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量産勇者、自由を掲げよ。  作者: 陶花ゆうの
5 黄金竜の心臓
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 リベルは感極まっている。


 バールたちが組合に掛け合って、〈フィード〉に、リベルの現在地などを流すことは出来るが、文面――伝えるべき情報を考えているうちに眩暈がしてきた。


 ふらつくリベルにレイネが、「リベルくん、寝込んでたんだから、まずは食べなきゃ」と言い出した。

 食事よりも行動が重要な気もしたが、確かに空腹で倒れていては動けない。



 そんなわけで、この組合で二度目の食事である。


 湯気を立てるシチューと黒パン、リベルには何の肉だかわからない肉が厚切りにされて出てくる。

 肉汁したたる肉は、()()()がする。


 貧窮はしていないように見えるこの町は、香辛料の物流からは切り離されている。

 リベルの人生経験で絞り出せる回答は、「塩胡椒の店はないのか」で止まっているが、そういうことだ。



 ゆっくりとだが絶え間なく食事を続けるリベルの右隣にはバールが、左側にはベリオとティドがいて、リベルは思わずベリオに向かって、もうちょっと離れてもらっていいですか、と尋ねている。

 彼にとって左隣にいるべき人がいない以上、そこに他の誰かがいることに激しい違和感があったのだ。


 ベリオはきょとんとしたようだが、言われるがままに二フィートほど隙間を開けてくれた。


 リベルはほっとする。

 とはいえ周囲は人だかりで、本心からは落ち着けない。



 そんなリベルの目の前に、レイネが地図を持ってくる。

 地図といっても随分古く、隅が破けているが大きなものだ。


 丸まっていた地図が広げられると埃が舞って、「おいこの人が食べてんだぞ!」とベリオが怒鳴る。


「ごめん、思ってたより盛大に」


 地図を見る者などなく、ただの備品として長年死蔵されていたのだろう。


 ちなみに、食事中に埃が舞おうがリベルは気にしない。

 拳や弾丸が飛んでくるより遥かにいい。

 テーブルがひっくり返されないならば御の字だ。


「っていうかベリオ、自分が動いてないくせに怒鳴んないでよね」


 ぶつぶつ言いつつ、レイネが慎重な動きでテーブルの下に地図を動かし、そろそろとそのままリベルから離れて、埃を払ってから再びこちらへ持ってくる。


 リベルの前に広げようとしてくれているが、長年丸められていた地図にはその癖がついて、広げるそばからくるんと丸まろうとする。

 リベルが無言で、黒パンの乗った皿を右端に、水のコップを左端に置いて、辛うじて地図を固定した。


 地図は黄ばんで、線も滲んで掠れ、薄くなっている。

 とはいえ文字の判別は出来た。


 リベルは目を皿のようにして、まずはヘルヴィリーの文字を発見する。


「この町はどこ?」


 尋ねると、「どこだろうなあ」と返ってくる。


 リベルとしては、この期に及んで現在地の把握に梃子摺るのか、と蒼褪める思いだったが、言われてみれば彼自身も、たとえばエーデルにいるときに地図を広げられ、エーデルを指差してみろと言われても困るだろう。


「取り敢えず、マーフェ。マーフェって書いてあったら、そこがここ」


 リベルはスプーンを置いて立ち上がり、身を乗り出して地図を凝視する。


 文字は、読めこそするが得意ではない。

 数分かかって、ヘルヴィリーよりもかなり南でその文字を発見した。


「ヘルヴィリー」の文字は飾り立てられて大きいが、「マーフェ」の文字は飾り気もなく小さい。


 地図上の距離はわかっても、実際の距離が如何ほどか、リベルにはわからない。


 続いて、「ケセット」の文字を探し始める。

 目を皿のようにして地図を眺め回して、やっと見つけたその地名は、マーフェより南東に離れた位置にある。


(――ショーズ商会の本拠地は南の方だもんな)


 そんなことを思う。

 まだ、〈陽輪〉の相棒を連れているのがラディスだと決まったわけではないというのに。


 更に、位置関係を考える。

 ヘルヴィリーはここより北だ。

 引き返してヴィレイアたちと合流していては、取り返しのつかないほど時間が掛かってしまう。



 この建物に詰めかけている人々の間では、「将軍って偉いんだろ」「その身内か」「あんなに汚い格好でねぇ」「これ、衛卒に引き渡さなきゃまずいんじゃねえの?」といった囁き声が流れている。



