19 探索報酬
元々の疲労もあり、ダイアニの町に到着する頃には、全員の身体が軋みを上げるような始末だった。
アガサはうんざりした顔で、「しばらく遠くの鉱路には行きたくない」と呟いている。
ようやく陸舟をダイアニの駅に止め、各々が伸びをしながら外に出て、アーディスが陸舟に鍵を掛けたのは、ハイリの町を出発してから五日後の正午前のことだった。
身を切るように寒い日だったが空気は澄んで晴れており、ただし風が強かった。
リガーが亜竜の膀胱に詰めた資源を浮揚精を使って持ち上げ、一同はよろよろと勇者組合を目指す。
その道中、やはり周り中からじろじろと見られ、あれこれと囁かれ、リベルはもう半ば目を閉じてしまっていた。
幸いなのは、勇者組合は駅から近いことだ。
そこまで、もう前だけを向いて、何にも耳を貸さずに歩くのだ――と己に言い聞かせていたリベルは、その声に気づくのが僅かに遅れた。
からんからんころん、とどこかのドアベルが鳴り、間髪入れずに上げられた声。
「――ヴィレイア! リベルさんっ!」
「――――」
数秒ぽかんとしたリベルを置いて、疲労の余りに切なそうな顔をしていたヴィレイアが、ぱっと顔を上げて目を丸くした。
「――リエラ!」
リベルもはっとした。
駅から勇者組合への道すがらにある小さな喫茶店のドアが開けっ放しになっており、そこから飛び出してきたらしく、頬を紅潮させて白い息を吐き、嬉しそうに手を振っているのは、誰であろうリエラ――つい二箇月半前には治癒精を盗んだ法術師である少女だ。
肩上で切り揃えられた淡い金髪、にこにこと微笑む薄紫の瞳、暖かそうな灰色の外套。
彼女の後ろから、喫茶店の店主らしき壮年の男性が、「ドアは閉めてってくれよ!」と怒鳴る声が聞こえた。
リエラはたちまち真っ赤になって振り返り、「すみませんっ!」と叫び、わざわざ店の中に戻って店主にぺこぺこと頭を下げてから、再び通りに走り出てきた。
そのときに外套のポケットから手袋を出そうとしたが、勢い余ってそれを道にぽとりと落とし、ますます赤くなって焦りながらそれを拾い上げる。
その間、リベルたちは元より、「このお嬢さんは誰だ?」と言わんばかりのアーディスたちも、ぽかんとして足を止め、それを眺めている。
そうして、決して息を切らせるような激しい運動はしていないにも関わらず息を弾ませながら、やっとのことでリエラがリベルたちに駆け寄ってきた。
ヴィレイアが思わずといった様子でそれを出迎えて駆け出し、二人の少女が「わあっ、久しぶり!」という一連の遣り取りを繰り広げる。
互いに稀代の法術師どうし、何か通じ合うところがあるのか、実際に接した時間以上の親しさを披露している。
とはいえすぐに、ヴィレイアがはっとしたようにリエラから離れた。
「あ、ごめん。私、今けっこう臭いよね」
「え、そんなことないよ」
と言いつつ、リエラは苦笑。
ヴィレイアが右手に抱える黄金の鞘に驚いたように目を遣ったものの、鉱路ならばこういうものも採れるのだろうと無知ゆえに結論づけたのか言及はせず、それから彼女は突然声を低めた。
「――ねえ、もしかしてなんだけど、陽精に何かした?」
「――――」
ヴィレイアは一瞬目を閉じ、それから瞼を上げて、長い睫毛の下からリエラを窺った。
「……ばれた?」
「ばれたというか、陽精との契約が切れちゃったから。陽精は治癒精に比べるとそんなに強くないから、あなたじゃなくても真契約は出来るでしょうけど、もしかしてと思って」
ヴィレイアはまた目を閉じて呻く。
リベルは思わず割って入った。
「ヴィリーは何も悪くないよ」
リエラの薄紫色の瞳がリベルに移って、笑窪が深くなった。
「お久しぶりです、リベルさん」
