選択肢はない
「ん……」
目を覚ました新がまず理解できたのは、自分がどこか薄暗い空間で腰を下ろしていることだった。
うなだれた視線の先には、灰色のコンクリートの床が見える。冷たい空気が肌に触れ、ぼんやりとしていた意識が徐々にはっきりしていく。
「んー! んー!」
言葉にならない声に顔を上げる。
正面には、椅子に座らされ、口元を白い布で巻かれた叶がいた。
「叶!」
新が叫ぶと、叶は身体を大きく揺らす。
どうやら背もたれの後ろで両手を結ばれているらしい。
「叶! 大丈夫か!?」
即座に立ち上がろうとしたが、身体が動かない。
そこで新はようやく気づく。
背中には冷たい鉄柱が押し当てられ、両腕はその両脇から後ろへ回されていた。手首は柱の裏側で縄にまとめられ、両足も柱に縛りつけられている。
「くそっ……!」
新は力任せに腕を引く。
縄が手首へ食い込むだけで、びくともしない。
「んーっ! んー!」
「大丈夫だ! 今助けるからな!」
さらに腕に力を込める。
すると、外へ繋がる扉がガチャリと開く。
現れたのは数人の男だった。
「お、起きてる」
「おはよー彼氏君」
男の人数は四人。
見覚えのある顔、それは駅前で叶をナンパした男達だった。
先ほどまで残っていた意識の霞は、とうに消えている。
眉間には深く皺が寄り、奥歯を噛み締めるたびに顎の筋肉が僅かに動いた。
「……お前ら」
低く絞り出した声には、隠しきれない怒気が滲んでいた。
男達は叶を取り囲むように位置をとると、下卑た笑みで新を見下ろした。
「さっきはどうも」
「……叶を離せ」
「怖いって……まだなにもしてないよ。ね? 叶ちゃん?」
男の一人が叶の肩に手を乗せる。
それを見た途端に新の胸の奥から、今まで感じた事のない感情が湧き出た。
「叶に触んな!」
怒声に答えたのは、背後から聞こえた声だった。
「そう怒らないで? 藤宮君」
カツカツと硬い足音が床を叩く。
やがて視界の端に人影が入り、その人物は新の横を通り過ぎた。
「青潟……」
新を襲った張本人は新の目の前でしゃがみ、視線の高さを合わせた。
「ごめんね藤宮君、でもこれも全てあなたのためでもあるのよ」
「自分のことは自分で決める。余計なお世話だ」
「ふふ……じゃあ自分で決めてみなさいよ」
青潟はそう言って立ち上がる。
そして叶の方へ視線を向けた。
「……やって」
次の瞬間、叶を囲んでいた男たちが一斉に動いた。
「んっ……! んーっ!」
一人が椅子の背に手をかけ、もう一人が叶の肩を押さえつける。
叶は必死に身体を捩るが、両手を縛られた状態では逃げることもできない。
「おい……何する気だ。やめろ!」
新が全身に力を込める。
ガンッ!
鉄柱が大きく音を立てた。
「やめろ! やめてくれ!」
新の言葉に男達は答えない。まるでお預けされていたご馳走にGOサインが出たように醜い笑みを浮かべたまま、叶を左右から押さえ込んだ。
「やめろって言ってんだろ!」
新は何度も縄を引く。
手首が擦れ、痛みが走る。
それでも構わず身体を前へ投げ出そうとした。
「青潟! 今すぐやめさせろ!」
「自分のことは自分で決めるんでしょう? なら止めてみなさいよ」
新は奥歯を強く噛み締めた。
青潟はそんな新を見下ろしながら、ゆっくりと腕を組んだ。
「ほら、藤宮君」
視線の先では、叶が必死に首を振っている。
エメラルドのような瞳からは涙が溢れていた。
「わ、悪かった! なにが目的だ!」
新の叫びに、青潟はくすっと笑って叶の方へ視線を向けた。
「止めて」
その一言で、男たちの動きが止まる。
「んっ……んぅ……」
叶は肩で荒く息をしながら、新を見つめていた。
頬を伝った涙が顎先から落ちている。
「叶……」
無事を確かめ、新が僅かに息を吐く。
その様子を眺めていた青潟は、呆れたように首を傾けた。
「本当にその子のことしか見えてないのね」
「いいから答えろ! 何が目的なんだ!」
「簡単よ」
青潟は再び腰を屈めると、新の顎を掴んで強引に顔を上げさせる。
「そこの女を捨てて、私と結婚しなさい」
「なんで……そんなことを」
「前も言ったでしょう? 貴方の隣にふさわしいのは私だけ……愛情は後々湧いてくるでしょう? 二人でこの国を引っ張っていくの。そうすればパパも私を見てくれるわ」
「勇さんは……そんなこと望んでいない」
新がそう言うと、綾乃の顔から余裕が消えた。
「……あんたになにがわかんのよ」
新の顎を掴んでいた手に力が入った。
「私はずっと頑張ってきたのよ。勉強も、習い事も、人付き合いも……パパに認めてもらえるように全部! なのにパパは仕事ばっかりで最近は電話も出てくれない!」
新は黙って綾乃を見つめる。
言葉だけを聞けば、昔から抱えていた願いなのだろう。
「でもあなたを……ビジネスパートナーとして重要な藤宮家の御曹司を身内に置けば、パパもきっと!」
「それが俺にこだわる理由か……」
「そうよ……それでどうするの? 私を選べば、その子は離してあげる」
新は青潟越しに叶を見る。
彼女は激しく首を横に振っていた。
駄目。
そんなこと言わないで。
声にならなくても、何を伝えようとしているのかはわかった。
だが、選択肢など無いことはわかっている。
「――わかった」
短く小さな言葉は、これまでの人生でなにより新を苦しめた。
綾乃はニタリと笑った。