 リベルは考えながら、シチューの最後の一口を掻き込み、バールに向き直った。


「――取り敢えず、〈フィード〉に俺のことを流してほしいんですけど」


「もちろんだ。――モア! モア、来て!」


 バールが大声で呼ばわって、驚いたことに厨房にいた女性がせかせかと進み出てきた。


 どうやら彼女が、〈フィード〉を統括している法術師であるらしい。

 厨房を取り仕切りながらそれもこなすとは、多能工化著しい。


 前掛けで手を拭いながら、彼女がぼやく。


「はいはい、大声出さなくても聞こえてるわよ。ほんっとうにバールくんって小さいときからせっかちよね」


 レイネとベリオ、ティドが噴き出し、周囲の壮年層がどっと笑う。

 恐らく、バールと幼馴染の関係にあるだろう年代だ。


 笑うどころではないリベルと、「今それはどうでもいいだろ!」と叫ぶバール。


「この人のことを〈フィード〉に流さなきゃいけねえの!」


 怒鳴るバールに、モアと呼ばれた女性ははいはいと頷き、どこにいったかしらねーと暢気に呟いて前掛けを探り、どこからともなく小さな帳面と木筆を取り出す。


 そうして、リベルの斜向かい、レイネの隣に腰掛けた。


「はいはい、なんて流しましょうかね?」


 バールがリベルを見た。リベルは顎を撫でる。


「……えーっと、まず――」


 悪戯を疑われないために、確実にリベル本人が発信している情報だと確信させなければならない。


「最初に、誰に宛ててるか入れてもらっていいですか。

 ――『エルカとヴィリー、親父さんへ』って」



 リベルも正確な階級は知らなかったが、リベルのことを「共和国将軍の縁故」と記したのであれば、バンクレットは将軍なのだろう――とはいえ、リベルでは、「偉いんだろうな」ということまでしかわからないが。

 そのバンクレットの名前を出すのは避けた方がいい気がした。


 彼のことだから、「親父さん」で察するだろう。

 リベルは――妙な照れくささがあって――彼のことを「親父さん」と呼んだことはないが、エルカは時たま呼んでいた。



「あ、その『ヴィリー』って、きみが寝言で呼んでたね」


 レイネが口を挟み、リベルはびくっとした。

 ――確かにヴィレイアの夢を見た気もするが、まさか口に出ていたとは。


 正体不明の気まずさに、腹の中からこそばゆいものが立ち昇る。


「彼がきみの仲間ってこと?」


 レイネに首を傾げられ、リベルは曖昧に頷く。

 ヴィレイアの愛称は――ヴィリー、という名前の響きは中性的だから、レイネはどうやらそれが男だと誤認しているが、わざわざ訂正するほどの誤解でもない。


 バールが咳払いする。


「レイネ、それは今はどうでもいいだろ。――リベル、続けて」


 モアがそれを遮った。

 彼女が、木筆の尻で自分の顎をつつきながら尋ねる。


「エルカ、と、ヴィリー、の、綴りを教えてちょうだいな」


 リベルは瞬きした。


 ――彼は字が書けない。

 そして、その二人の名前が書き記されたところを見たこともない。


 エルカが勇者組合に加入するときは、書類への署名もあって、ヴィレイアが付き添ってやっていたのだ。


「――そう読めれば、どうでも」


 リベルが言って、モアは拘泥せずに「了解」と呟く。

 この町の識字率はそう高くないのかも知れない。怪訝に思った様子もなかった。


「えーっと、それから、――俺のピンチに気づいてくれてありがとう。まずい状態だけど今のところ俺は無事。あと、保護せよっていうのは取り下げて。俺は取り返さなきゃいけないものがあるから、これからケセットに向かう。かなり厳しい時間の制限がある。落ち合いたい」


 そこで言い淀む。

 ちらりと自分の左側を見て、ベリオの向こうに座るティドに目を向ける。


「――法術師ってさ、どんだけ離れてても連絡は取れるの? ほら、透過視精で。ここからヘルヴィリーとかに」


 リベルの周囲にいる法術師は、ダイアニとエーデルの距離が開いていても連絡を取り合っていたが、その二人は法術の天才と一等勇者の法術師なので、世の常識はわからない。


 ティドは目を見開いた。


「え、無理むり。リベルさん、あんなに強いのにそれは知らないの? 理論上はそりゃ、他の国でも連絡できるかも知れないけど、無理だよ。ここから、首都? そんな離れ業、出来る人なんて滅多にいないよ。

