貴方は消えない
幼少期から知り合って以来、初めての大喧嘩をした二人は、頭を冷やすためにビルの壁に背を預け、アスファルトに腰を下ろしていた。
「落ち着いたか?」
先程までの荒ぶった声が嘘のような、智也の静かな問いかけに新は苦笑いを浮かべた。
「あぁ……今は右の頬がじんじんする」
「うっ! わ、悪かったよ……」
智也がバツの悪そうな顔をすると、会話は一度そこで止まる。
沈黙は表通りから聞こえるクリスマスソングに埋められた。
「それで……叶ちゃんのことはどうすんだよ?」
智也が再び口を開く。
先程本心を口にした新の胸の内は、明らかに風通しが良くなっていた。
「決めたよ――俺も叶に好きって伝える」
「……やっとかよ」
口角を上げた智也が立ち上がった。
「なら早く行ってこいよ」
「……その前にやるべきことがある」
新も立ち上がる。
アスファルトについていた部分を手で軽く払った。
「叶より、まず先に頭を下げるべき人がいる」
「……御言ちゃんか」
「あぁ、ぶん殴られようと、刺されようと、筋は通さないとな」
新は短く息を吐き、表通りへ続く道へ目を向けた。
「行ってくるよ」
「おう、頑張れ」
親友の言葉は短くとも、確かに新の背中を押す。
足はすぐに肩幅大の間隔で地面を蹴り、裏通りを抜け、イルミネーションで彩られた通りを進む。
そして新は駆けながらスマホを取り出し、叶に電話をかけた。
コールが鳴っている間に、このあとの行動を考える。
まず叶に謝って、迎えにいく。
そして家へ帰ったら御言に許してもらうまで頭を下げて、その後に叶に想いを伝える。
彼女はどんな顔をするだろうか?
怒るだろうか?
笑ってくれるだろうか?
どちらでもいい。
とにかく叶の隣にいたい。
そう思いながらも、耳にあてたスマホから叶の声は聞こえない。
もしかしたら家に帰ったのかも……紬に聞いてみよう。
一度通話を終了した新が、紬に電話をかけようとしたその時だ。
人混みの中で、一際目立つ銀髪が揺れているのを見つけた。
「御言!」
「あ! 新!」
新を見つけるなり、御言は駆け寄ってくる。
「どうしてここに!」
その問いに御言は答えず、眉間に皺を寄せたまま新の目の前まで来ると、右手を強く握り込んだ。
「み、御言?」
「このっ、馬鹿ぁっ!」
ドスッ!
御言の拳が新の鳩尾へ深くめり込んだ。
「ぐえっ!!」
肺の空気を一気に吐き出し、新の身体がくの字に折れる。
両手で腹を押さえ、その場に膝をついた。
周囲の視線が一気に新と御言へ集まる。
傍から見れば聖夜に痴話喧嘩するカップルに見えるかもしれない。
「な、何すんだよ……」
「私言ったよね! 素直になってって、叶のお願い聞いてあげてって!」
「言ったけど……」
「ならなんで叶が勇気を出したのに、それを拒んだの!? 新が叶を好きなことなんてお見通しなんだから!」
もう一発殴ってやろうかと言わんばかりに握った拳を顔の横に掲げたままの御言を、新は呼吸を整えながら見上げた。
「だ、だから今叶を探してたんだ……俺も好きだって気づいたから……」
「……え? そうなの?」
御言が握った拳を下ろすと、新はよろよろと立ち上がった。
「でも、ちょうど良かったかもしれない」
呼吸を整えた新は御言に深々と頭を下げた。
「御言、ごめん! 俺、叶と一緒になりたい! そして俺が消えることを伝えようと思う!」
御言から言葉は返ってこない。
また殴られたっていい。新は頭を下げたまま続けた。
「俺、叶が好きだ! たとえ悲しませるとしても……それまでは幸せにしてやりたい……」
まだ言葉は返ってこない。
「気がすむまで殴ってくれていい! どんな罰でもうける! だから……今は叶の一番近くにいさせてほしい!」
周りの視線も気にせず、新は御言の返事を待つ。
「なに? 修羅場?」
「クリスマスに喧嘩って……ある意味忘れられないよね」
そんな声が耳に入る中、ようやく御言の声が聞こえた。
「顔を上げて、新」
新はゆっくりと顔を上げる。
再び見えた御言は優しく微笑んでいた。
「やっとわかったんだね……遅すぎるよ」
「御言……」
「素直になってくれて、私も嬉しい」
御言はゆっくりと新に近づく。
そして互いの吐息がかかりそうな距離で止まった。
「藤宮新、今この時をもって、あなたとの契約を無効とします」
「そ、それって……」
御言は微笑んだまま、新の胸に手を当てた。
「あなたは来年の夏、消えない。柚木叶とずっと一緒にいられる」
「で、でもそれじゃ! 御言はなんのために……」
戸惑う新の胸に暖かな光が灯る。
他の人から見えないくらいのほんの微かな灯りだ。
「神の気まぐれだと思って……私は新が叶のことを好きになってくれて……本当に嬉しい」
新の胸の光が全て御言の手へ吸い込まれていく。
やがてその全てが消えると、御言は次に新の腫れた右の頬に手を添えた。
「これはどうしたの? こんな顔じゃ、叶がびっくりしちゃうよ?」
「これはさっき智也に……」
「智也君、本当にいい友達だね……」
今度は御言の手から光が灯り、新の右頬を温かく照らす。
次第に智也に殴られ、腫れ上がった箇所は何事もなかったかのように消えた。
「はい、行ってきて。叶は新の家の近くの公園にいるよ」
「御言、これじゃ俺はお前に……」
「私のことはいいの。どうしてもって言うなら、今度稲荷寿司を沢山食べさせてね」
「……ごめん!」
新は駆け出し、御言の横を通り過ぎる。
彼女の方を振り返ることもなく、ただ真っすぐと、叶のもとへ向かった。




