偽物騎士の救世姫
目が、覚めた。
「……、……?」
奇妙な感覚だった。
私は雪原のような塩と灰の大地に立っている。一瞬前、風景は白黒で、まるで、たった今、この位置に再配置されたような────
「さぁ魅せてアインハルト──私の運命の導き手! ここからどう逆転してくれるのかしら? 私、とっても楽しみ!」
所感も程々にして我に返る。
世界に色彩が取り戻される。
崩れかけの廃墟の壁の向こうには、狂笑しているフィリアと、それと対峙する銀の騎士。
……ここに来た理由は覚えている。
私は、やるべき事をやらないと。
「──み、」
右手をフィリアへと向け、詠唱と同時に体内の魔力を活性化させた。
その瞬間。
「破壊齎す神罰の刃」
なんです──!?
いきなりだった。いきなり天災よろしくな極光が炸裂した。
雷霆に等しい破壊の現出。
閃光弾の何百倍以上の威力でそれが視界を真っ白にし、その場に崩れ落ちた。
……間違いなく死んだかと思ったが、大丈夫だ。神聖の攻撃には《冥府神の加護》で完全耐性がある。
「っ……、」
ともあれ戦闘が再開してしまったのは間違いない。視界も戻ってきたので、早く二人の後を追──……?
「え、」
目の前に、いた。
昨日のように思える記憶よりも、背が伸びて、髪も伸びて、逞しく成長なされたその姿。
──アインハルトが。
「……見つけた……」
つまり、見つかったということだ。
……さっきの光で、《ステルス》が解除されてしまったのか。なんという不覚──
「あ、えーと──うわっ」
気まずさに目を逸らしかけた時、否応なく抱き締められた。
ちょ、戦場!! 戦場!! 感動の再会は仕方ないけど、状況状況!!
「ええと、アイン? 気持ちは分かるけど、今は、」
「──…………、」
「……アイン……?」
なにか様子がおかしい。
感極まるより、噛み締めているような。
……いや、当たり前か。七年だ。十年近くぶりの再会ともなれば……
「──アイ、ン。あいん、ハルトォ……ッ!!」
「!?」
血の底から這いずったような声がした。
彼の腕の中で身じろぎして視線をやれば、半身、黒焦げになった体を再生しているフィリアが遠くから近づきつつあった。なにあの黒焦げゾンビ。
……しかし『血の聖杯』バフがあるとはいえ、あそこまでダメージを入れるとは……
「……まずはそちらからか」
「! ま、待ったアイン、今のあいつに攻撃は──」
「ヴァイス」
通る声で、はっきり名を呼ばれた。
少し此方から体を離し、見下ろされた優しい顔は、相変わらず綺麗で、
「大丈夫。俺が必ず倒す。……信じてほしい」
「──っ……」
もうそれ以上、何も言えなくなった。
この程度の覚悟。この程度の決意だったのか?
自問自答と自己嫌悪で、死にたくなる。
……あれだけ別れの決心を固めていたのに。
こんなたった一言で、なにもかも瓦解してしまう。
(……違う)
……腑抜けかけた己に怒りを覚える。安堵を覚えた甘さを嫌悪する。
何をしている救世主。
一度でも命を懸けると決めたなら違えるな。
──彼に護られるだけの存在になったら、私に一体なにが残る……!?
