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量産勇者、自由を掲げよ。  作者: 陶花ゆうの
5 黄金竜の心臓
91/228

18 交換条件

 そこは寂れた、小さな町だった。


 建物の背は低く、高いものでも三階建て、石造りの建物と木造の建物が混在し、がたついて崩れかかっているような建物も目につく。


 道は舗装されておらず、踏み固められたままになっていて、移動には陸舟ではなく馬が使われ、荷馬車が通る度にその馬蹄が砂埃を蹴立てている。


 荷馬車を牽く馬も、ほっそりとした体躯が特徴の軍用馬やその親類ではなく、ずんぐりとした農耕馬ばかりだ。


 耕された土の匂いがどことなく漂っていて、リベルからは見えないが、この町の向こう側には農耕地が広がっているようだった。


 荷馬車をちらりと見遣ると、積まれているのは干し草や野菜、そして子供が多い。


 子供は――かつてのリベルがそうだったように――売買されるために荷馬車に乗せられているのではなく、単に近所の悪ガキが、徒歩での移動をさぼって荷馬車に乗り込んでいるものらしい。

 御者席に向かって、「おっちゃん、こないだでっけえネズミを捕まえたの、見る!?」などと、元気よく叫んでいたりする。



 リベルは困り果てて、町に入って早々、足を止めそうになった。


 ここが仮に農作しか行っていない町ならば、拠点があるのは農事組合のみだ。

 勇者組合の拠点もないとなると、どこに行って話を聞けばいいのか分からない。


(いや、〈言聞き〉を確保した連中が、こんな町に寄ったはずないか。

 万が一にも連中を見かけた人がいれば万々歳だな。

 連中が勇者とは限らないから、勇者組合がなくたって、別にいいといえばいいんだけど……)


 とはいえ、まずは身に馴染んだ空気を求めて、所属しているものと同業種の組合を目指してしまうのはもはや本能である。


 もっといえば、リベルの空腹感は切迫している。

 物乞いをしてでも盗みをしてでも、とにかく食事にありつかねば話にならない。



 恐る恐る足を進める。


 擦れ違う人々が、雑談を打ち切って、あるいは手許の仕事(縄を縒っている人がいた)から胡乱そうに顔を上げて、リベルを見ている。

 ひそひそと、「見ない顔だねぇ」という声も聞こえてきて、リベルは俯いて真っ赤になった。



 ()()()町とはいっても、()()()ではなく()の規模だ。

 立って首を巡らすだけで一望できるものではない。



 曲がりくねった道をひたすら足許を見つめて進んでいくと、どうやら町の中心らしい、一世代か二世代ほど前に、道を舗装しようとして途中で諦めたかのような、不揃いな形と大きさの石を半端に敷き詰めた広場に行き着いた。


