19 足踏み
「ば――馬鹿だろ!」
リベルは思わず叫んだ。
途端にバールの目が険しくなり、リリシアとベリオが剣呑な表情になったが、この局面ではリベルが怯むことはなかった。
なぜならば正論を申し述べるからである。
「鉱路で? 人捜し? 正気の沙汰じゃない!」
バールもそれは分かっているのか、奥歯を噛み締めて唇を噛む。
が、それでもとばかりにリベルを見据える目は血走っていた。
「それは分かってる、だけど――」
その言葉に割り込んで、リベルは捲し立てる。
「いいですか、まず、問題になるのは捜す方の力量じゃない。捜される方の力量だ。
言いたくないけど、普通の勇者が一人で、鉱路で生きてられる時間なんてたかが知れてる」
仮に、エルカやヴィレイアが鉱路に取り残されたならば、リベルは何も考えずとも彼らを捜しに行くだろう。
生き延びていることを期待できるだけの実力があるからだ。
嫌な予感を覚えてバールを見る。
――相対する相手の実力を測るのは、ラディス傭兵団で対人の戦闘の経験も積んでいるリベルの癖の一つだが、その目でバールを観察しても、特段の脅威は感じない。
リベルには相手が法術師かどうかは分からないから何ともいえないが、彼が並外れた法術師でもない限り、一対一でやり合えば、まず間違いなく瞬殺できる自信がある。
バールもこれまで生き延びてきたのだから軟ではないだろうが、一等勇者や特等勇者に感じられる、才気の煌めきのようなものはないのだ。
注意深く見れば、彼の右手の親指に嵌まっている白い指輪は、一点ものという風情ではない。
恐らくは自らで欠けさせた亜竜の鱗から打ち出したものではなく、金で買ったものだ。
亜竜の討伐経験のある勇者隊は決して多くはないが(アーディス隊やウェイン隊が異常なのだ)、逆にいえば一点ものの指輪を身に着けているということは即ち、実力の証左。
それを勘案し、リベルの勘が当たっていて、バールが筆頭勇者なのであれば、この勇者隊の等級は然程のものではない。
リベルは息を引いて、額を押さえた。
「えーっと、その鉱路――危険度は?」
「丙種」
即答に、リベルは顔を顰める。
「それなら、まだ……。でも、自力で出て来てないってことは、悪いけどもう欠けたか、動けないほど酷い怪我をしてるか、完全に迷って奥まで迷い込んでるってことだ」
バールたちが目を見交わした。
ティドがベリオの肘の辺りをつついて頷きかけ、レイネが身を乗り出してくる。
「丙種の鉱路なら問題ないって口振りだけど、じゃあ、きみは普段、それより険しい鉱路に潜ってるの?」
「いや、最近はそうでもないですけど――」
何しろ等級を返上した後である。
だが、以前ならば潜る鉱路は甲種一択だった。
何しろ採れる資源の質が違う。
乙種の鉱路を提案しようものなら、アーディスの盛大な溜息を喰らっていた。
首を振り、自らの身の上はいったん棚に上げて、リベルはバールを睨む。
「残念ですけど、鉱路に置き去りで――もう二日? 諦めた方がいい。下手に引っ張り出したら、欠け人としてどこかの陸艇とか、鉱路の昇降口とか、そういうところに召し上げられますよ。悪くすれば悪趣味な金持ちのところだ」
大富豪の欠人性愛者による不当な欠け人売買は、公には誰も認めないが、歴然と横行していることは、ある程度の年齢を重ねた人間ならば知っている。
リリシアが足を止め、啜り泣き始めた。
言ってしまった後で、リベルはおろおろする。
「ごめん……」
ベリオがリリシアに駆け寄り、背中を撫でて宥めながら、リベルを睨む。
周囲の農夫たちも、「酷い言いようだ」とばかりにリベルに向かって顔を顰めており、部外者であることもあって、リベルは小さくなる。
「すみません……」
肩を窄めたものの、論の正しさにおいてリベルが譲るところはない。
すぐに顔を上げて、きっぱりと言う。
「――とにかく、下手に希望を持たない方がいいと思います」
「でもあの人、私たちのこと待ってるかも。お腹を空かせてるかも」
リリシアが震え声で呟き、リベルは曖昧に目を逸らす。
「それは――」
とはいえ、リベルにとっても懸かっているものが大きい。
何しろ心臓である。
「――でも、とにかく、俺にはのんびり人捜しをしてる時間はない! 頼むから〈言聞き〉のことだけ教えてくれ!」
他にも〈言聞き〉を連れた連中を見た人はいるかも知れない、と、町にいる他の人も話を聞くことも内心で検討する。
