取引
……私の制服、着てる……
見た目だけならコスプレに失敗した感がちょっと否めない。
不愉快極まる。
「何か飲む?」
「……あら。じゃあいただくわ」
一切表情を変えずに彼女の横を通り過ぎ、ベッドに荷物を置いて、冷蔵庫を開けてワインを取り出す。
アイザック秘蔵の一瓶だ。アイツしばらく戻ってこないしいいだろ。
グラスをキッチンから持ってきて、ミニテーブルに置く。トクトクとワインを注ぐと、美女がグラスを掲げ、「ふうん?」と声をあげた。
「てっきりもっと驚いてくれるかと期待したのだけど……いきなり客人のもてなしなんて、貴方、変わってるのね?」
「そう?」
「そうよ。もしかして自覚がないの? それはそれで愚かを通り越して滑稽ね。……愚かと滑稽の違いなんて知らないけれど。ん、良いワインねぇ」
意外そうに目を丸くするワインソムリエ。
気配も雰囲気も、普通の人間と変わらないように感じる──何かの偽装スキルだろうか? そういえば彼女はかつて、他の吸血鬼の眷属に潜んだことがあったんだっけ? 人間になりすますのも朝飯前というワケか。
「ご用件は?」
「あの子と別れてくれない?」
「あ~……」
ストレートに来たなぁ、と思う。
わざわざこんな話し合いの席を設けに来てまで、まず出る話題がソレか。
「別に、今ここで貴方を殺してしまっても構わないのだけど……でも、それだと芸がないでしょう? 死にかけの貴方を抱いて、泣き叫んでる姿の方がキュンと来るもの」
「趣味最悪」
「ふふ、人間如きに私の好みが分かるわけないでしょう? 殺すわよ~?」
目が笑ってない。
これは地雷に掠めでもしたら即殺されるやつだ。悲劇系は空想に留めてほしい私だった。
「……どうしてそんなに彼に執着するんですか?」
「あら! あらあらあら! 聞きたい? 聞きたいのね? 私と彼がいかに強固な運命で結ばれているのかを! その馴れ初めを!」
向こうは初対面だって言ってたケドナー。
だが、普通に気になる話題だ。コクリと真剣に黙って頷き、続きを促す。
気分を良くしたらしい相手は、微笑みを深くする。
「あれはね……貴方がいなかった三年後のことよ! 愛しい妹を亡くした彼は、わざわざ私の居城にまで足を運んでくれるの! しかも、それまでに生き残っていた魔王の大半を殺して、私と二人っきりになってまでね!」
それは──原作軸でのアインハルトの動向か。
彼女が如何にしてその情報を知り得ているのかという疑問はいったん横に置いて、それは私も知らない原作の前日譚だ。
「あの時の彼ほど他に美しいものはなかったわ……妹を護れなかっただけで、もはや自分の価値さえ見失っていたの。自暴自棄、と言うのかしら? 私はそんな彼に同情したわ……だって王国も教会も、彼女の死をなんでもない事のように扱ったのよ? この世によくある死の一つとしてね。それってあんまりじゃない?」
「……それをしたのは貴方なんじゃ?」
「ええ、そうよ? それがどうしたの?」
彼女はなんでもない事のようにそう言った。
共感性が欠如しているとか、人の心が理解できないとかいう次元ではない。
別の生物なのだ。人間とは。
「ま! この世界では余計な横槍が入ったから、この私には関係のないことだけどね? でもね……本当にあの時の彼、美しかったのよ。何もかもを失って、初めて彼の剥き出しの美が露わになったんだと思うわ。私はそんな彼に何かしてあげたいと思ったの」
聞けば聞くほど耳が腐っていくようだ。
いや……目の前にいる彼女は、「知っている可能性世界」を語っているだけに過ぎない。
今日、私がアインに語り聞かせたことと、何も変わらない。
「だからもう殺される直前に、彼に言ったわ……『世界が憎くないの』って。そうよ、だって私が憎いとはいえ、元はと言えば私のような魔を生み出す世界に欠陥があるってことじゃない? 神々は何をしてるのかしらって、全てを貴方に背負わせて何をしてるのかしらねって、訊いてみたの。彼は……沈黙していたわ。ええ、彼は一言も私と会話なんてしてくれなかった。寂しかったわね……でもね、行動で応えてくれたのよ」
彼女の頬が火照っていく。
恋知る乙女そのものの顔で、両手で頬を抑えて、恍惚として。
「私は提案したわ……『何もかもを失ったのなら、変わってみない?』って。そうよ、人間が彼を救わないなら、私が救ってあげるしかないじゃない? だからその『私』は彼になにもかもを捧げたの。身も心も全て。彼と一つになって、彼の血を啜ったわ。彼も受け入れてくれた。ねえ、私たちは運命の両想いになって結ばれたのよ!」
吐き気がする。
今すぐアインを襲いたくなってきた。
「そうして私は最高の時の中で……存在を終えたわ。きっと彼に殺されたのでしょうね。でも本っ当に最高の終わりだったわ! だから私もそれを辿りたい……と、去年までは思っていたのよ」
彼女の赤い眼が細められる。
