20 首尾は如何に
翌日、ヴィレイアは大変元気な顔で現れた。
処はヴィレイアが泊まるホテルの一階である。
帳場係の愛想笑いの視線を受けながら待っていることしばし、見違えるほど元気になったヴィレイアが、意気揚々と下りてきた。
白百合色の長い髪は、汚れの薄膜一枚を脱ぎ捨てたかのように艶々と輝き、肌も余分なヴェールを脱ぎ捨てたかのように澄み切っている。
血色も良くなり、手指も、その指先まで綺麗に整えられている。
爆睡から起き出して、取り敢えず身体と髪を洗っただけのリベルとエルカとは、身嗜みに懸ける気合が違う。
「おはよう、リベル、エルカ。
――リベル、素敵なお部屋をありがとう」
衣服こそ替えがなかったものの、手品のように綺麗になっている。
リベルは一瞬、彼女の衣服をせっせと洗濯する影兵霊を想像してしまったが、違うだろう、他の精霊を使ったのだろうと、思わず出てきそうになった笑いを呑み下す。
リベルは咳払いして、「おはよう」と返す。
そして、外へヴィレイアを促した。
「部屋、気に入ったんなら良かったよ。
――そろそろリエラと合流しといた方がいいかと思って。朝メシも食いたいし。おまえ、リエラとなら透過視精で話せるだろ? 合流する時間とか場所とか打ち合わせてくれ」
エルカがぼそっと、「リエラは俺とは朝メシ食いたくないと思うなぁ」と呟く。
が、エルカの案に相違して、リエラはヴィレイアからの「朝ごはん、一緒にどう?」という誘いに応じて現れた。
昨日と同じ暖かそうな外套に羊毛の手袋、足許はブーツ、襟巻にぬくぬくと顎を埋めての登場である。
リベルもエルカも、そしてヴィレイアでさえも、鉱路の容赦ない気温変動に慣れている――鉱路によっては、灼熱の気温から少し進むと極寒地獄といった、この世の常識から懸け離れているように思える気温変化を見舞ってくるものもあるのだ。
ゆえに、勇者の中にあっては軟弱そうに見えるヴィレイアですら、暑さ寒さにはそれなりに強い。
そのためリエラの格好に、「そんなに寒い?」と驚く勇者たちに、「よくその格好で平気ですね」と目を瞠るリエラという一幕があった。
その日は曇っていて、今にも雪が降り出しそうだったのだ。
ダイアニの町に最も明るいのはリベルだから、リベルが一同を引き連れて朝食の店を選んだ。
懐具合の先の見通しが明るいのと、ヴィレイアからの期待の眼差しがあって、普段より多少いい店を選んだものの、高級店とは言い難い。
高級店を避けたのは、リベルとエルカの衣服に染みついた、亜竜の膀胱の臭いが如何ともし難かったからである。
煮込んだ豆と香草入りのソーセージ、オムレツと蕃茄のスープ、バターの溶けたパンを食べながら、リエラが言い出す。
「昨日、バンクレットさまに言われていた通りに、法術師の方に連絡を取りまして」
「うん」
と応じたのはヴィレイアである。
リベルとエルカは、聞いてはいるものの朝食に夢中になっている。
というのも、昨夜は爆睡にかまけて夕食を摂り損ねていたのだ。
「今日のお昼ごろにバンクレットさまがいらっしゃるそうなので、駅の近くで待っていてほしいっていうことでした」
「はーい」
ヴィレイアが暢気に返答する。
リベルが給仕を呼び止めて、自分とエルカに、分厚いハムを追加で注文した。
その食べっぷりに、リエラが目を丸くしている。
ヴィレイアは自分もせっせと食事を口に運びつつ。
「探索中って、お腹には溜まるけど本当に不味いごはんしかないのよ。最後の方にはそれも切り詰めてたし。
だから久しぶりのまともなごはんなんだよね、これ」
リエラは恐れ入った顔をした。
「――やっぱり、私には勇者は無理です」
昼下がり、約束通りにバンクレットがダイアニに到着した。
リベルたちは、もう駅からやって来る人物の監視はお手の物になっていたリエラ御用達の喫茶店で時間を潰し(ついでに、ヴィレイアはちゃっかり甘いものを食べ)、バンクレットの威風堂々たる姿が通りに見えると、いそいそと喫茶店から出て彼を出迎えた。
「――ジョーゼル小父さまっ!」
ヴィレイアが、地位の高い軍人に対するものとは思えぬいつもの態度でバンクレットに飛びつき、バンクレットはバンクレットで、鷹揚に笑ってそれを受け止める。
古傷の走る鷹に似た容貌が優しげに緩んだ。
駅から町へ向かう人波の只中でそうしているのだから、周囲の人々が顰蹙に眉を寄せてヴィレイアを見たものの、バンクレットの鳩羽色の軍服を見ると、慌てて目を逸らせて足早に進んでいく。