 そこで恐る恐る顔を上げ、リベルは周囲を見渡す。


 こんな町であっても衛卒の詰め所はあって、どこの町でも変わらぬ柄の悪そうな態度で、衛卒があちこちに立っている。


 衛卒が、眼光鋭くリベルを凝視していた。


 彼らもこの町に住んでいるのだから、余所者かそうでないかはすぐに分かるのだ。

 明らかにリベルを不審人物と決めてかかった態度で(そして実際、それは間違いではない)、手にした槍を持つ指に力を籠めている。



 衛卒と目を合わさないようにしつつ、ぐるりを見回したリベルはそのとき、楕円の中に四つの菱形を組み合わせた、勇者組合の印を描いた小旗を発見した。


 鋳鉄の腕木に翻る小さな旗だが、古びて色褪せ、目を凝らさなければ印章の判別も儘ならない。

 更に、同じ建物に、他の組合の旗や看板も掲げられている。


 リベルは育ちもあって世間には然程明るくないので、判別できたのは二つの円を載せた秤の印――銀行組合の印章だけだった。


 保険組合の印章がないということは、どうやら近隣の他の町の保険組合が、この町の勇者組合をも管轄しているらしい。


 建物自体は年季を感じさせる石造りで、見上げて数えたところ三階建てだが、外から見えるだけでも、窓に罅が入っていたり壁に亀裂が走っていたりと、うら寂しい。


 佇まいは酒場兼宿屋といったところで、エーデルやダイアニの勇者組合の壮麗さとは比べるべくもないが、


「取り敢えず助かった」


 思わず口走り、リベルは駆け足になってそちらへ向かう。


 大きく深呼吸し、二段の浅い階段を上がって、その先にある両開きの扉の、片側をそっと押し開けた。



 ――がやがやとしたざわめきが聞こえてきた。


 覗き込むと、窓が小さいがために、陽が昇り切ったこの時間であっても薄暗い内部の様子が見える。


 扉の内側から続く、勇者組合にありがちな、大衆食堂めいたテーブルが並んだ空間。

 その奥には、特に仕切もなく、今度は談話室めいた空間が広がっている。


 更に、厨房や何かの書類が積まれている箇所も、殆ど何の仕切りもなく見通すことが出来た。



 勇者といえばならず者だが、必ずしも朝に弱い者ばかりではない。

 勇者組合の都合で、鉱路に向かう陸艇は午前中に出発することも多く、如何にも飲んだくれという見た目の勇者たちが、朝早くからいそいそと準備することは何も珍しくはない。


 が、どうやら中にいる者は、大半が勇者ではなかった。


 明らかに農事組合の所属だろうと分かる人々が、収穫した農作物を卸しに来ているのだ。

 そういった人々が食堂に列を作り、農事組合の職員と思しき恒例の男性が、気心が知れた仲に特有の、のんびりとした穏やかさでその列を巡っては、彼らに小切手を切っている。



 リベルは束の間、絶句した。


(い――田舎だと、こうなるのか……)


 幼少期の記憶は薄れているから、リベルは自分がどこの町の出身なのかも知らない。


 ラディス傭兵団に居た頃は、日々を生き延びるのに精一杯、そこから逃げた先のダイアニは大きな町だったので、勇者組合は勇者組合として、あの建物を占有していた。


 ――が、どうやらここではそうではないらしい。

 各組合が同じ場所を使っている結果として、同じ場所が時間帯によって表情を変えるのだ。


 下手をすれば、今まさに列を巡っているあの男性、あの男性が()()()()()()農事組合の職員であることすら有り得る。



 リベルはぎくしゃくとその列から視線を逸らす。


 食堂の隅には、食事中と見える人々もちらほらといた。

 勇者めいた格好の一団が睨み合っているかと思えば、そのそばに、足許の籠に洗濯物を満載にした主婦が数名、朝から既に疲れた様子で座っていたりもする。



 リベルはそっと中に滑り込んだ。

 視線で〈フィード〉を探す。


 金がない以上――小切手を失った以上――リベルが〈フィード〉に情報を記載するよう依頼することは難しいが、逆は違う。

 ヴィレイアやエルカ、あるいはバンクレットが、「この知らせを見たらここへ来て」というような伝言を、リベルが見ることを期待して〈フィード〉に流している可能性は、僅かながらある。


(まあ、俺に何かがあったって、あいつらが気づいてくれていれば、だけど――)


