から先程の叶のような黄金色の輝きが放たれる。
輝きは一枚の薄い層を成して、新達を包み、すぐに煙へと届く。
その瞬間、煙が激しく波打つ。そして水の中を泳ぐ魚のように宙をくねらせ、逃げるように天井の隅へ消えた。
静寂が訪れる。
なにが起きたのか理解できずにいると、どこからともなくサイレンの音が近づいて来た。