♰
(……ああ)
自分の言葉を受けて、悔しそうに俯いた姿に、アインハルトは眩しそうに目を細めた。
そうだ。そうだった。
彼女は簡単に護らせてくれる子じゃなかった。
安心させようとかけた言葉は逆効果で、絶対の庇護下に置いてもすり抜けてしまう。
やり過ぎなほど勇気があって、厳し過ぎるほど強すぎる。
きっと、「一緒に戦おう」と言えば嬉しそうに顔を上げるだろう。
──でも。今回だけは。
ずっと一人で戦ってきた彼女だからこそ、護られていてほしい。
「……アイン。だったら、せめて私も──」
「ダメ。却下」
「うえっ」
即答却下されて、がぁんと彼女がショックを受けた顔をする。
「君がするべきなのは俺を導くこと。そして俺の役目は──君を護ることだ」
「あ……」
「いい加減、約束を果たさせてくれ。もう何年も騎士の名が折れている。ここの見せ場まで君に取られたら、そろそろ転職を考える他にない」
「て、転職……」
「だから、ヴァイス」
頬を撫でる。きちんと、最愛の実体を確かめるように。
「ここは俺に任せて、護られることに耐えてほしい。……君がそこにいるだけで、どんな敵にも勝てるから」
……もう、反論はなかった。
目が見開かれ、零れそうなほど涙を溜めた彼女は、口をつぐみ、一度だけ顔を伏せて。──頷いた。
「……わかった。がん、ばって」
「うん。すぐに戻るよ」
その頭を一撫でする。
名残惜しくも彼女から離れ、体を引きずるようにして今も寄ってきている外敵へ目を向ける。
「──待たせたな」
「ウ、フフ……いいわ、許してあげる。どうやって石化を解いてここまで来たかは分からないけど……楽しみが増えたもの。最後の幸せな時間を邪魔するほど、野暮じゃないわ」
先ほどの一撃でフィリアの肉体こそ焼き切ったものの、やはり生命力を奪うには至っていない。
権能による保護。血の聖杯。
救世主にしか太刀打ちできない力だからこそ、ヴァイスもあんな無茶をしたのだと今なら解る。
「……、」
アインが立ち上がる後ろで、傍観に徹すると決めてくれた彼女も動く気配がある。
何も言わずに、ただ見届けてくれている。それでいい、と向けられた視線に頷き、改めて敵を見据えた。
(……この魂の本質は、解析と解体……)
ほんの数分前。
遥か未来から受けた記憶は、この地点で起きた一つの終着と、現時点の己が扱える権限に関する知識。
破壊神は各周期、各時代を巡り、旅路の最終地点において、運営する神格を取り込む。
だが所詮は人の身で生まれ落ちた以上、いくら魂が高次に昇華されていようと、最後の時代で器ともども神格に至らなければ、全能の力は行使できない。
例えば、今ここで神としての力を振るおうものなら、今度は己が彼女を置いていくことになってしまうだろう。
(……複雑な工程は必要ない)
ここで、自分たちが前に進むために必要な条件はただ一つ──
「フィリア・セレスティア」
──瞬間。
魔王の顔は、呪いを受けたかのように固まった。
「な……なん、で」
「お前は自分が魔王だと誓えるか?」
「は、はは……何言ってるの。魔王よ、私は魔王よ、見て解るでしょう!? 当たり前でしょう、今さら何をッ!!」
「神への信仰は捨て去ったと誓えるか?」
「──ぁ──、」
短い問答。
だが態度と言葉で、証明材料には十分だった。
彼女も理解し始めた頃だろう。
この問いかけは、神からの問い。
アインハルトを「破壊の神格」と認識し、信仰しているフィリアにとっては致命となる。
──偽証も虚言も許されない。
──彼女はどんな答えも肯定できず、否定もできはしない。
黙秘。
それだけがこの場を切り抜けられる回答だった。
だが──
「え……? ま、待って、なんで!?」
「……!?」
動揺するフィリアとその様子に、傍観していたヴァイスも息を呑む。
……そう。神の追及を逃れられはしても、その手に持つ「血の聖杯」は、真なる魔王にのみ力と加護を与えるもの。
答えに渋ったフィリアの頭上から赤い光輪が消失していく。
加護の喪失。魔王としての資格の剥奪。
それが意味するところは──
「裁定者として此処にお前の正体を白日の下に晒そう。神聖看破」
「──ッ!?」
刹那、黄金光が場に閃いた。