 そう考えつつ、霞む目を擦る。

 いよいよ空腹が限界を突破しようとしていた。



 リベルに気づいたらしき農夫たちが、怪訝そうに互いにつつき合い、リベルを振り返る。


 会話が一瞬途切れ、またざわめきが始まって、数秒で声が上がった。


「――兄ちゃん、誰?」


 リベルは足を止めた。

 相手の方を見ようとしたが、勇気が湧かずに視線はその手前に落ちる。


「……あ――」


 か細い声で呟くリベル。


「――えっと、あの……他の町の勇者、です……」


「勇者ぁ?」


 と、農夫たちが声を上げる。

 誰かが食堂の隅に向かって、「お仲間だぜ! 他所の!」という濁声。


「勇者なんてのが、うちの町に何の用だよ。てめぇのお仲間は?」


 詰問口調で問い詰められたものの、リベルは気を悪くはしなかった。

 如何にもご尤もな疑問だからだ。


 ついでにいえば、この町からは、余所者は歓迎しないという雰囲気がひしひしと伝わってきていた。


「いや……あの……」


 吃って言い淀み、存在しない後ろめたさや怪しさを満載で演出してしまうリベル。


「俺は……」


 売られそうになったところを逃げてきました、といえば、()()に「おたくの()()()がここでうろうろしていますよ」と通報が入ることは必至。

 それが今の共和国だ。


 ゆえに、リベルはもごもごと続ける。


「……仲間とはぐれちゃって。連絡とりたいんだけど……ここ、どこですかね……」


 お伺いを立てるように首を傾げてみたが、農夫たちはいっそう表情を硬くしている。


 その後ろから、勇者と思しき一団の声。


「おいおい、潜った鉱路の場所くらいはてめぇで分かってんだろ!」


 リベルは一瞬、「頭を打って記憶が飛びました」と言うことを検討したが、そんなことを言い出しては、ますますあれこれの疑いを深くするだけだと気づいた。


 結果として、当たり障りのないことを言う。


「いや、入った入口と別の出口から出て来まして」


 一つの鉱路に複数の出入口があることは珍しくない。


「ぜんぜん見覚えがないところに出てしまったんで、かなり鉱路内で位置がずれたんだと思って。

 ケルンも壊されててあてにならなくて、最後は山勘で脱出したから」


「なに言ってんだ?」


 農夫たちが訝しげにする一方、がたがたと椅子を動かす音がして、勇者とみえる一団が進み出てきた。


「――いや、こいつは勇者だな」


 その中の一人が言って、リベルを矯めつ眇めつする。


 ――ケルンだの、帰路ではケルンは壊すものだという風習だのといった話は、勇者間でしか通じない。

 ゆえに、リベルが盗賊などではなく、少なくとも勇者だということは信じる気になってくれたらしい。


 リベルは控えめに右手を挙げてその掌を見せ、人工加護の入れ墨を見せた。


 空腹のためにふらつく足許を踏みしめて、リベルは続けた。


「鉱路の中にどのくらいいたのかも分からなくて。

 ――今って、初春の月の何日ですか?」


 そのくらいは答えてやってもいいという慈悲が働いたのか、農夫の一人が応じる。


「十九日」


「――げ」


 顔を強張らせるリベル。


 ――あの祝宴の日は初春の月十日だった。

 既に、実に十日近くが経過している。


 更に言えば、


(〈陽輪〉曰く、()()()()()()()()()――って言ってたな)


 聞き慣れない表現だが、普通に解釈すれば、()()()()()()()()、という意味だろう。

 だとすれば、


(今日を含めて、マジであと十二日……)


 その間に〈言聞き〉を見つけ、心臓の治療を受けなければならない。


 リベルは焦って周囲を見渡した。


「あの、〈フィード〉、あります? 仲間が俺を捜してるかも……」


「あるっちゃあるが、別に新しい情報は来てねえよ?」


 奥の、書類や木箱が積み上げられた一画を指差しながら、勇者の一人がつっけんどんに言う。


 彼らも彼らで何かの心配事があるのか、勇者隊と見えるその一団は全員が目の下に濃い隈を作っていたが、そのやつれようも、今のリベルの認識の埒外だった。


「ここ、どこですか? 俺、エーデルの勇者なんですけど――」


「エーデル? どこだ、それ?」


 農夫たちが囁き交わし、ますますリベルは蒼くなる。


(最悪だ……)


 エーデルは大きな町だ。

 その町の名前を聞いてもぴんとこないということは、ここは小さな町であることに加え、そもそも北方のエーデルとは関わり合いになることがない、南方の町なのだと考える方が自然だ。