リベルがうろ、と外に目を遣ったことからそれを察したのか、バールはどっかりとベンチに体重を預けつつ、断言した。
「誰も何もおまえには言わねぇぜ」
「はい?」
訊き返したリベルが、バールに朱色の瞳を戻す。
その目を真っ直ぐに見返して、バールは確信を籠めて言った。
「おう、坊主、田舎は初めてか?」
「――――」
無言で瞬きするリベル。
「おまえ、綺麗な顔してるもんな。どうせ都会の出身だろ。鉱路で鉢合わせた都会の連中はまあ鼻持ちならないが、そんな連中が知らないこのクソ田舎の常識を教えてやろう。
――いいか、一人を敵に回せば、町が敵に回るからな」
「――――」
「俺もそうだし、リリシアもそうだし、ザイク――俺たちが捜そうとしてる奴も、この町で生まれ育ってんだからな。あっちのじいさんもこっちのじいさんも、ザイクの祖父ちゃん同然なんだよ。
誰が、可愛い孫の生き欠けに関わることより、赤の他人の探し物を優先するんだよ?」
「――――」
唖然として口を開けるリベル。
否定を探して周囲に視線を巡らすも、残念ながら見えたのは、完全にバールの側についている人々だけだった。
「いいか、じいさんはザイクのためなら、俺たちのためなら、絶対に口を割らない」
リベルは呻いて、両手で額を押さえた。
(エルカなら、迷いなく暴力に走ってるな……)
傭兵団にいた頃から、エルカは情報を抱え込む相手を尋問するのが得意だった。
一方リベルはそれが不得手で、それはエルカが優しいからだ。
泣き叫ぶ人間を痛めつけるのを躊躇してしまうリベルを庇って、いつもエルカがその仕事、彼にとっても厭わしいその仕事を代わってくれていた。
もちろん、リベルもその手順は知ってはいるが――
――『私の加護は、あなたに会う幸運のためのものだったんだよ。私の幸運の勇者さま』
あの声、朗らかな声が甦る。
――ヴィレイアの幸運の勇者は、自分の命を惜しんで他人を拷問し、誰かを見捨てるだろうか。
ヴィレイアに会いたいと思う気持ちは痛いほどだったが、それと同時に、彼女の目を見てこの冒険譚を語れなくなるような、そんな一幕を作っていいのかと自問する声は激烈だった。
「――――っ!」
リベルは頭を抱えた。
――現実問題として、こうしている間にも、〈言聞き〉との距離が開いていることは事実なのだ。
顔を上げ、リベルは厳しい顔をする農事組合の老爺を見上げる。
そして、縋るように尋ねた。
「――これだけ教えてください、〈言聞き〉を見たのはいつ?」
岩魚たちの道案内が途切れたタイミングを思い返せば、リベルの鉱路脱出と、〈言聞き〉を連れた者たちの脱出は、時間が開いているにせよ一時間程度のはずだ。
リベルの形相にさすがに憐れを覚えたのか、老爺は、ちらりとバールを見てからではあったものの、そっと答えた。
「今朝がたの、収穫を待っているくらいの時間だよ。明るくなってしばらく経っていたかな」
「…………」
リベルは必死に考えた。
――連中の移動が陸艇だったとしても、〈言聞き〉の命が懸かっているとあれば〈陽輪〉に移動を任せられるリベルの方が、まだ速度の利はある。
そして、闇雲に捜し回って時間を無駄にするよりは――
(連中がわざわざ〈言聞き〉を連れて行ったってことは、売るつもりにせよ何かに利用するにせよ、〈言聞き〉が生きてないと駄目だってことだ)
つまり、〈言聞き〉が積極的に害される心配はないだろう。
気が立っている〈言聞き〉など見たことがないので、彼らの危機対処能力について、リベルは過信できないが。
(何が何でも連中に追い着かないといけないわけじゃない。十二日の間に、〈言聞き〉を取り返すことが出来れば何でもいい)
だが、問題になるのは――
「鉱路までは?」
リベルは口早に尋ねた。
鉱路まで三日掛かるなどと言われれば、さすがにこの場で暴力に訴えなくてはならなくなる。
が、バールは応じた。
「馬で三時間」
馬、と、まずはそこに軽く驚いてから、リベルはバールが指差した方角に眉を寄せる。
――方向感覚には自信があるが、そちらは。
「――俺が出てきた鉱路じゃないな」
バールが眉を顰め、それから渋々といった様子で、リベルがやって来た方向を示した。
「おまえ、あっちの鉱路から来たんだろ? あっちのは乙種だ。入れない鉱路だろ」
リベルはひゅっと息を呑んだ。
乙種の鉱路に入れない、ということは。
