白
「……はあ……」
蠱惑的な声色と共に、恍惚とした息が吐かれた。
濃霧で包まれた廃墟街だ。荒れ果てた土地、その一角にある廃教会の屋根の上に、彼女はいた。
見る者全てを魅了する美貌の持ち主。黄金に輝く髪を流す、黒いドレスの女だ。
魔王フィリア。
この霧世界の支配者であり、現行世界における最大の人類の脅威。
「待つのも、待たされるのも恋の醍醐味って言うけれど……実際に好きな人が来てくれると、待った分の何十倍も嬉しいものね♡」
その真紅の双眸が、地上を見る。
白い霧の向こうから──一人。
待ち焦がれていた相手が、その姿を現した。
「ヴァイスはどこだ」
銀雪の髪色に、蒼玉の瞳。
聖剣を既に抜剣しているアインハルトが、彼女を射殺さんばかりの鋭い眼差しを向けていた。
「……んもう、それが第一声? 逢引に他の女の名前を出すのはマナー違反よ? でもいいわ、そういうところもぜーんぶ私が教えてあげるから!」
パチン、と彼女が気軽に指を鳴らす。
瞬間、地上の霧が晴れていく。そしてその中から、何十、何百、何千もの数の吸血鬼──もはや理性も自意識も失い、彼女の手駒と成り果てた人型の輪郭だけを残した怪物たちが姿を見せる。
「さぁ……踊りましょうアインハルト? 私を貴方のモノにしてくれるまで……絶対めげないんだから!」
「お断りだ。死ね、怪物」
「うんうん、それならもっとお互いのことを知りましょうね!」
話が通じない。
交渉も和解も遥かに遠い。
己の夢に溺れる女は、ただ、狂愛と恋慕を以って、無邪気な子供のように眷属たちへ命を下した。
騎士を屈服させよ──と。
「永罪楽園」
剣を振る、風切りの音もなかった。
ただ一言。詠唱もない即時発動。彼の足元に展開した魔法陣から、神罰の魔力が拡散した。
「……あれ?」
一瞬で出来上がる塩の砂漠。
眷属だけではない──近場の廃墟までも巻き込んで、辺り一面が、一瞬で、
「ヴァイスはどこだ」
──白紙の大地と化した。
♰
「あ、始まったな」
戦場の一角が大規模に白く染まったのを確認できた。
廃城、その見張り台だったと思しき場所にいた。高い位置からなら、こうして数百メートル先で起きている事象も把握できる。これだけ距離があれば、流石のアインハルトやフィリアも、此方からの視線や気配には気付かない。
一応、ドレスの上から外套を羽織り、フードも被ってはいる。廃城にあったものを拝借したので埃っぽいが、そこはまぁ仕方ない。
「……おい……今、向こうでとんでもない魔力の気配があったんだが……」
恐怖の帯びた声を漏らしつつ、後ろから来たのはアイザックだ。
お前もようやくかつての自分の愚行を正確に理解する時が来たようだな。
「あれがアインハルトだよ。お前が喧嘩売った騎士団長」
「はぁ!? 我輩がいつそんな命知らずな真似をしたと!?」
「竜使いの女の子を誘拐したじゃん。あれ、彼の仲間だよ」
「…………おい。言うなよ。貴様、絶対言うなよッ!?」
「普通に見つかり次第殺されるでしょ。お前、吸血鬼なんだから。ていうか魔剣の呪い、霊王に解除してもらえたの?」
「……何やら特殊な祭祀場に行く必要があるらしい。まさかこの歳になって霊峰を登る羽目になるとはな……」
それって裏ダンの一つじゃなかったっけ? どうやらアイザックの受難は続くらしい。
人生忙しそうで何よりだ。
「で、なにをするつもりだ?」
「……魔王を倒す」
思いのほか、気軽に口した。
どうでもいい相手だからか、こんな決意さえ、薄っぺらく言えてしまった。
「そして、神に世界を救わせる──それが私の生まれてきた意味だ」
できるできないじゃない。
やらなければいけないことだ。
「意味、か。下らんな。そんなに生きる意味が欲しいのなら、生まれて来なければ良かったものを」
「……今、初めてお前が魔王に見えたわ」
「殺すぞ貴様ァ!」
だがアイザックの意見は無理難題だ。
生まれてこない事を選択できるのなら、誰もこんな苦労してないだろう。
この世には、生まれてきた奴らしかいないんだから。