 そう考えると目が回った。


 ただでさえ、空腹のために頭が回らない中、足場を失った脳みそが浮かんでいるような感覚すら湧いてくる。


「待って、ヘルヴィリー――首都まではどのくらい?」


 農夫たちがまたも目を見交わし、錯乱し始めたリベルを気味が悪そうに見遣る。


「ヘルヴィリーってぇと、北の方――」


「行ったことはないわなぁ」


「行くとなると、十日か、二十日か」


 リベルは卒倒しそうになった。

 覚えずよろめき、蹈鞴を踏む。


 足許が消失したかのような絶望感に、手足が冷たくなっていく。


「それ――陸艇で? 違いますよね?」


「陸艇かぁ」


「んな大したもん、乗ったこともねぇからなあ」


「空をのんびり飛んでるのは見るけどなぁ」


(だとすれば――)


 リベルは必死に考えようとした。


 頭からどんどん血の気が引いている感覚があって、眩暈がして、耳鳴りがある。


 ――だとすれば、彼らが言った移動速度は徒歩、あるいは馬のそれ。

 リベル自身、馬がどの程度の速度で駆けるものかは詳しくないが、


(馬の十日が陸艇の一日とは聞いたことがある……)


 山や湖などの障害物を避け、馬を休ませながら走るのと、陸艇を飛ばすのとでは、それほどの差があるという意味合いでよくそう言う。



 とはいえ、余談となるが、陸艇もそう万能ではない。

 あくまで陸艇は、悪路の影響を受けないがゆえに速い移動手段となっているだけで、本質は浮揚璧の性質を活かして浮き上がるよう造った船体を、プロペラや帆の力、つまりは風に吹かれる力で前進させているだけなのだ。


 よく喩えられる速度としては、大海をゆく船だ。


 更に詳細に言うならば、陸艇が高く飛べるとは言っても、万が一のことを考えれば、巨大な山脈を越えることは避けて、越えやすい低い峰の上を飛ぶこととなるし、大きな湖の上は同じ理由で避けて飛ぶ。