「……久しぶり。あの、マジで、陽精のことは、ヴィリーは悪くないから」
人見知りを発揮して目を逸らしつつも、なんとか声を絞り出すリベル。
そんな彼の背中をつんつんとつついて、「誰、この人?」と尋ねるアガサ。
本当のことを言うに言えず、曖昧に唸るリベル。
リエラはリベルに向かって素直に頷いてから、そうっとエルカに視線を移し、途端に強張った頬になんとか微笑を継続して貼り付けてみせた。
「――えっと……お久しぶりです、エルカさん……」
エルカもひたすら気まずそうである。
おまえはショーズ商会の命令でこの子を捕まえていたときに一体どういう振る舞いを見せていたんだ、と、リベルとしては少々気に掛かる。
「久しぶり。元気?」
「あ、はい」
真顔で応じるリエラ。
二人の間の会話が一秒足らずで終了したことが窺える。
ヴィレイアが苦笑して、小さく手を振ってリエラの注意を引いて(肩や腕に触れなかったのは、どうやら自分が臭いだろうことに気を遣ったらしい)、首を傾げてみせた。
「リエラ、どうしてここに?」
「ああ、えっと」
答えようとして、アーディスたちにおずおずと視線を向けるリエラ。
察したアーディスが、「ちょっと離れていようぜ」と仲間に声を掛け、十フィートほど進んでから足を止めてくれる。
アガサは相当に胡乱な目でリエラを見てからそれに続いた。
リガーが面白そうにリベルを見る一方、ラティは知らない少女がやって来たという事実から、気弱な心臓を庇おうとするように小さくなっている。
ごめん、と唇の形で元の仲間たちに伝えてから、リベルは深呼吸し、覚悟を決めてリエラと目を合わせた。
「――で? 何かあったの?」
「ああ、いえ、違うんです」
リエラはふるふると首を振り、リベルとヴィレイアを均等に見ながら話を続けた。
「私、バンクレットさまのご指示でここにいて」
「ジョーゼル小父さまの? え、もしかして、私って指名手配でもされちゃったの?」
ヴィレイアが目を瞠る。
リベルも自分の顔が強張るのを自覚した。
「バンクレットさんはどこに?」
「ヴィレイア、落ち着いて、ごめんなさい、陽精のことであなたに何か言ってる人は、私の知る限りではいないから。
それに私のあの件を知ってるあなたが、まさか同じようなことをするとは誰も思わないって」
「――それもそうか」
確かに、と言わんばかりに納得の顔を見せるヴィレイア。
気楽になった様子で顔が明るくなる。
それを見てほっと表情を緩めるリベルを見て、リエラは生真面目に彼の質問に答えた。
「バンクレットさまは、ヴァフェルム閣下のおそばに戻られてます。
それで私をここに置いて、リベルさんたちが戻ってきたら、バンクレットさまのおそばの法術師に連絡するようにって仰って」
「そんなの、私が連絡するつもりだったのに」
安堵しつつも訝しそうにそう言ったヴィレイアに、リエラは照れくさそうに笑う。
「ううん、バンクレットさまは本当のところ、私に気晴らしが要るだろうって考えてくださったの。ずっとお屋敷に籠もっているようでは息が詰まるだろうって仰ってくださって。
だから半分以上は、これ、私の休暇なの」
「それでよく、俺たちが戻ってくるのがよく見えるところにいたね?」
「あ、それは、休暇とはいってもちゃんとしなきゃって。
この町に到着してからずっと、朝から晩まであのお店で、通りを眺めていたんです」
衒いなく真っ直ぐに言い切るリエラに、エルカが戦慄した顔をする。
「それ、お屋敷にいるより息が詰まるんじゃね……?」
「いえ、通る方々が皆さん色んな格好をされていて、見ていてわくわくしました」
「マジかよ……」
「店主のおじさまも、一昨日からは珈琲を一杯おまけしてくれるようになって、こんなに優しい人がいるんだなって」