「第一、なぜそこまで救世に拘泥するのかが未だに分からん。貴様は異常者だ! 怖くないのか!」
「ん? 怖いに決まってるだろ。じゃなきゃレベル上げなんてしてないよ」
「……は?」
「お前らのような魔王が何体もいる世界に生まれて、生きていたいと思ったことが、一秒でもあるわけがないだろう?」
思い出す。
原初の記憶。救世しなければならいという使命を理解したあの瞬間を。
恐ろしかった。
恐ろしくて堪らなかった。
「私の今生は恐怖から全てが始まった。レベルを上げてないと精神なんて持たないよ。強力なスキルを一つでも多く取得して、傷一つつかない体になりたいと何度願ったと思う?」
世界は破滅する。
世界は滅ぶ。
吸血鬼が台頭し、いずれなにもかもを滅茶苦茶にする。
「なのに、肝心の未来のラスボスがあれじゃあねぇ……卑怯だよ。お陰で恐怖は決意と覚悟に変わってくれた。愛の賜物だ、ああ皮肉だよ?」
彼を愛した。
好きになった。
世界が、怖くなくなった。
でも。
「愉しんでなきゃ生きてられないっての」
魔物を倒すことで得られる安心感。
経験値を累積して、生きた証を積み重ねる達成感。
私の今生は、それが全てだった。
「人生も運命も未来も意味もクソだ。でも、唯一生きていいって思った理由が、今もあそこで戦ってるあいつなんだ。彼が創造する世界なら……きっと美しい」
きっと、良い世界になる。
まだ、遠い遠い未来のことだろうけれど。
「だから私は世界を救う」
♰
駆けていた。
息が白い。否、空気が冷え切っているのだ。
漂白の世界は熱さえ浄化の光に消え、永久凍土と化していた。
その中で。
──天罰の雷光が奔る。
不死を謳う吸血鬼の亡骸が灰と散りながら斬り飛ばされる。塵と塩。大地の白さは蒸発した彼らの足跡であり、彼に歯向かった者が受ける当然の罰だった。
「邪魔だ」
斬光が地平線を横切る。
それだけで何百、何千もの吸血鬼がその命を枯らす。
「どけ」
時間稼ぎにもならない大群は、再び拡散された彼の神聖の魔力によって消し飛ばされる。
白く、白く、白く──大地も空も、色を失っていく。
「【愚導輪廻】──!」
死をエネルギー体として撃ちだす必殺の魔法が発動する。
追ってくる処刑人からの逃亡を愉しむ様を見せながらも、フィリアは全力で己が尽くせる手を全て尽くして彼の打倒を試みる。
「天塵燦光」
死をも浄化する神聖魔法がそれを相殺しにかかる。
天使の塵。陽光のように全てを優しく照らし出す白は、この時、あらゆる終焉を跳ね除ける暴力的な嵐の塵光となって場に拡散した。
見る者の網膜さえ焼き尽くす極光。かろうじて残存していた廃墟街が更に白紙の大地を広げ、文明の痕跡も塩と消えて無くなっていく。
「居場所も知らない彼女を巻き込んだらどうするつもり?」
「神々の加護を持つ彼女がこの程度で消えるはずないだろう……」
実際、ヴァイスが持つ三重加護のうちの一つ、《冥府神の加護》には神聖への完全耐性を付与する力がある。……そもそも、彼女の気配が範囲内にあれば、アインハルトは確実に気が付くが。
「いつまで続けるつもりだ?」
「貴方に私の心が届くまで……!」
「そんな時は永遠に来ない」
相対する両者。
距離にして、たった十数メートル。
剣を構えたまま、アインハルトは再度、問う。
「──彼女は、どこだ」
「教えるわけがないでしょう? 貴方は永遠に私を殺せないし、私のレベルを上回る人間が現れない以上、貴方以外に私を止められる者はいない。さぁ、もっともっと踊り続けましょう? 私、今、とっても幸せだわ!」
花が咲くような笑顔を見せるフィリア。
それだけ見れば、万民が焦がれる聖女そのものだ。しかし、
「気概がないな」
「え?」
「お前の言葉にはまったく魅力を感じない。単純に俺がお前を嫌っていることもあるだろうが、単純に、お前個人に愛せる要素がない」
「あら酷い……でもね? どんなに言っても無駄なの。たとえ貴方がどんなに私を退けようと拒絶しようと、私が貴方を愛する限り、運命は変わらないわ。何十、何百年懸かっても、必ず口説き落としてみせ、」
「いや、そこだ」
「?」