 夜間の飛行は特に危険――陸艇どうしの衝突事故が、稀ではあるが起こっている――なので、夜間は敢えて速度を限界まで落とし、高度も下げて慎重に飛ぶ。

 異変があればすぐに着陸し、状況を確認しなければならない。


 風向きによっては前進する力を大きく削がれ、針路を逸らされ、それこそ這うような速度の移動となることもある。


 だからこそ、たとえばエーデルからダイアニまで一日足らず、エーデルからヘルヴィリーまで二日という、空を飛ぶものとしては破格の時間がかかるのだ。


 もしも陸艇が真っ直ぐに、最高速度を落とさず飛ぶことが出来るならば、エーデルからヘルヴィリーまでは数時間だ。

 ただしその速度の代償として、どこかの町の塔を大破させるか、あるいは人里離れた山腹に衝突して、永久に帰らぬ人となるか、そういった重い事態に陥るだろうが。


 リベルたちは陸艇を当然の移動手段と考えているが、その当然の移動を実現するために、操縦士たちは知見と勘を振り絞り、あわや生命の危機となる事態を紙一重で躱している。



 人間は大空を得て一国の版図を大きく広げたが、竜が得ていた翼を失った埋め合わせは出来ていないのだ。



「ち――近くの、陸艇が出るいちばん近くの町って、どこですか」


 リベルがふらつきながらも訴えるように尋ねると、農夫たちは肩を竦める。

 どうやら知らない――知る必要に迫られることもない情報らしい。


 リベルは追い詰められたネズミのように、退路を探すかのように言い募った。


「〈言聞き〉――〈言聞き〉を連れた連中、見掛けませんでした? 勇者隊か、あるいは傭兵団みたいな身形だったかも」


「〈言聞き〉?」


 ぼそりと呟く声。

 どうやら農事組合の職員と思しき老爺だ。


 如何に田舎であっても、〈言聞き〉を知らない者はない。

 彼らは御伽噺の常連でもあるのだ。


「〈言聞き〉なら……」


 リベルは、ぱあっと辺りが明るくなるような感覚と高揚に息を詰まらせた。


「〈言聞き〉を見ました?」


 とはいえ、農事組合の老爺は、怪しむようにリベルを見ている。


「……あんた、なんだね? どうして気にするんだね?」


「それは――」


 リベルは言葉に詰まる。

 説明しなければならないことは山ほどあるのに、それらの断片が浮かぶばかりで、上手く言葉として纏まらない。


「それは、あの……」


「――なあ、あんた、鉱路で迷子になって、それから出て来たって、そう言った?」


 勇者隊の一人が、リベルの焦燥を遮って、探るようにそう尋ね、リベルは深く考えずに頷いた。


「そう――そうです」


「出口が分からないのに、なんとか探せたんだ?」


 リベルの脳裏に、岩魚や黄金竜が一挙に去来したが、彼はそれを全て呑み込んだ。


「はい」


「鉱路に詳しい?」


 これには躊躇いなく、リベルは頷く。


 ――何しろ、元はといえば特等勇者、ラディス傭兵団に所属させられていたときから探索は数多くこなしたこともあり、リベルは鉱路で育ったようなものだった。


「じゃあさ……」


 勇者隊の中で一人が身を乗り出し、「おい、やめろ」と、もう一人がそれを止める。


「無駄だってば」


「ここでぐずぐずしてんのも無駄だろ。同じ無駄なら行動する方がマシだ」


 言い返す一人に加勢して、勇者隊の中の女性が激しく言う。


「ねえ、助けてくれる気もないの?」


「違う。ただ、こいつが言ってることが本当か嘘かも分からないんだ。他にちゃんと打てる手を考えた方があいつの為になるかもって……」


「優柔不断も大概にしてよ」


「いい加減にしろ。下手すりゃおまえたちも欠けるんだぞ。それを考えるなってか?」


「だから――」



 ――そのやり取りが、不意に遠くなった。



 空腹に疲労が重なり、遂に限界を迎えたリベルは、「ああ、やばい」と自覚したことを最後の思考に、その場でばったりと倒れ伏していた。



「――……え?」


 周囲の、唖然としたような声。



 リベルは起き上がろうとしたが――もう無理だった。


 飲まず食わずの数日に、破格の事態が連続した疲労。


 如何にリベルが若く健康な男で、かつ人並み以上に打たれ強く頑健であっても、物事に限界というものはある。



 目が回り、気が遠くなるというよりもむしろ、ぷつんと意識の糸が切れるようにして、リベルは意識を失った。





*◇*◇*





 リベルは目を開けた。


 途端、こちらを覗き込む見知らぬ人々の顔を目の当たりにすることになり、がたんっ、と音を立てて、起き上がりながら飛び退ろうとするような、そんな動作を取ってしまう。


 ぼと、と、額に乗せられていた濡れ布巾が落ちた。



 心臓が跳ね上がってどきどきと激しく脈打ち、――()()