 僕が伝言を送るにせよ、まあ仮にあっちからこっちに伝言を送れるような人がいたとして、その伝言を受け取るだけにせよ、透過視精に喰わせる法気が全然足りない」


「マジか」


 リベルは頭を抱える。


 では、ここからティドに、「今からリベルはケセットの一番大きな宿に向かうから」といった伝言を飛ばしてもらうことは出来ないのだ。

 いや、それが出来ればそもそも、モアにはお引き取り願って、〈フィード〉に伝言を流すのではなく、直接ヴィレイアに連絡をとってもらうが――


 ――頭が働かない。


 思えばリベルは今まで、必死になって誰かに会おうとしたことはなかった。


 いや、唯一それに近い状況にあったのはあのとき、秋の月の治癒精を巡る騒動の最中、治癒精を盗んだ法術師のそばにいるのがエルカだと確信したときだ。


 だが、あのときはヴィレイアがそばにいた。


 今もそばにいてほしい、


(じゃないと落ち着いて考えられない)


 思慮の空転が声になって零れ落ちた。


「じゃあどうやって合流すりゃいいんだ」


 互いの現在地を共有できないのならば、合流は非効率極まることになる。

 時間がない今、それは致命的だ。

 ケセットが大都市であればなお悲惨である。


〈陽輪〉を目印にしてもいいが、〈フィード〉に流れる情報は多くの人の目に触れる。

 物見遊山でじろじろと見られるのは、この際我慢は出来るが、それが致命的な障害になったらと思うと怖い。


 が、


(それしかないか……)



 リベルが、「俺は黄金竜と一緒にいるからわかると思う」と伝言につけ加えようとしたときだった。



 ティドがおずおずと手を挙げた。


「あの、伝令役が必要なら、僕、あなたと一緒に行くよ」


 リベルの目が点になった。


「距離が縮まれば、僕とリベルさんの仲間の法術師で連絡がとれる」


 真顔で続けるティドに、リベルは目を見開く。


「――は?」





*◇*◇*





「閣下!」


 陸艇が俄かに騒がしくなった。


 陸艇の客室に駆け込んできたのは、ヴィレイアもエルカも何度か顔を見たことはある、バンクレットの側近の法術師だ。



 ――初春の月二十三日の昼下がり。

 陸艇の窓には風に散る雨粒が乱舞し、見えるのは霧ばかり、陸艇は速度を落としている。


 彼らはリベルを誘拐したと思しき盗賊の本拠地に向かっている最中。

 元より殺気立っていた陸艇の中の空気が、輪を掛けて騒然とした。



「どうした」


 問い返すバンクレットの表情も険しい。

 法術師は慌てた様子で手を振った。


「〈フィード〉を監視していたのですが、動きがありまして」


「動き?」


 バンクレットの頬に血の気が戻るのをヴィレイアは見た。


 彼女自身の心臓も、狂ったように肋骨を叩いている。

 まるで怯えた鳥が力任せに暴れているかのよう。


 ヴィレイアは思わず、隣でがたんと立ち上がったエルカの手を握っている。

 握り返される力が強く、指の関節が軋みそうになる。


 その反対側の手に、彼女の幼少期からの癖が――ここのところはめっきりと表出させなくなった癖が出ていた。

 即ち、彼女の影から伸びる影兵霊の手を、固く握って自分を落ち着かせている。


 まるで小さな子供が、自分にしか見えない秘密の友達に縋るように。



 ――リベルを間に挟んで繋がった二人の絆は、数日前に比べても確実に深く濃くなっている。


 まるで、二人がしっかりと繋がり合ってさえいれば、二人の間に再びリベルを呼び戻せるのだと祈るように、絆の糸を幾重にも折り返して太くして、それに従って二人の距離が縮まったかのよう。



「動き? ――身代金の要求でもあったか?」


 バンクレットの言葉に、ヴィレイアは安堵すら覚えた。


 ――仮に身代金の要求があったのならば、その金を払いさえすればリベルは戻ってくる。

 彼女の心情をいえば、一時的にとはいえ金銭でリベルの身柄を贖うのは業腹だが、もはや四の五の言っていられない。

 そして何より、そうしてリベルの身柄を贖う金銭は、彼が得た自由の保証から賄われるものなのだ。


 バンクレットも同じ気持ちではあるのだろう――元より、そうでなければ〈フィード〉の文言に「将軍の縁故」とは入れない。


 リベルの身柄がどこにあるにせよ、その連中がリベルの価値に気づいて、生きている彼をこちらに引き渡すことを期待した一面があるに違いないのだ。



「いえ」


 と、短くバンクレットの言葉を否定した法術師は、その場の空気――もはや空気そのものが喚き出しそうなほどに張り詰めた空気に、ごくりと喉を鳴らす。


 バンクレットだけではなく、その場の勇者全員が、焼けるような目で彼を凝視している。


 リエラを除く全員が立ち上がっており、リエラは座席の上で指を固く組み合わせて、必死になって祈っていた。



 ヴィレイアも、法術師のごく短い一言で、信じられないほど打ちのめされている。


 今の彼女は、現実が無数の槍の穂先となって迫ってくるのを見ているようで、()()()()()()()()()()()()()()()()、と、叫びたいほど願っている。