「やあ、ヴィレイア。
おかえり。無事で良かった」
「…………」
束の間ヴィレイアが黙り込み、バンクレットが眉を寄せる。
「ヴィレイア? 何かあったのか?」
「――いいえ。私たちは大丈夫でした」
ヴィレイアがゆっくりと応じて、表情を入れ替えて明るく笑う。
「それに、ちゃんとご報告することもありますよ」
「本当に?」
バンクレットが驚きに目を見開き、ヴィレイアからエルカ、そしてリベルに視線を移した。
「――それは……驚いた。一度の探索で成果を挙げるとは」
「マジで大変でした」
と、リベル。
バンクレットに凭れ掛からんばかりのヴィレイアの肩を掴んで自分の方へ引き戻してから、首を傾げる。
「えーっと、で、報告はどうしたら……?」
「もちろん、私が主に先んじて聞くわけにはいかない」
バンクレットが駅の方を親指で示す。
「さあ来て、乗って」
*◇*◇*
ヘルヴィリーは、ダイアニからならば陸艇で一日少々。
到着はダイアニを出発した翌日で、駅では既に黒塗りの馬車が待機していた。
その馬車に揺られながら、バンクレットは明るい顔を見せる。
「ヴァフェルムさまにも、今日伺うことはお伝えしている。お時間を作ってくださっているはずだ」
「時間作ってくれてなかったらそっちの方がおかしいだろ」
リベルが止める間もなくエルカが言い放ち、頭を抱えるリベルが心底ほっとしたことに、バンクレットは寛大に笑っただけでそれを不問に付した。
議事堂――旧王宮――近くのヴァフェルムの邸宅に馬車が到着する。
黄金の鞘を抱えるヴィレイアは、窓から議事堂をじっと見つめていた。
ヴァフェルムは邸宅のバルコニーの一つで待っていた。
リベルが一体それぞれを何に使うのだろうと訝る程度には、この邸宅にはバルコニーが数多く備わっている。
ヴァフェルムが腰を落ち着けていたバルコニーは、邸宅の南側に面しており、陽光を存分に受けている。
リベルとエルカがきょろきょろと見渡してしまった程度には広く、硝子扉を出てから石の欄干に行き着くまで、優に二十フィートはあった。
石の欄干には草花の繊細な彫刻が施されており、夜になれば光を放つのだろう、光晶を仕込んだ籠が等間隔で設けられている。
バルコニーには何も支えていない装飾柱が立ち並び、その間に小さな噴水と、小鳥を呼び寄せるための餌皿と止まり木――どちらも黒曜石で出来ている――があった。
そしてヴァフェルムは、バルコニーの一画に設けられた、全面が硝子と水晶で出来た温室の中にいた。
温室の中には、不傷石と光晶の恩恵を受けて咲き誇る、季節外れの花々が美しさを競っており、そのそばに白大理石の円卓と椅子が鎮座している。
ヴァフェルムはその椅子に腰掛け、一人の護衛を背後に立たせて、ゆっくりと本の頁を捲っていた。
バンクレットが温室の扉を開け、静かに声を掛けると、ヴァフェルムは顔を上げ、掛けていた片眼鏡を外した。
そして微笑むと、背後の護衛に一声かけ、彼を退出させる。
温室を出て、その扉のそばで直立不動の姿勢を取る護衛と入れ替わるようにして、バンクレットを先頭に、リベルとエルカ、そしてヴィレイアが温室に入った。
リエラは当然のように温室の外に留まる。
「――やあ、久しぶり」
ヴァフェルムがそう言って、リベルとエルカに微笑み掛けた。
「毎日を満喫しているといいのだが」
エルカが微妙な声を喉の奥で漏らす一方、リベルは精いっぱいの返答をした。
「お――お蔭様で」
「あのときの話を踏まえると、きみの自由はきみ自身の功労だ」
ヴァフェルムはさらりとそう言って、白大理石の椅子を示した。
「掛けなさい。ここならば盗み聞きする輩もいない」
温室の外では、遠くから運ばれてきたのだろう風花が舞う寒さだったが、温室の中は暖かい。
リベルはちらりと、温室の硝子と水晶の向こうに見える、寒そうに両手を握り合わせるリエラを見た。
ヴァフェルムはぱたりと本を閉じると、それを脇に押し遣った。
そして大理石の円卓に肘を突き、両手を尖塔の形に組む。
「――さて、きみたちの最近の生活について尋ねるのもいいのだが、そうすると可哀想な彼女が凍えてしまうだろうからね。
早速になるけれども、首尾を聞きたい」
ヴィレイアが、ずっと抱えていた黄金の鞘を大理石の円卓に載せた。
ヴァフェルムが首を傾げる。