 声もなく戦慄と驚愕の表情を浮かべるリベルに、彼を囲んでいた人々はそれぞれ距離を取りつつ。


「――あー、良かった、起きた」


「さすがに目の前で欠けられちゃあな。寝覚めも悪いしな」


 そんなことを言い合う人々を前に、リベルはまだ激しく打っている心臓を感じつつ、自分の置かれた状況を把握しようとした。



 ――場所は移動していない。

 雑多な組合が集合しているらしきあの建物の一階の食堂、そのままだ。


 ただ、ばったりと倒れ込んだリベルを、誰かが動かしてくれたらしい――今のリベルは床の上ではなく、テーブルを囲むベンチの一つの上に寝かされていた。


 誰かがリベルに上着を掛けてくれていたらしく、リベルが跳ね起きた拍子にそれが床に落ちてしまっている。


「――――」


 なおもどきどきしつつ、リベルはゆっくりとベンチから足を下ろし、寝そべった姿勢から座った姿勢を取る。


 テーブルを向くのではなくその反対を向いて、床に手を伸ばして、落としてしまった上着を拾い上げ、軽くはたく。


「……ええっと、これ、誰の……」


「おう、俺のだ」


 そう言って進み出てきたのは、如何にも勇者といった風体の、金髪の若者。

 リベルはそっと彼に向かって上着を差し出した。



 周囲にいるのは、農夫たちと農事組合の老爺、そして勇者隊と思しき面々、忙しない朝の時間帯に、予想外の面倒事を突きつけられてうんざりしていることが分かる主婦が数名。


 彼女らのそばに小さな桶があって、今しも一人が、リベルが落として布巾を拾い上げて、その桶に放り込んだところだった。


 ぱしゃん、と水が跳ねる音。



「……俺――」


 小さく呟き、直後に状況を思い出して、リベルはがばりと顔を上げる。


 農事組合の老爺を見上げると、彼が引き攣った顔で後退った。


「〈言聞き〉! 〈言聞き〉を見たって言ってましたよね!!」


 主婦の一人が溜息を吐き、「はいはい、あたしらに礼はないってことね」と呟く。

 明らかに、唐突に倒れたリベルを気遣って額を冷やしてくれていたのは彼女たちだ。


 リベルはあわあわとそちらに目を遣って、これは純然たる人見知りから目を合わせられず、もごもごと呟く。


「――すみません。ありがとう……ございました」


 主婦とみえる女性たちが、にこっと微笑んだ。

 おおよそが、リベルの端整な顔立ちが引いた同情の勝利であった。


「まあ、いいってことにしといてあげるわ」


「もう大丈夫そうかしら? あたしたちも暇じゃないのよ」


 リベルがぺこりと頭を下げる。


「すみません。大丈夫です。びっくりさせてしまって」


 女性たちがふふっと笑って、桶を持って食堂から出ていく。



 リベルは農事組合の老爺に視線を戻した。


 彼がたじたじと後退り、農夫たちがのんびりと、「いやあ、よっぽど〈言聞き〉に会うのが大事なんだなあ」と呟く。


「いやね、あんた、〈言聞き〉がどうしたって……」


 呟く老爺に、リベルは立ち上がって詰め寄ろうとして――よろめいた。


 頭がぐるんと回ったようで、呻いて腰を下ろす。


「いや、あの、本当に大事で……」


 リベルが額を押さえて呻くように言い、そのとき、勇者隊の、どうやら筆頭と見える壮年の男性が片手を挙げた。


「ちょっといいか?」


 リベルは朱色の瞳を瞬かせて、そちらを見た。


「――はい?」


「〈言聞き〉はそこのじいさんが見た。あんたが譫言みたいに口走ったように、人に連れられてたらしい」


 リベルが目を細め、その表情に何を見たのか、彼がちらりと農事組合の老爺に視線を遣る。


 老爺はそれに応じて、髭を撫でつつ。


「――割とぐったりした〈言聞き〉だったねぇ」


「――――!」


 リベルは息を吸い込んだ。



 ――嘘八百で「〈言聞き〉を見た」ということは簡単だが、その場合は、「黄金竜と一緒だった」だの、「本を持っていた」だのといった、よく知られる特徴を論うはずだ。


「ぐったりしていた」などという、如何にもリベルの心臓を持っていってしまった〈言聞き〉に該当しそうな特徴を挙げるならば、それは本当にその〈言聞き〉を見た証拠といえよう。