一方、ヴィレイアはがっかりした顔をする。
「ねえ、っていうことは私たち、今すぐヴァフェルムさんのお屋敷に向かわないといけないの?」
その彼女の顔から、「せっかくのお風呂が遠ざかる……」と思っていることが分かり、リベルは苦笑する。
だが、リエラはまた首を振った。
「ううん。これから私が法術師の方に伝言するでしょ? そしたらバンクレットさまか――もしどうしてもバンクレットさまの手が塞がっていたら他の人が、お迎えの陸艇を寄越してくださるんですって。
ヘルヴィリーからここまで一日くらいは掛かるから、今すぐにってわけじゃないわ」
ヴィレイアが顔を輝かせてリベルを見つめる。
リベルは苦笑して、彼女の頭に掌を置いた。
「分かってる分かってる、ホテルだろ」
「やった……っ!」
余程現状にストレスを抱えているのか、爪先立って喜びを露わにするヴィレイア。
エルカは元よりリエラまで苦笑した。
リベルはヴィレイアの頭に置いた掌を、ぽんぽんと上下させる。
「ちゃんとホテルは取ってやるから、もうちょっと辛抱してくれよ、ヴィリー」
アーディスたちに身許を探られるとまずいリエラといったん別れ(リエラは当然のように元いた店に戻ろうとしたので、「いやちょっと待て、せっかくなんだから他にも店はある」と、さすがに引き止めたエルカが、彼女に本気で慄いた顔をされて若干しゅんとしていた)、リベルたちは一先ずアーディス隊と共に勇者組合に向かった。
組合に一歩踏み込むや否や、「〈錆びた氷〉だ……」と囁き声が拡がり、リベルはまたも顔を押さえて悶絶することになった。
組合のカウンターでは、アーディスが「換金を」と申し出るや否や、「あの〈錆びた氷〉が採ってきたならばさぞ価値のある資源に違いない」という顔で、組合職員が走り出てきて一同を階上に案内する。
実際には資源の換金において分け前を求めていないリベルがこれに同行するのは、出発前の陸舟を巡る騒動を念頭に置いてのことである。
リベルが席を外した結果として、組合職員がアーディスたちの要求どおりの換金額を示さないことを警戒したのだ。
階上の部屋で、組合職員が三人掛かりで資源を査定に掛かる。
文字通りの目玉は亜竜の眼球で、これについては更に専門の鑑定者が呼ばれて来る騒ぎとなったものの、二時間ほどでアーディスは要求額と然程の乖離のない金額の査定証を手に入れた。
この査定証があれば、組合の窓口で小切手の交付を受けることが出来るが、その小切手の金額は交付を受ける勇者の等級により、資源税が差し引かれた金額となるのである。
ちなみに渡される小切手は、振出人を名宛人に限るものであり、銀行も、勇者が由来不明の高額の現金を持ち込もうものならば組合に通報するため、受取人を等級の低い勇者に頼むなどといった等級の誤魔化しは、ほぼ不可能だった。
査定証に記された金額を隊の中でどう割り振るかはアーディスの腹一つだ。
リガーが唐突にアーディスに対して従順な態度を取るようになっているが、これは探索終了後の彼の習性だった。
まだリベルの足許には、亜竜の膀胱に詰め込んだ黄鉄鉱の巨人の死骸と骨が残っており、組合職員はそちらに窺うような視線を向けたが、リベルは咄嗟にそれを脚で庇った。
「こ――これはこっちで、ちょっと、使うので」
腰が引けながらもそう言ったリベルに、組合職員は柔和に微笑み、「そういうことね」と。
組合で換金を済ませてしまえば、アーディス隊にとっては探索は終了である。
ヴィレイアが、辛抱強く口には出さないながらも、いよいよつらそうな顔をし始めたので、リベルは若干慌ただしく、「また後で礼に来る」とアーディスたちに言い置いて、ヴィレイアを連れて目星をつけていたホテルへ向かった。