「――待って、あなたたち――四等なの?」
希望ががくんと下がった。
四等勇者が鉱路で孤立し、持ち堪えることなどまず有り得ない。
バールはリベルの顔を見て、気まずさと怪訝が混在したような表情を浮かべた。
「……三等以上の勇者なんて滅多にいないだろ。ここでは、昇格するのも一苦労なんだよ。試験がそもそも隣町じゃないと出来ないし……」
――つまり、ここが周辺との交流の少ない田舎町であるがゆえに、彼らは勇者の中庸を知らない。
三等以上の勇者は珍しい、二等以上など幻想だと思っている可能性すらあるということ。
「捜してる人が二等以上の実力を持ってるなら、俺もあんまり悲観的なことは言いませんけど」
ややつっけんどんにそう言ったものの、二等勇者を知らない勇者に、「二等勇者相当」を判断しろというのは無理な話だ。
リベルは赤錆色の髪を掻き毟った。
「――分かりました。でも、」
顔を上げる。
「入って半日、それで見つからなければ諦める。あと、無事にその人を見つけて戻って来られたら、〈フィード〉に俺のことを流してもらえませんか。
――それで良ければ、協力します」
それで駄目なら、不本意ではあるが、拷問だ。
協力します、とリベルは言って、バールたちはそれに色めき立った。
慌ただしく探索の準備が整えられる中にリベルもいたが、彼は早くも自分の決意を後悔しつつあった。
「――糧食はそんなに要らないです、半日って俺が言ったの聞いてませんでした? 一人一欠片で一日はもちますってば! 不溶石も! そんなに大量に要らない! そのザイクって人を見つけられたとしても、いきなり鉱路で宴会するわけじゃないでしょう!」
と、荷物を詰めるベリオを止め。
「この隊の法術師って誰? ――えっ、三人もいるんですか?」
と、希望を見出そうとしたところで、
「あ、でも、あたしは法術師見習いっていうか」
と、レイネが芽生えかけた希望をへし折った。
「はい?」
リベルは茫然とする。
――法気は知識を含有する。
ゆえに、あの怠惰なヴィレイアが優れた法術師でいられるのだ。
つまり、法気がある限りはその扱いも承知のはずで、法術師に「見習い」などは存在しない。
リベルの顔を見て、レイネは気まずそうに。
「あ、なんというか、法気はあるけどちょっとだけなの。だから、そんなに法気を必要としない精霊となら契約できないかなーって模索中っていうか。
――あ、でもあたし、魔法使いではあるから!」
リベルは額を押さえた。
魔法使いならば、リベル自身が十人分その役をこなせる。
「……分かりました。あとの二人――ティドと、リリシアさん? 治癒精とか透過視精とか陽精とかとは、影契約は結んでますよね?」
二人がこくりと頷く。
リリシアは、顔色は悪いながらも頬だけは僅かに赤みが差し、灰色の瞳が危険なほどの熱に煌めいている。
ティドはそんな彼女を気遣うように見遣ってから、ごく小さな、ぶっきらぼうな声音で。
「治癒精とも透過視精とも、二人とも契約してる。陽精は、ちょっと前までは契約してたんだけど、契約がなんでか知らないけど切れちゃって。再契約しようにも、香草を使い切っちゃってて、まだ出来てない。でもリリシア姉さんは浮揚精と契約してるし、俺は熱精と風精と契約してる」
「――――」
ヴィレイアの、陽精との真契約の被害者を目の当たりにして、リベルは何も言えずに視線を逸らし、頷いた。
「――ええっと、分かりました」
更にリベルに衝撃を与えたのは武器だった。
支度を進めるバールとベリオを見て、彼はぽかんとすると同時に戦慄すら覚えたものである。
――小銃は隊全体で一挺きり、しかも型落ち甚だしい古いもので、リベルの年齢がまだ一桁だったときに抱えていたものと同じ銃。
短銃も二挺きり、これもまた古い。
飛び道具は主に弩を使っているらしく、リベルからすればアーディスから思い出話として聞いていた、「在りし日の探索」の再現である。
(でかい都市の組合が優先して武器を買い取っていくから、こんな小さい町にはなかなか入ってこないのか……)
勇者は――〈氷王牢〉や〈岩王令〉、〈焔王牙〉のような一点ものの武器でない限り――武器を勇者組合から購入することが多いが、組合間での力関係が如実に出た結果だろう。
というより、恐ろしくてとても確認は出来ないが、この町の勇者組合に所属する勇者が彼らだけだったとして、リベルはもはや驚かない。