妖しい光だ。嫌な視線を感じる。
「でも貴方のことを知って、考えを改めたわ」
「……というと?」
「彼はもっともっと美しくなれる。実際、貴方といる時のあの子は本当に可愛いじゃない? なら、貴方という最愛を失った時……どんな顔が見られるか……想像するだけで面白そうじゃないの!」
「……それはないよ」
少し、笑った。
まぁ、昨日までの私なら、断言はできなかったかもだけど。
「──何故?」
「貴方の期待していることにはならない。彼はもう、変わったよ。魔にも堕ちない。貴方の甘言にも乗らない。私と出会ったのが運のツキだ。魔王になんて──ならない」
「……ふうん? 正妻の余裕ってやつ? 良い胆力ね、貴方。うん、不敬にも私と競い合う相手なんだから、それくらいの度胸がなくちゃ話にならないわね。ええ、気に入ったわ。とってもね」
声に殺気が帯び始める。
今から気まぐれ一つで、首を落とされても不思議じゃない。
それでも口を開く。言葉を続ける。
「そう、光栄だよ。だが傲慢だ。彼はもう私の男だ。他の女……どころか、溝鼠が横から手に入れられるとは思わないことだね」
「──鼠、ですって」
空気が、軋む。
今にも炸裂しそうなほどの殺気の張り詰め。針のように刺される感覚だが、しかし今は、何の恐怖も感じない。
「私はお前ら魔王を滅ぼし尽くして、平和な未来を手に入れる」
「……ふ、ふふっ! 傲慢ね! 傲慢の極みだわ! 凄いわねぇ、褒めてあげる。そんな大口を私の前で叩いた子、初めてだわ。死が怖くはないの?」
死は……それほど、怖くはない。
けれど。
「……一度決めたことは、死んでもやり遂げる。必ず果たしてみせる」
たった一つ。
「それが転生者だ」
何も出来ずに死ぬことが、一番恐い。
そんな私の宣言に、彼女は──フィリアはただ、微笑んだ。愛玩するように。大言壮語を吐く蟻を、心の底から憐れむように。
「そう……ならその強がりがどこまで続くか、見せてもらおうかしら?」
「ろくな提案じゃない予感がするんだけど」
「──私ね、一度狙った獲物は逃がさない主義なの」
ぱちん、と軽くフィリアが指を鳴らした。
瞬間、私は部屋の変化に気付く。
「セシリアッ……!?」
フィリアの足元。
そこに、倒れ眠っているセシリアの姿が現れたのだ。
「大丈夫、傷一つつけてないから安心なさい? ──ねぇ泥棒猫さん? そんなに余裕があるなら、私にもチャンスをくれない?」
「チャンス……?」
セシリアに手を出している時点で何を──とは言いたい状況だったが、彼女の命を握られている以上、相手の提案を聞くしかない。
「そう、私が彼を口説き落とすチャンスよ。どちらが彼の運命に相応しいか決めましょう?」
「……望みは?」
「賢い子ね!」
にっこりと、見る者を魅了する笑顔になるフィリア。
これほど邪悪な笑みも他にはそうあるまい。
「彼がどこまで貴方に尽くしてくれるのか、確かめてみない? 人質として貴方が来てくれるなら、この子はこのまま解放するわ」
(悪趣味な……)
そんなのアインハルトの闇堕ち指数が加速するだけだ。
提案に乗るか、乗らないか。
ここでセシリアを見殺しにして、フィリア討伐に専念する選択肢だってあるが──
「余計な抵抗はおすすめしないわ? なんなら、もっとよく私のことを視てみたら?」
「……《鑑定》。……ッ!?」
お言葉に甘えて《鑑定》させてもらうと、視界にフィリアのステータスが──レベルが表示される。
〝魔王〟フィリア──レベル1500、と。
「……き、鍛え直しすぎじゃない……?」
「あらぁ。私、一度受けた屈辱は絶対に忘れない主義なの。雪辱を果たすのなら徹底的に。さぁ、これで分かったでしょう? 賢明な判断を期待するわね♪」
こんなの、選択の余地などない。
今、彼女はこの世界で最も神に近しい存在だ。
レベル四桁──もはや《決戦領域》を展開しても、ほぼ無意味。ターンが回った瞬間、此方が即殺されるだけだろう。
知らないところでメインストーリーを百周でもしてきたのかこいつは。
完全に廃人プレイヤーのステータスの域に入っている。
『ヴァイス!! セシリアッ!!』
と、部屋の外からメリル先輩の声が聞こえた。
慌ただしい足音と気配も感じる。
「あら。結構念入りに倒しておいたのに、もう復活したのね。迷ってる時間はないわよ?」
逡巡。葛藤。
──そういったものを、私はもう少し覚えるべきだっただろうが。
「分かった、行こう。……ちょうど退屈してたところだったんだ」
その返答にフィリアは意外な顔をしつつも、すぐに笑みを深くし──
瞬間、部屋の扉が吹き飛ばされる。寮内だというのに乱暴だな、という感想を轟音の中で抱きながら、
「じゃあ行きましょうか♡」
「────ッッ!!!!」
背後から怒号が聞こえた気がした。
だがフィリアの指先が私の肩に触れると同時、全ての感覚と意識は閉ざされた。