同名のスキルを、ヴァイスは見たことがあった。
大司教。神に仕える者らのみが行使できる《鑑定》スキルの上位互換。
だが今、アインハルトが発動させた力こそ、大元にして根源だと理解する。
……彼女は見る。《鑑定》が見せる魔王フィリアの神威の加護が書き換わる様を。
『魔王第一位』から。
『シスター』、に。
「……っく、あ……」
「──、」
フィリアの顔が屈辱に歪む。それをヴァイスはやりきれないように眺めていた。
種族の変更。まさか、魔王からの零落があろうとは。
そして神々の機構は、魔に堕ちた者の名を認識しない。
ただのシスター。魔王と名乗る、ただの。
「ッ──《赫灼魔剣・鮮血浄土》ッ!!」
赤色の魔力が爆発した。
フィリアの横に、その身長ほども長さのある真紅の大剣が顕現する。
もはや権能でもなければ強大な加護でもない。それは何百年と生きた吸血鬼の覚悟の表れにして、最後の戦闘手段だった。
「……私の、本質を明かしたなッ……!! どうして……どうしてどうしてどうしてどうしてッ!! どうしていつも裏切るのッ!? 貴方だけは違うと思っていたのに!! 他の神々を打ち滅ぼし、新世界を創り出す貴方だけはッ!!」
「……それを、どこで……」
ヴァイスが思わず零した疑念に、血のシスターは憎々しく返す。
「血の聖杯を手にした時よ……その時、私は私の役目となすべき事を全て理解したの。聖杯が見せたいずれの未来でも、私は破滅の種となって世界に厄災をバラ撒くッ!! 魔族も、人間も、この世界を彩る総てが血に濡れ、美しく咲くの!! それなのに、どうして……ッ」
彼女の瞳に宿るのは底なしの憎悪と怨念だ。
これが八体もの魔王を滅ぼした悪逆と復讐の徒。己が辿りうる総ての可能性を理解しながら、なおも魔王の座に就き、世界を血の海に沈めることを決意した悪の華。
「こんな世界、一時でも護って何になるというの!? どうせ次の世界の礎にされるだけの土台なら、どうなっても構わないじゃない!!」
「綺麗事すら吐けなくなったか、聖職者。壊す価値すらなくなった世界に、意味はない。血濡れただけの大地に、新世の曙光は訪れない」
決裂と訣別は明白だった。
もはや交わす言の葉は不要。
己が剣を執り、向かい合った者たちが為すべき事はただ一つ。
白塩の大地。
凪いだ世界に、一閃の風切りの音が鳴る。
それを、傍観者だけが見届ける。
魔力。収束。解放。衝突。極光。
──斬撃。
「がッ……」
神罰は下った。
魔剣も、その身も、命も断ち切られ。
おびただしい血潮と、灰化する肉体。そこに倒れ込んだ名もなきシスターは、愕然と、到来した運命に沈んでいく。
「どうして……なんで……? 憎んだらいけなかったの、恨んで何が悪いの……? 最終的に壊すことが定められているなら、何を、したって……」
「神々の意志は、それを求めない」
「っ……く、うぅ、ううううぅぅ……!! アイン、ハルト、私は、私──本当に、貴方のことが──」
「……それは違うよ」
言ったのは、ヴァイスだった。
「貴方は憧れただけだ、シスター。憧れて、救われたがった。それさえなければ、貴方はきっと、世界を滅ぼすことができたのに」
「──」
啓示を受けた答えは、無かった。
灰は灰となり、塵は塵となって風に吹かれて消えた。
……雲間から陽光が差し込む。
それを仰ぎ見たアインハルトは、不意に、背中へ縋ってきたものへと振り返った。
「……ん? ……──終わったよ、ヴァイス。どうしたの?」
「……こんな心臓に悪いこと、二度としたくない……」
俯きがちのヴァイスの顔色は青いもの。
慣れないことをさせたのだから当然だった。
「……もう騎士とか救世主とかいいから、アインは農夫でもやってて……」
「えぇ? あー……でも、久々に、そういうのもいいかもね」
「? 久々?」
怪訝な顔を向けてくる彼女に、彼は苦笑する。
そういえば、まだ、そんな昔話も話していなかったか。
だけど──
「……うん。君に話していないこと、沢山あるんだよ、ヴァイス」
剣を鞘に収め、騎士は護り抜いたものの手を取る。
長い、長い旅路を歩いてきたような気持ちのままで、
「帰ろう」
──ずっと言いたかった一言を、ようやく告げた。