「ちょっ、それ、その〈言聞き〉、どこに、」


 まさかの僥倖に声を詰まらせるリベル。


 ところが、目の前に立つ勇者がそれを制した。


 リベルは瞬間、「こいつを刺そうか」と考えてしまったが、目の前の彼にとって極めて幸運なことに、さすがに身体が動かなかった。


「ちょっと、このじいさんと話す前にこっちの話を聞いてほしいんだが」


 勇者がそう言ったとき、別の足音がした。


 リベルがくるりとそちらを向いてしまったのは、今の彼にとっては何よりも気を惹く、食事の匂いが漂ってきたからである。



 奥の、仕切りも半端な厨房からこちらへ向かってくる、ふくよかな女性。

 彼女は(トレイ)を捧げ持つようにしており、その上に湯気を立てる食事の用意が整っている。



 覚えずそちらを凝視してしまうリベル。

 彼の腹が、ぎゅる、と鳴った。


 それを聞いて、思わずといった様子で噴き出す農夫たち。

 勇者隊と思しき一団の中でも、二人いる女性のうち一人が、口許を覆ってくすりと笑みを零した。


 リベルはいらっとしたが、彼にとって意外なことに、ふくよかな女性はしずしずと足を進めて、彼の目の前にその盆を置いた。


 立ち昇る湯気と香り。

 物理的に頭を揺らされたようにすら感じるほど、今のリベルにとっては魅力的な。


「――え?」


 思わず、ぽかんとして女性を見上げる。

 女性は片手を頬に当て、微笑んだ。


「いえねぇ、あなた、ばったり倒れて動かなくて、顔色も悪いでしょう。

 おなか、空いてるんでしょ? お食べなさいな」


「――――」


 リベルは眩暈を覚えた。


「か――金、ないんですけど……」


「いいのよぉ」


 女性は言って、肩を竦めた。


「あなたにここで欠けられちゃう方が、衛卒さんに引き渡したりなんだりで、面倒だし、大変なのよ」


 リベルは、彼にとっては極めて珍しいことに、覚えずその女性の手を握りそうになった。


「――っ、あ――ありがとう、ございます……!」


 感激極まって涙さえ浮かべるリベルに、勇者隊の面々も、「あー」と、一歩下がる。


「こりゃ、話はメシの後かね」





 女性が手早く準備してくれたらしき食事は、深皿になみなみと盛られた玉ねぎのスープ、ふかしたじゃがいもに炒めた豆、ベーコンを挟んだ黒パンだった。


 その献立を見るに、この町は小さくはあっても貧窮してはいないらしい。



 ごくごくと水を飲み、皿を浚うかの如き勢いで食事を摂るリベルを、周囲が困惑と共に見守る。


 普段ならばリベルは小さくなっているだろう状況ではあったが、今はそれどころではなく、黙々と料理を口に運ぶ。


 飢餓状態から、いきなり大量に掻き込んではいけないと知ってはいるため、ゆっくりとよく噛んで食べつつ、ひたすら食事に没頭する。



 あっという間に皿が空になり、リベルはふう、と息を吐く。


 正常に血が巡り始めるのが感じられるようだ。

 惜しむらくは、血を巡らせている心臓が自前のものではないという点だが。



 ともあれ、手の甲で口許を拭いつつ、リベルは今度は安堵に眩暈を覚えていた。


(助かった……)