エルカには資源を託して、「ここで待ってて」と頼む。
リベルが頭の中で目星をつけていたのは、存在こそ知ってはいるものの、一度も足を踏み入れたことはないホテルである。
煉瓦造りの重厚な外壁、ステンドグラスの光る大きな窓を備えた、ダイアニ随一とは言わないまでも、それなりに高級なホテルである。
おっかなびっくり白大理石の床を踏むリベルと、眠そうにしているヴィレイア、薄汚れた格好の二人に、ホテルの帳場係は微かに眉を寄せたものの、彼の頭の中でリベルの髪色と腰の得物が像を結び、更にリベルが出した小切手の金額を見た途端、その顔はとっておきの歓迎の表情に変わっていた。
勇者といえば大抵の町では鼻つまみ者だが、ダイアニやエーデルといった、勇者組合の力が強い町ではそうではない。
帳場係の表情を見てほっとしつつ、リベルはヴィレイアの肩を掴んで、彼の前に差し出した。
「この子にとびきりいい部屋をお願いします」
*◇*◇*
黒瑪瑙のマントルピースの奥で爆ぜる暖かい炎、部屋の中央に下がる雫型をした水晶のシャンデリア。
上品な唐草模様の壁紙に、風景画が数点の彩りを添える。
足許は磨き抜かれた胡桃材の寄木細工、続き部屋となっている寝室には濃紺の絨毯と、大の男が四人程度は横になれるだろう、天蓋つきの巨大な寝台に、ふかふかの寝具。
寝具の上には、今夜ここに泊まる少女の持ち物である薔薇色の両手剣と、見事な黄金の鞘と、青い時精時計がそっと置かれている。
時精時計に浮かぶ数字は「一〇一九」。
寝室の鏡台には豊富な髪油や香油の小瓶、黄楊の櫛、一輪挿しの花が並び、蝋燭には精油を使った良い香りのするものが用意されている。
準備されている化粧着はもちろん繻子である。
寝室から通じる浴室前に、今夜ここに泊まる少女が脱ぎ散らかした衣服が散らばっていた。
その奥の浴室には、高級な不溶石から生み出された水を、四隅の不傷石の熱で程よい湯とした、広々とした花崗岩の浴槽。
花の香りのする石鹸が備えつけられ、照明は花の形に加工された光晶のランタン。
しっかりと髪を洗って梳り、身体を洗い、浴槽に滑り込んだヴィレイアは、冷えた身体に温かさが沁み入り、強張っていた筋肉が緩むのを感じ、ほう、と吐息を漏らした。
冷え切っていた足の指先が、早くも熱を拾って薄桃色に染まっている。
湯気が立ち込める浴室内、身動ぎするとぱしゃりと湯が跳ね、彼女の口許には如何にも満足げな、幸せそうな微笑みが浮かぶ。
その頬もすっかり上気している。
ヴィレイアはのびのびと身体を伸ばし、掛け値なしの、心からの快哉を叫んだ。
「――さいっこうーっ!!」
同じころ、リベルはエルカと合流していた。
エルカはどことなく揶揄うような顔をしている。
「ヴィリー、喜んでた?」
「たぶん」
「なんで『たぶん』?」
「部屋までは一緒に行ってないから。ホテルの人に預けてきた」
「あれ、一緒に泊まるんじゃねえの?」
「そんなわけあるか。おまえは俺と一緒に安宿だからな」
「それはいいけどさ」
そう言ってから、エルカは今度は探るようにリベルを見た。
足許の、資源を詰めた亜竜の膀胱を爪先でつつきながら。
「――あのさ、リベル。考えてたんだけど、やっぱりこれ、換金した方が良くないかって」
リベルは顔を顰めた。
「だから、言ったじゃん。すぐ壊しちゃうよりは、ちゃんとしたのを仕立てた方がいいって」
「けどさ……」
珍しいほど言い淀む兄貴分に、リベルは溜息を吐いた。
「俺に遠慮してるなら、そういうのは要らないよ。一緒にいてくれればいいよ」
「なんだそれ」
「だっておまえがいる方が心強いから」
嘘はなくそう言って、リベルはエルカを急き立てる。