(誰でもいいからリベルを見つけて。他のことはどうでもいいから無事でいて)


 リベルが恐ろしい目に遭っているかも知れない、困っているに違いない、もっと残酷な目に遭っているかも知れないと思うだけで、ヴィレイアの心臓は破裂せんばかりに痛む。

 胸のどこかに穴が開いたようですらあって、この穴を埋める方法はただ一つ、無事なリベルを見ることだけだとわかっている。


 リベルに何かあれば、彼女はその現実を拒否して目を閉じて、二度とその目を開けるまい。


 リベルに会いたいという気持ちは、もはや物理的な形を伴って喉元にせり上がってくるかのようだった。

 決して吐き出せない形として。


 ――彼の無事な姿が見たい。いつものように、あの控えめで優しい笑顔を見せてほしい。穏やかでいながら面倒そうな、少しばかりの警戒を滲ませたような、あの声を聞かせてほしい。


 その思いは胸から喉に向かって突き上げる熱い塊のようで、今にもヴィレイアは自分の舌が焼け焦げ、瞳が溶け出すのではないかと思っている。


 それほどの願いが胸を内側から破裂させようとしているのは苦しい。


(こんなの聞いてない)


 不意に、八つ当たりめいた考えが意識の片隅を過った。


(人を好きになるのがこんなに苦しいだなんて聞いてない)


 ヴィレイアは今にも喚き出しそうで、エルカも同じ表情で息を呑んでいる。



 陸艇が揺れ、法術師がよろめく。

 勇者たちは各々バランスを取り、よろめきかけたヴィレイアはエルカに支えられる。



「〈フィード〉に――我々が捜している彼からの伝言と思しきものが――」


 法術師がそこまで言ったその瞬間に、リエラがぱちんと指を鳴らした。

 同時に、ヴィレイアが指を上げ、呼ばわっている。


「契約、影、透過視精」


 りん、と、耳ではなく精神で聞く鈴の音が響く。



 ――通常、〈フィード〉を管轄する法術師は、〈フィード〉に貼り出すべき情報だけを区分して受け取ることに慣れている。

〈フィード〉に貼り出す情報に付される符牒に配意して、その情報を透過視精に拾わせることを習慣づけているのだ。

 透過視精の影は各地の〈フィード〉を目掛けて伝言を運ぶ。

 透過視精は命令に忠実であり、与えられた法気の主が命じた先以外へ伝言を届けることはない。



 今、この二人の法術師は、その大原則をあからさまに無視していた。

 透過視精の影の前に、彼女らの極上の法気を提示して、本来ならば他の場所へ伝言を持っていくべき透過視精を誘惑し、伝言を掠め取ったに等しい。


 当然、離してやれば透過視精は本来の相手に伝言を届けに行くが、この行為が如何に常識から逸脱したものなのかがわかる法術師たちが、軒並み目を剥いた。



「――ああ」


 リエラが呟いた。

 その、腹の底からの安堵が籠もった声。


 僅かに遅れて、というのも、透過視精と影契約を結ぶ時間だけ後れを取ったからだが、ヴィレイアが囁く。


「――()()()()


「どこに?」


 エルカが声を大きくする。


 目を見開いた彼がヴィレイアに向き直り、彼女の肩を掴む。

 普段ならば有り得ない、乱暴な手つきで。


「あいつはどこ?」


 ヴィレイアは小声で読み上げる。

 安堵の余りに声が震える。


 まだ何も解決していないが、リベルが無事なのだとわかっただけで、この世界にもまだ煌めくものはあるのだと確信できる。



 法術師もまた、紙片をバンクレットに手渡す。

 慌てて走り書きされた、それが〈フィード〉に現れた文言を書き留めたものだ。





 ――エルカとヴィリー、親父さんへ。リベルより。

 俺のピンチに気づいてくれてありがとう。まずい状態だけど今のところ俺は無事。

 今はマーフェっていう町にいる。

 俺を保護せよっていうのは取り下げてほしい。俺は取り返さなきゃいけないものがあるから、これからケセットに向かう(取り返さなきゃいけないもの――俺とエルカにとってはあんまり嬉しくないもの)。途中で取り押さえられることは避けたい。