は……と冷めた息で、眼差しで、呆れたように彼はその事実を突きつけた。
「正面からヴァイスと戦いもしないで、俺を口説こうとしている様がみっともない」
「──、」
「負けるのが怖いとしても、矜持がない。そういうところに好感が持てないし、魅力を感じられない。だから、」
「あ……ゃ、」
「──お前とはもう付き合えない。潔く諦めて死んでくれ」
もう彼の瞳には、一切の躊躇いがなかった。
フィリアという情報源を殺せば、二度とヴァイスの居所を知る術はない。
だがそれでも、少なくともフィリアという障害は確実に消え、探し人を捜索する効率は上がる。故に、
「わ……私を、殺すの? え? なんで? か、彼女に会えなくなってもいいの?」
「必ず探し出すから問題ない」
「な、何の根拠があって!」
「俺は彼女を愛してる。だから何年かかっても必ず取り戻す。だから問題ない」
猶予期間はとうに過ぎた。
人間の寿命は短い。そんな中で、延々とこんな邪魔者のために使ってやる時間など、
「灰燼熾剣・万象裁決」
──ない。
神聖。浄化。撃滅。漂白。その全てが、一撃によって地上にもたらされた。
光も音も物も風も熱も。世界を構築するその全てが浄土と還る。
消滅。
ただ一つの現象に特化した究極の攻撃は、ただ彼が聖剣に集約した魔力を解放したに過ぎない。聖剣内部に篭められていた魔力の封が解け、本命の一撃はこれからという、ただの封印解除。
それだけで天地の概念が消し炭となる。
光も灰も霧も晴れた後、爆心地から半径五百メートルの範囲には、塩と灰で彩られた白い大地しか広がっていなかった。
「しぶといな……」
アインハルトは再び目の前で魔王が生き返る気配を感じ取っていた。
一度灰にした程度では滅することができない。脅威の不死性には目を見張るものがあるが、あくまでも彼の視線は冷たかった。
灰燼の中から両手をつきながら肉体を再生させ、魔力でドレスを編みつつ、魔王フィリアが起き上がってくる。
「ふふ、魔王の執念を甘く見ないでね? 貴方のことなら、なんだって、幾度だって受け止めてみせるわ!」
「気色が悪い」
直後、天の怒りが如き雷霆が戦場に轟き渡る。
それでもフィリアは死に至らない。
「無駄よ、無駄なの! 貴方と遊ぶために私、こんなに強くなったんだから! そんな攻撃力じゃ全然足りないわ! ああもう、消し飛ぶのがクセになっちゃう!!」
「……、【セイクリッド・オーバーレイ】」
「なッ」
不意に放たれた神聖魔法を。
──フィリアは攻撃範囲外へ、全力で逃げた。
「回避したな。そうか……もう貴様にとって肉体の滅びは死に値しない。魂ごと破却しなければ滅ぼせないんだな?」
「な、なんのことかしら」
「とぼけるなよ。受け止めてくれるんだろ」
殺意しか乗っていない一言と共に──
地獄の神聖の豪雨が、魔王を襲い始めた。
♰
「……気付いたか」
戦場での攻撃の質が変わったのを察知し、アインもまた、あの魔王の滅ぼし方を理解したようだと悟った。
魔王フィリア。レベル一千オーバーの化物個体。
魔王はレベル千を超えると物理耐性を超え、もはや肉体を消し飛ばされた程度では完全には死ななくなる。
不滅の存在の誕生だ。
その本体は「魂」となり、これを神聖魔法で傷つけない限り、HPを奪えない。
《決戦領域》に引き込んでしまえば、肉体損傷も魂への攻撃とみなされて貫通攻撃が通るようになるのだが……やはり魔王必殺フィールド様様か。
「……貴様の出番なくないか? あの勇者に任せておけば、なにもかも解決するのでは?」
「そうはならないから救世主が必要なんだよ。さ、行くか」
《ステルス》を発動させ、アインの探知範囲から逃れつつ、戦場入りすることにする。
魔王第一位のトドメは一筋縄じゃいかない。それはたとえ、最強の聖騎士アインハルトを以てしても、例外ではないのだ。
「やっぱり……最後は派手にいかないとね」
立ち上がり、眼前に広がる天地を見据える。
怒りと憎しみ。決意と覚悟。
それでも心持ちは、死期を悟ったかのように穏やかに。
──救世主になる時がきた。