「ほら行こう。ダイアニなら、〈氷王牢〉を鍛えてくれた工房があるから。
その前に別の工房で、指輪も頼みたいし」
ほら行こう、とエルカを急き立てたものの、いざ工房に着くと人見知りを発揮するのがリベルである。
殊に、最初に立ち寄った工房に深紅の亜竜の鱗を託し、「揃いの指輪を三つ」と頼んだ結果、その工房の人手が総出になって、「〈錆びた氷〉に新しい仲間が」「一体どんな連中で」「残り一人はどこに!?」と問い詰められ、リベルは頭から湯気が出るほど真っ赤になった。
リベルが吃りながら依頼を完了するまで、亜竜の膀胱を抱えたエルカは、興味深そうに工房を見渡していた。
そこは指輪などの小さな作品を扱う工房だったから、大掛かりな窯や圧縮機があるわけではなかったが、足踏み式の旋盤や設計台に目を遣っては、素直に感心した表情を見せている。
ようやく職人たちの好奇心満点の質問を掻い潜り終え、「任せてください、最高の出来に仕上げますんで!」という心強い言葉に亜竜の鱗を託したリベルは、よろめきながらエルカの腕を掴んで、工房の外へ引っ張った。
「次。次が本番」
「ほう、おまえがどれだけ狼狽えるか見ものだな」
軽口を叩いたエルカに、リベルは肩を竦めてみせた。
「いや、次はおまえがめちゃくちゃ疲れると思うよ」
〈氷王牢〉を鍛えた鍛冶屋はダイアニの外れに店を構えており、店主である鍛冶師は――鉱路産の素材を鍛えることが出来る鍛冶師は皆そうだったが――高齢で気難しい。
鉱路産の素材を鍛えることは、とある鍛冶師曰く「べらぼうに難しい」ことなので、技術を習得して一丁前に鍛冶屋を開くことが出来る頃には、鍛冶師は壮年を越えているのが通例なのである。
その鍛冶師はバーコという。
白髪の増えた灰色の髪を後頭部で一つに束ねており、皺の多い顔に切れ長に開いた黒い目が威圧的に相手を睨む。
リベルは彼が好きだった。
初めて会ったときには卒倒しそうなほど恐ろしく感じたものの、慣れてみれば、常に自分と他者との間に壁を作っているような彼の雰囲気が、人見知りのリベルからすれば大変有り難かったのである。
リベルが鍛冶屋を覗き込み、乱暴な字で「御用の方はこちら」と書かれた札が括り付けらえたベルを鳴らすと、どすどすという足音とともに、奥の鍛冶場からバーコ本人が顔を出した。
奥の鍛冶場からは熱気が入口の土間まで伝わっており、冬とは思えぬ暑さである。
バーコがリベルを見分けて、眉間に深い皺を刻みながら、焦げ跡で埋め尽くされようとしている前掛けで手を拭い、ぐっと顎を引く。
「――研ぎか?」
リベルは首を振った。
「新しいのをお願いしたくて」
バーコの目玉が飛び出しそうになった。
「なんだと? その貧相な腰に下がってるのはなんだ? 俺の鍛えた〈氷王牢〉じゃ満足できんと?」
「そんなはずないでしょう。大事に使わせてもらってます。今日はこいつの」
兄貴分の肩を押してバーコの前に差し出す。
バーコはまじまじとエルカを見つめた。
エルカは、「俺はどういう顔をするのが正解なんだ?」と訝る表情。
バーコがエルカを見たまま、唇を曲げて尋ねる。
「ものは?」
エルカが、「マジでいいの?」という目でリベルを見た。
リベルは「つべこべ言うな」という目でそれを見返した。
一秒の沈黙ののち、エルカが足許に下ろした亜竜の膀胱を示した。
「こいつ――です」
「は? 亜竜のケツで何を作れと?」
「違う、中に入ってる方です」
「ほう」
そう返答したものの、バーコはそちらは見なかった。
どすどすと土間まで下りてくると、エルカの周りをぐるぐると回り始める。
エルカが、「これは正常な手続きなのか、それともこいつが変態なのか」と問い詰める目でリベルを見た。
リベルは微笑んで、「そのまま」と示すような手振りをした。