「これは?」
「お望みのものです」
ヴィレイアは答えた。
リベルが意外に思うほど硬い表情だった。
やや皮肉な口調で彼女は続けた。
「私たちの胸躍る大冒険を聞かせて差し上げてもいいんですけれど、仰るとおりそれだとリエラが凍えてしまいますね。
――最後の方だけ掻い摘んでお話ししますと、それは鉱路の中にいた欠け人が持っていたものです」
バンクレットが、興味を惹かれた様子でヴィレイアの後ろから鞘を覗き込んだ。
そして、抑えかねた様子で呟く。
「――見事だ。鉱路産だね?」
それにはリベルが答えた。
「はい」
そして苦い顔でエルカと目を見交わしたのは、あの欠け人のことを思い出したがためだった。
ヴァフェルムはちらりと黄金の鞘を見たものの、すぐにヴィレイアに視線を戻した。
「私の認識では、鉱路の中には欠け人の一人や二人はいるはずだが?」
「運よくまだ食べられていない欠け人は、そうですね。
――ですが、その欠け人は違いました」
ヴィレイアは適切な言葉を探すかのように押し黙り、それから言った。
「端的に申し上げますと、――旧王朝の騎士の格好をしていました」
ヴァフェルムがゆっくりと息を呑んだ。
「旧王朝の?」
鋭く尋ねる。
「欠けてから二百年に亘って鉱路にいたと? おお……」
両手を強く握り合わせるヴァフェルムからリベルに目を移し、ヴィレイアは続けた。
「それから――たぶんあなた方にはあんまりぴんと来ないお話でしょうけれど、異常に強かったんです。普通の欠け人は……分かると思いますが……」
「命令通りに動く」
「そう、でもその欠け人は命令は聞かなくて……」
ヴィレイアが少し黙り込んだ。
オーリンのことを思い出しているのだと分かった。
彼女が癖のように、両手で青い時精時計を弄ぶ。浮かぶ数字は「一〇一七」。
だがすぐに息を吸い込んで、ヴィレイアは言葉を続ける。
「――これもまた実感の湧かないお話でしょうけれど、リベルとエルカが二人掛かりで対処してくれたんです」
「というか対処し損ねそうになったんです」
エルカが素早くそう言って、ヴィレイアを見た。
「ヴィリーの機転がなかったら欠けてたよ」
「私じゃなくて、リベルのね」
ヴィレイアは真面目にそう言って、ヴァフェルムに向かって説明するように。
「あんまりお分かりにならないでしょうけれど、リベルとエルカはすっごく強いんです」
「知っているよ」
ヴァフェルムは穏やかに応じて、リベルに賞賛の目を向けた。
「亜竜と氷王の単独討伐の話は聞いている」
「それは良かった。――そのリベルが危なかったって言うんですから、お分かりでしょう?
それでリベルが、時精を使うように指示をくれたので」
「時精? どうしてまた?」
驚いたように尋ねられ、リベルは数秒考え込んだあと、正直に応じた。
「やけくその勘です」
「とにかくそれで時精を使って、この鞘の思念で過去を読んだんですよ。
結局はそれが功を奏して、いったんは欠け人はどこかに行ってくれたんですが――」
ヴィレイアは黄金の鞘に大切そうに指先を置いた。
「私がこの鞘から読み取れたのは二つの記憶です。
それを踏まえると、まずあの欠け人の名前はアンリ」
――『アンリ、ここは落ちる、下賤どもに殿下の髪一筋とて目通り奉らせてはならぬ!』
「彼は旧王朝における王族の近侍で、具体的には、」
ヴィレイアは小さく息を吸い込んで、囁いた。
「ヴェストラーチェ王女専属の護衛でした」
ヴァフェルムが大きく目を見開き、息を呑む。
「そうすると――」
「欠け人として異常だった理由は分かりません――生前のアンリが法術師で、実はアンリが死霊と契約した可能性も考えましたが、どうでしょうね――相手が欠け人ですから、私も正確に相手の法気を推し量れたわけではなかったのですが、アンリの法気はもう使い切られてすっからかんな印象でした。
もちろん、死霊との契約で使い切った可能性もありますけど」
「ヴェストラーチェ王女の近衛に、抜きん出た法術師がいた記録はない。
王女自身が法術師だったのだから、周囲も法術師で固めた可能性はあるが――」
「だったらやっぱり、アンリが欠け人としておかしかった理由は考えないといけないとして、――死霊と契約したのはお姫さまですね」
ヴィレイアは頷いた。
「あの鉱路に落ち延びたヴェストラーチェ王女は、二百年前、死霊と契約して、――今もあの鉱路にいるんです」