 かなり厳しい時間の制限がある。


 俺と一緒に、ティドという法術師がいる。遠方とのやり取りは出来ないみたいだけど、ケセットについたら彼あてに連絡をとってくれ。俺に繋がると思う。

 万が一ケセットで俺の当てが外れたら、俺がどこに行ったのか知ってる人を伝令に残す。


 会いたい。





 彼に押し寄せた感情の波がどれだけのものだったにせよ、バンクレットは将校らしく、欠片もそれを態度にも表情にも表さなかった。

 あくまでも冷静に、彼が指示を飛ばし始める。


〈フィード〉の情報を修正しろ。針路を変更、ケセットへ最短経路で。



 勇者たちは脱力して各々が席に座り込み、大きな溜息が幾つも漏れた。


「――生きてる……」


 エルカが呟く。


 どさりと座席に座り込んで、彼が両手で頭を支え、項垂れる。

 あるいは何かに頭を下げるかのような。


「生きてる、リベルは生きてる」


「生きて、自由よ」


 ヴィレイアも呟く。

 声が否応なく震えて、咳払いしようとするが上手くいかない。


「私たちの名前を出してるんだから、リベルを騙る贋者じゃない。〈フィード〉に情報を流せるんだから、どこかに捕まってたりはしない……」


 メメットが立ち上がってヴィレイアに歩み寄り、彼女の白百合色の頭を抱き寄せた。

 その拍子に、ヴィレイアの胸元で青い時精時計の首飾りが重たげに揺れる。白く浮かぶ数字は「九四九」。


「そう、大丈夫よ。ちょっと落ち着きなさい、あんた、さっき影兵霊が出てたわよ。あれの手を握ってるなんて久しぶりじゃない」


「でも、母さん、『まずい状態だ』って」


 と、アーヴェイ。

 彼は物怖じせずにバンクレットに歩み寄り、彼の手許の紙片を盗み見ている。


 頓着しない様子で、バンクレットが紙片をアーヴェイに手渡し、大股でエルカに歩み寄って、彼を抱き締めた。

 そのときばかりは、この将校の表情にも感情が浮かんだ――切望に近い安堵と焦燥。


 エルカも咄嗟のように、バンクレットの腕をぎゅっと握る。


「暗中模索から一歩前進だ。大丈夫、リベルはしっかりしているから」


 そう囁いて、バンクレットが陸艇全体の指揮を執るため客室から出て行く。



 アーヴェイが紙片を覗き込んでいると、それを脇からアガサが奪った。


 当然、リベルと縁が深いのはアーヴェイよりアガサだ。

 アーヴェイが素直に紙片を献上し、アガサが走り書きの文面を紫色の猫目で睨み、声を上げる。


「生きてるのは良かったけど、なんか不吉な文言が多いわね。『まずい状態』とか、『今のところ無事』とか、『かなり厳しい時間の制限』とか」


「『取り返さなきゃいけないもの』ってなんだ?」


 と、アガサの横からアーディスが呟く。

 彼が振り返った先には、持ち主のいない〈氷王牢〉がぽつねんと置かれている。


「あいつの持ち物で価値があるものって言ったら、まず〈氷王牢〉だろ? でもそれはここにあるし――あいつ、これが分捕られたままだと思ってるとか?」


「いや、違うでしょ。ちゃんと読みなさいよ」


 と、アガサが容赦なく言う。

 彼女も気が立っているのだ。


「取り返さなきゃいけないものが、あんまり嬉しくないものって書いてるでしょ。

 ――ねえ、これ、何のこと?」


 アガサが顔を上げて、エルカを見る。



 エルカはゆっくりと顔を上げ、彼女の目を見返した。

 しかし答えず、ヴィレイアに視線を移す。



 ヴィレイアも無言で、メメットの胸に頭を凭せ掛けたまま、大きな濃緑の双眸でエルカを見返した。



 ――エルカとリベルに共通のもの。形のあるもの。喜ばしくはないもの。


 ――思い当たるのは誓約。〈言聞き〉との誓約。



 リベルが追っているものが――信じ難いことだが――〈言聞き〉であると、その可能性こそが最も高いと、エルカとヴィレイアの視線がかち合って、了解していた。






















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