バーコはエルカの手を取り、まじまじと掌の硬さと指の形を観察した。
それから腕に触れ、背中に触れる。
そしてそのまま、エルカの腕を掴んで土間から上がった。
エルカは目をぱちくりさせる。
「へ?」
「赤毛の小僧、もの持ってついて来い」
「はい」
リベルがよいしょと亜竜の膀胱を抱え、バーコの後に続く。
鍛冶場の手前の応接スペースで、バーコは足を止めた。
リベルがその場に亜竜の膀胱を下ろすと、膝を突いて中を検め始める。
「どこの鉱路のやつだ?」
「ハイリの近くの――レキルト地方の」
「道理で見たことがないわけだ。――どんな形の?」
「巨人」
「なるほどなるほど」
一通り黄鉄鉱の巨人の死骸を検め終えると、バーコは立ち上がって腰を伸ばした。
そして、ふと思いついたようにリベルを見た。
「〈氷王牢〉、ここに置け」
リベルは警戒ぎみに眉を寄せた。
「……質に取らなくても、支払いはちゃんとしますよ」
「馬鹿やろう、研いでやるって言ってんだよ。弟子を取った。そいつにやらせる」
「あ、失礼しました」
いそいそと〈氷王牢〉を腰から外すリベル。
バーコは〈氷王牢〉を大儀そうに持ち上げると、もう片方の手でエルカの手を掴み、奥の鍛冶場へ進もうとする。
エルカはきょとんとした。
「え、俺もすか?」
バーコは振り返り、胡乱げに。
「あんたら兄弟かね?」
「なんで分かるんすか」
「そこの赤毛の小僧とあんたが同じことを言うからだ」
「だって俺、剣の鍛え方なんて知らないから――」
「馬鹿者。あんたの戦い方を知らんで、どうやって剣を鍛えると言うんだね。奥で見せろと言っとるんだ」
「馬鹿じゃなくて知らないだけだよ。だって鍛えてもらうの初めてなんすよ」
「なら黙って言う通りにせんか」
「――うっす」
リベルは欠伸をしてから、応接スペースの申し訳程度のがたつく椅子に腰掛けた。
小一時間後、エルカは疲れた顔をして戻って来た。
リベルが手を振ると、「人生でいちばん質問攻めにされた」と呟き、椅子に腰掛ける。
「なんか適当な剣振らされるし、どのへんから重く感じるのかとか、重石持たされたりしたし」
むす、と唇を曲げてから、エルカは小声になって言った。
「――リベル、ありがとう」
リベルは肩を竦めた。
奥からバーコが出てきた。
両手を擦り合わせ、それはそれは嬉しそうだ。
リベルの足許からよっこいせと亜竜の膀胱を抱え上げつつ、楽しそうに告げる。
「久しぶりにいい素材といい人間だ。
十日は貰うよ、構わんね」
「師匠、他の仕事全部僕に押しつけて、こっちに専念するつもりでしょ」
二十代後半と思しき青年の声がして、バーコの後ろからまだ若い青年が現れる。
彼がバーコの弟子だろう、「はい」とリベルに〈氷王牢〉を手渡し、「研いでおきました」と。
「……どうも」
目を合わせられないながらもそう言ったリベルに肩を竦め、青年はバーコを見遣る。
「別に仕事を引き受けるのはいいですけど、夜なべで作業してぶっ倒れたりするのはやめてくださいね」
「黙れ。戻れ」
バーコが唸るようにそう言って、青年が「はーい」と言って奥へ戻っていく。
バーコはふんと鼻を鳴らしてから、エルカに向かって。
「十日したら取りに来なさい」
「うっす」
「その後は試しに使ってみて、おかしいところがあったら言いに来なさい」
「うっす」
「支払いは受け取りに来たときだ。いいね?」
エルカがちらりとリベルを見て、リベルが頷くのを見てから頷く。
「――うっす」
バーコは満足そうな表情を浮かべたあと、沈黙の三秒を挟み、唐突に元の険しい表情に戻った。
そして、吠えるように言った。
「分かったら帰らんか、邪魔だ、小僧ども」
*◇*◇*
宣言どおり、リベルは自分とエルカのためには適当な安宿を取った。