リベルの都合としても彼らの都合としても、出発は早い方がいい。
大急ぎで準備を進める彼らに一言断って、リベルは建物の外に出た。
「逃げるの?」と言わんばかりにティドに睨まれたが、今ばかりは人見知りにも蓋をして、倍の勢いで睨み返しておく。
建物の外に出たリベルは、壁沿いに進んで建物の陰に入り、懐から黄金竜の鱗を取り出した。
それをしばらくじっと見てから、普段に勇者の指輪を扱うときの感覚で、軽くその鱗に唇を触れる。
そして、半信半疑で呼びかけた。
「――聞こえてる? 金ぴか……じゃなくて、〈陽輪〉」
『――――』
あちらから応答があった。
が、リベルには意味が分からなかった。
訳の分からない数学的な思考が突き付けられてきたかのようで、意味を理解しようとすると頭が破裂しそうになるほどの情報量が掠めていったのだ。
ただ理解できたのは、あちらが激怒しているという一点だった。
「ごめん、そっちが何を言ってるかは分からないんだけど、怒ってるのは分かった。
ごめん。俺は気絶してた」
またも凄まじい情報の嵐が伝わってきて、リベルは瞑目する。
そして、相手を落ち着かせられるなら、と思い、そっと言い添えた。
「……別に、心臓は今のところどうもしてないよ。腹が減り過ぎて倒れただけ」
『軟弱者が』
ようやく意味の取れる返答があった。
つまりは、リベルにも言葉の意味を解せるようになる程度に、竜の扱う言葉の意味を削ぎ落せるほどには、あちらも落ち着いたということだ。
リベルは反論を呑み込み、息を吐いてから、「それで」と言葉を継いで、ざっとこれまでの経緯を説明した。
そして思わず身構えたのは、「時間がないのに何をしている!」と、黄金竜が激怒することを予期したためだったが、
『――なるほど』
案外にも穏やかに、〈陽輪〉はそう応じた。
『それで愛し子の行方が分かるならば重畳。ただし時はないのだ、急ぐように』
「それはもう言われるまでもないけど……」
『私も向かうか』
尋ねるその口調から、リベルは、〈陽輪〉が――少なくとも鉱路においては――リベルに一日の長を認めていることを感じ取った。
気を良くしたことは否定できない。
〈陽輪〉は少なくともリベルの数倍は生きている真正の竜だ。
その黄金竜に一目置かれれば、気分も良くなろうというものである。
「やばいことになったら出て来られるように、ばれないように近くにいるのは出来る?」
そのために喧嘩腰を捨て、遠慮がちに尋ねたリベルに、〈陽輪〉が首肯する気配。
『造作ない』
「助かる」
『岩の虫の女王に会う手筈は分かるか』
さも当然のようにそう尋ねられ、リベルは困惑して眉を寄せた。
「岩魚の……? なんで?」
『馬鹿者』
〈陽輪〉の口調から、リベルを尊重する調子が速やかに消え去った。
『岩の虫の女王はどの鉱路にもいると言っただろう。おまえが依願すれば、失せもの探しは容易いはずだ。どうしてそれを考えないのだ』
あの経験が完全に怪奇だったからだ、とは思いつつも言葉を呑み込み、リベルは言った。
「そっか。いや、うっかりしてた」
とはいえ、岩魚との意思疎通に苦労したことを思えば、それは最終手段になりそうだった。
リベルが建物の中に戻ると、ほっとした様子でレイネが駆け寄ってきた。
「あー良かった! どっかに行っちゃったのかと思った!」
その後ろでは、リリシアが鬼気迫る目でリベルを見ている。
リベルは息を吸い込んだ。
「どこにも行かないですよ。――準備は大丈夫ですか?」
「あとは馬の準備だけ」
ティドが素気なく応え、リベルと擦れ違うように外に出ていく。
ベリオが、リベルの全身を矯めつ眇めつ眺めた。
お世辞にも充実しているとは言い難い、薄着に片手剣のみの格好を。
「むしろ心配なのはおまえの格好だな。大丈夫か、それで?」
「この格好で、さっき鉱路を潜り抜けてきたところだけど」
思わずそう返して、リベルは目を擦った。
「欲を言えば銃は欲しいんですが、あなたたちにも飛び道具は貴重でしょう。初対面の俺に渡したくないでしょ」
「弩なら貸してやれるけど」
「使い慣れてないから、むしろ邪魔です。練習の時間があればそれなりに武器になるかも知れませんが」
リベルは淡々とそう答えて、成り行きを見守る町の人々が、いつの間にか随分増えていることに気づいた。
顔を伏せて、彼は言った。
「あの、準備が出来たらもう出発できるなら、外に出ませんか」