 そして、今度こそ〈言聞き〉についての話を聞くべく、農事組合の老爺を見上げる。


 が、そこに再び、勇者隊の中の筆頭と見える男性が割り込んだ。


「さっきも言い掛けてたんだが、まずはこっちの話を聞いてくれ」


「え、なんで?」


 リベルは思わず問い返したが、勇者隊の中の一人が、黙ってリベルが食べたあとの皿を指差したため、大人しく拝聴することとする。



「おまえ、鉱路には詳しいって言ったよな?」


 念押しされ、頷きながらもリベルは、初めてまともに勇者隊を見た。



 全部で五人。


 筆頭と思しき壮年の男性は、髪を剃り落とした禿頭に、浅黒い肌。


 続いて先程リベルに上着を掛けてくれていたらしい若者は、金色の猫っ毛に焦げ茶色の瞳、まだ二十代前半とみえ、人懐っこそうだ。


 そして、見たところ十七、八歳と見える少年。

 こちらは黒髪に黒い目、抜けるように色の白い肌で、珍しいほど見目が整っている。


 落ち着かない様子で小さな円を描いてぐるぐると歩き回り続けているのは、赤い髪を後頭部で一つに結った、二十歳そこそこと見える女性だ。

 そばかすの浮いた白い肌、灰色の瞳が時おり刺すようにリベルを見ている。


 そして最後の一人が、リベルの腹が鳴ったときに笑っていた少女。

 黒い髪を肩に下ろしており、その髪が日に焼けた健康そうな肌を滑っている。

 リベルとは同年代――十九か、二十歳か、その程度の年頃と見え、今は頬杖を突いて、きらきらした明るい青色の目でリベルを眺めていた。



 一秒で彼らを見渡して、リベルは怪訝に眉を寄せる。


「……まあ、並みの勇者よりは詳しいですけど」


「鉱路で迷ったのに、無事に出て来たって?」


「……まあ、そうですね」


「あのな」


 筆頭と思しき男性が、ベンチの、リベルのそばに腰掛けた。


 リベルは思わず仰け反ってしまい、黒髪の女性がびっくりしたように目を瞠る。



 リベルの朱色の瞳をしっかりと見て、男性が言う。


「俺はバールだ。あっちが――」


 金髪の男性を示す。


「ベリオ。で、あそこの坊主が――」


 黒髪の少年を指す。


「ティド。こっちが――」


 黒髪の少女を指す。


「レイネ。で、あそこにいるのが――」


 歩き回っている赤毛の女性を示す。


「リリシアだ」


 リベルは数秒黙り込み、それから思い至って口を開いた。


「……リベルです」


「リベルくん」


 と、黒髪の少女――レイネ。

 名前を覚えようとしているような調子だ。


 バールがリベルを見据えたまま、じゃっかん身を乗り出した。


「あんた、捜してる〈言聞き〉に何の用があるのか知らんが、見つけないとまずいのか?」


 リベルは考え無しに頷いた。


 ヴィレイアがいれば、間違いなくリベルを黙らせていただろう局面だ。

 捜しものの価値は、行方を知っている誰かには教えない方が、安くその情報を買えるものなのだ。


「かなりまずい」


「あんたが寝てる間に、ちょっと話し合ってな」


 と、バール。


「〈言聞き〉は、このじいさんが確かに見た」


 農事組合の老爺を指す。


 リベルは思わず腰を浮かせたが、その肩をがっと掴んで、バールが続ける。



「どこに向かったか、方角とかはしっかり覚えてるらしい。あんたに教えてやってもいいとのことだ。

 ――ただし、」



 ぱああっと顔を輝かせたリベルの表情が、繋がれた逆接で凍りつく。


 バールは真顔で続けた。



「――一昨日だが、俺たちの仲間が鉱路で行方不明になってな」



 唐突な話題の転換に、リベルは目を(しばたた)く。


「は?」


 バールは赤毛の女性を示した。


「そこの、リリシアの婚約者だ。ベリオの弟でもある」


 ぱちくり、と目を瞬かせ、リベルは呟く。


「……はあ」


 お気の毒に、とでも言うべきかと思ったが、どうやらそんな雰囲気ではない。


 バールの表情には鬼気迫るものがある。



 そして、はたせるかな、バールは言った。



「あんたが鉱路に詳しいなら、一緒に来て、奴を捜す手助けをしてほしい」



「――は?」


 表情を凍らせるリベル。


 戦慄と共に見つめた先で、しかしバールは大真面目だ。



「それが、〈言聞き〉がどっちに行ったか教える条件だ」



















いきなり登場人物が増えたので、簡単なメモを載せておきます。



バール:この勇者隊の筆頭。禿頭、浅黒い肌、灰色の目。40代。


ベリオ:リベルに上着を貸してくれた人。金髪、焦げ茶色の目、二十代前半。捜し人の兄。


ティド:黒髪に黒い目、白皙の美貌。17歳。


リリシア:赤毛にそばかすの浮いた白い肌、灰色の目。二十歳くらい。捜し人の婚約者。


レイネ:黒髪に明るい青の目。日焼けした肌。十九歳くらい。








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― 新着の感想 ―
うーむ、そんな時間は本当に無いし、岩魚さんのいるとこに戻りにくいし、でも断れない……リベルくんの受難は続くよどこまでも
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