その部屋にエルカが落ち着き、さすがの彼も疲れていたのか、服を脱ぎ散らかしてことんと眠りに落ちたのを見守ってから、リベルも疲れて眠い目を擦りつつ、勇者組合に引き返す。
欠伸を噛み殺し、じろじろと見られることにも鈍感になりながら組合の一階を見渡すと、狙い通りにアーディス隊の面々を見つけることが出来た。
足早にそちらに歩み寄って、声を掛ける。
「――報酬の割り振りは終わった?」
全員が顔を上げ、各々の表情を浮かべる。
微笑んだアーディスが応じた。
「おうよ、ばっちりよ」
リベルは彼らのそばに滑り込むように座って、ぺこりと頭を下げる。
「マジで助かった。今回のこと。本当にありがとう。
俺はみんなに不義理したのに」
アガサが微妙な表情になる一方、アーディスとリガーが笑い始める。
「勇者に義理もクソもあるもんかよ」
「おうよ。まあ、仲間が見つからずに野垂れ欠けると思ってたおまえが、生きてぴんぴんしてたことにはびっくりしたけどな」
アーディスが手を伸ばしてリベルの頭を撫でようとして、元仲間が相手であっても人見知りを発揮して身を引いたリベルに苦笑する。
「今の仲間とは気の置けない関係みたいで良かったよ。
――それに、礼ならいいんだぜ。おまえに譲ってもらった亜竜の目玉、こっちの目玉が転がり落ちるくらいの高値がついた」
リベルはほっとした。
「良かった。――なんか俺で役に立てることがあったら言って。
リガー、ヴィリーに伝えてくれたら、俺に伝わるから」
そう言って、しかしリベルはふと考え込んだ。
――ヴィレイア。
エルカと合流してからこちら、リベルに対する態度に波が出来ていたヴィレイア。
この探索の間中、ヴィレイアは以前のようにリベルに親しく接してくれていた。
だから当然のように、リベルはあの深紅の鱗を使った指輪を三つ注文したのだ。だが――
――『リベル、いつか私が〈焔王牙〉だけ残して失踪したら、リベルが使っていいよ』
リベルは思わず首を振って、その記憶に蓋をした。
一方、リガーはふと思い出したように片手で口許を覆っている。
「――そうだ、ヴィレイアといえば」
リベルは眉を寄せた。
「なに?」
「すげぇことになってたぞ」
リベルは瞬きする。
首を傾げた彼に、リガーは極限まで声を低めて。
「――精霊との儀式にはな、とある香草を使うんだが」
「知ってるよ」
「その香草が品切れだ。
やー、びっくりしたぜ。ちょっと前の治癒精の騒動のときにもさ、あの香草、品薄になったんだよ。みんなこぞって、治癒精と再契約し始めたからな。そこで問屋の在庫ががくっと減ってたところに、今度は陽精だろ。今度こそ香草が品切れだ。
今度は陽精復活までものの数分だったってことはみんな分かってんだが、怒り心頭って感じだぜ。香草がなくて儀式が出来なくて、しばらく陽精をお預けにされてる奴もいる」
リベルは思わず腹部を押さえた。
「絶対ばれないようにする。ばれたらヴィリーは一人では出歩かせない」
腹立ち紛れの闇討ちに遭われては堪ったものではない。
ラティが意外そうに目を丸くしたので、リベルはそちらを向いて、「なに」と。
ラティはぼそぼそと呟いた。
「いえ……。リベルは、なんというか、特定の誰かと親しくすることは避けていたようだったので……。僕たちにも、あんまり――立ち入られたくないところがあるようだったので。
そんな風に一人の人を大事にするのが、意外だったんです」
「――――」
リベルは朱色の瞳を瞬かせた。
思わず四人の顔を見渡してから、目を擦る。
「いや……」
息を吸い込む。
「いや、違う。その……おまえらを大事にしてなかったように見えたなら、違う」
「あ、いや、あの、そういう意味では」
「ヴィリーには世話になったから――本当に。
だから、もうおまえらを避けなきゃいけないわけもなくなったし」
そこまで口走ってから、リベルはぴたりと口を噤んだ。
彼の顔に明瞭に「しまった」という悔恨が浮かぶのを見て、アーディス隊の四人は良心的にもたった今の言葉を聞かなかったことにしたらしい。
アーディスが笑って手を振った。
「まあ、どうでもいいさ。――とにかく、リベル、今回は儲けさせてくれてありがとな」
「リベルっ!」
勇者組合を出て伸びをし、自分の宿に戻ろうと歩き出したところで背後から名前を呼ばれ、リベルは振り返った。
そして、名前を呼ばれて振り返ったことで、こちらを見ていなかった勇者たちまでがこちらに視線を向けたことに気づき、俯いた。
駆け寄って来たのはアガサで、リベルの窮状に気づいて眦を下げる。
「ごめん、注目させるつもりは」
「いいよ。いいけど、ちょっと離れよう」
そう言って、リベルはアガサを連れて少し歩いた。
注目されない建物の陰に逃げ込んだ上で彼女に向き直る。
「――なに?」
アガサは少し口籠ってから、紫色の目を伏せて言った。
「……ヴィレイアに、感じ悪くしてごめんなさいって言っておいてくれる?」
リベルは瞬きして、頷く。
「うん。別に気にしてないと思うよ」
「それならいいんだけど。
――あと……」
言い淀んで、アガサは目を上げる。
「……たぶん、あんたがいきなり私たちを捨てたのは、それなりの事情があったからだと思ったのよ。
なのにあれこれ言って、ごめんね」
リベルは肩を竦めた。
不器用な彼の顔面は相応しい表情の選定に困り、いつもの顰め面になった。
「いや、別に」
「――ヴィレイアは、そういうあんたの事情を助けてくれたの? だからこう、異様に大事にしてるの?」
「異様に」
リベルは復唱して、赤錆色の髪を掻いた。
「普通だと思うけど」
アガサは目を細めた。
リベルが質問への返答をはぐらかしたことには気づいたようだったが、何も言わなかった。
彼女は軽く息を吸い込んで、微笑んだ。
「――それはいいんだけど。
リベル、歳が近くて自分より強い勇者なんて、滅多にいないのよ、私。
だからこれからも、良かったら会って」
リベルは瞬きして、微笑んだ。
「だからさっき、なんか俺で役に立てることがあったら言ってくれって言っただろ。
どうせ近いうちに引き取るものがあるから、またダイアニにも来るし」
「――――」
アガサはぱっと笑顔になった。
「そう」
嬉しそうに呟いて、短い髪を揺らして踵を返す。
「それを伝えたかったのよ。引き留めてごめん。
――ゆっくり休んでね、リベル!」
リベルは片手を挙げてそれに応じた。
「おう」
宿に戻ると、エルカが毛布を蹴り飛ばして爆睡していた。
窓の外は燦々と明るいが、それを歯牙にも掛けぬ熟睡ぶりである。
リベルは自分も服を脱ぎながら微笑んで、毛布を拾い上げてエルカに掛けてやろうとする。
そして、手を止めた。
エルカは俯せになっている。
背中が規則正しい呼吸のリズムで動いている。
その筋肉質な背中、傷痕だらけの皮膚の、中央よりもやや左に逸れた場所に、乱雑に押されている赤黒い焼き印。
上下すらも確認せずに捺されたことが分かる、所有の証。
円の中に飾り文字で『ラディス』と記されているだけの、素気ない焼き印。
リベルの背中にも全く同じ焼き印がある。
異なるのは位置だけだ。
まだ幼かったリベルが恐怖に身を捩ったために、リベルの焼き印は腰に近い位置、やや右に逸れた位置に捺されている。
――リベルとエルカの、人生全てを奪うものだった焼き印。
「……でも、もう違う」
微笑んできっぱりとそう呟き、リベルはエルカに毛布を掛けてやった。




