18 欠け人
息が止まるほどの驚愕も、「まさか本当に」という信じ難い気持ちも、しかし今は疲労が霞ませていた。
リベルは〈氷王牢〉を鞘に収める余力もなく、切先を引き摺るようにして踵を返す。
さすがによろめき、半ば足を引き摺りながらも、リベルは息せき切って。
「――オーリン? オーリンは?」
メイが両手で顔を覆った。
――戦闘中のリベルとエルカを慮って、嗚咽のひとつも漏らすまいとして堪えた彼女が、とうとう泣き声を上げた。
リベルは足を止めた。
ウェインが息を吸い込み、ゆっくりとその息を吐いた。
そしてリベルを見て、微笑の成り損ないのような表情を、不器用に浮かべてみせる。
「……気に掛けてくれてありがとな」
「――――」
〈氷王牢〉から手を離し、リベルはその場に座り込んだ。
エルカが目を閉じて、「くそったれ」と小さく囁き、袖で鼻を拭った。
*◇*◇*
生命を失ったオーリンはそこに立って、ふらふらとどこかへ歩いて行こうとする。
これは欠け人に共通のことで、両脚が残って欠落した竜の眷属は、まず何よりも動こうとする、どこかへ行こうとする習性が知られている。
誰かは言った、それは死を失った竜の眷属の、ここではないどこかへ行くべきだったのだという、ささやかながらも最後の絶叫であると。
ディドルがそれを呼び止めようとしたが、もはや名前を呼んでもオーリンはそれが自分だとは認識できない。
分かってはいても言葉を失ったディドルが黙り込み、メイが「止まれ」と命じてようやく、オーリンはその場で足を止めた。
「……連れて帰らなきゃなぁ……」
ウェインが呟いたが、その表情は当然に苦い。
――欠け人は、このケセルク共和国においては、共和国の財産だ。
地上に出てしまえばオーリンは、都市の部品、陸艇の部品、あるいは療術のための被検体となる。
そこには個人の尊厳も、生前に彼が受けた愛情への敬意もあったものではない。
更に言えば、欠け人の感覚がどこにあるのかは議論の分かれるところであり――生きている人間は、当然ながら欠けたことはないのだから、議論も推測の域を出ないが――それでも多数を占めている考えは、感覚は依然として身体にあるというものだった。
欠け人の精神は、本来ならば死霊が手招くべき道を失って、第三の停滞に転がり落ちている。
そしてそれである以上、精神は生命を失って表出する力を失くしたのみで、なお身体の中のどこかに属しているのではないかという考えである。
ゆえに、そうと表現する能力を失っているだけで、欠け人には痛覚をはじめとした感覚が残っているというのである。
趣味の悪い療術師は、この仮説を裏付けるためと称して欠け人の身体を切り刻む。
それでも誰も欠け人の利用方法について異議を申し立てたない理由は簡単で、欠け人は共和国の所有物だからだ。
旧王朝を武力で放逐した共和国の軍部が、その管理を握っているからだ。
異議を申し立てて不興を買えば、その代償は計り知れない。
それを知らしめるために、町には常に、見渡すだけで五人は見つけることが出来るほどの数の衛卒が配置されているのだ。
ウェインたちの心情として、オーリンを共和国の手許に渡すことを避けたいのは言うまでもない。
だが、それにはリスクが大きかった――ここは鉱路だ。
そして亜竜が欠け、黄鉄鉱の巨人も死んだとなれば、再び勇者が大挙して押し寄せるだろう。
その中の誰かが、欠け人となって彷徨うオーリンを見つける可能性は十分にある。
そうすればその勇者は、オーリンを地上に連れ帰るだろう――迷った欠け人を地上に連れ帰れば、共和国はそれなりの褒賞を出す。
そしてオーリンの格好から、欠落したのがつい最近のことだと分かれば、どこの勇者隊に所属していたのかの捜索が始められ、突き止められればウェイン隊は罰を受けることになる。
そして感傷的な理由もあった――ここでオーリンが、運が悪ければ鉱路生物に喰われるくらいならば、陽光の許へ連れ出してやりたいという。
何より、幼少の砌から周囲から刷り込まれた、「欠け人は共和国へ届けるべき」という倫理を踏み越えるのは、誰であっても難しい。
互いに寄り添うウェイン隊を見守る他の勇者たちの目には、哀感と同情と、そして気遣いと遠慮がある。
リベルはちらりとヴィレイアに視線を落とした。
――治癒精でリベルとエルカを再び治療した彼女は、今も黄金の鞘をぎゅっと抱き締めたまま、リベルからしても過剰に思えるほどの恐怖の目でオーリンを見て――
(いや……)
――オーリンではなく、その周囲のウェイン隊の勇者たちを見ている。
彼女が息すら詰めている様子なので、リベルはおずおずとヴィレイアの肩に触れた。
――すっかり解けてしまった白百合の色の髪が、その肩にはらはらと零れている。
「――ヴィリー?」
ヴィレイアがはっとした様子で息を呑み、大きな濃緑の瞳を瞬かせた。
彼女がリベルを振り仰ぐと同時に、ウェインが手を叩いた。
「……よし、じゃあ、やることやっちまおうか」
亜竜の目玉はあらゆるものより高い値で勇者組合に買い取られる。
言うまでもなく、人工の加護の源泉になるものだからだ。
他にも、リベルが目をつけた黄鉄鉱の巨人の死骸など、この場には回収すれば懐を潤すに足るものは多くある。
そして多くの勇者は、仲間が欠けようが行方不明になろうが、価値のあるものから手を引くことはない。
とはいえ心苦しく感じることは事実だったが、当のウェイン隊が苦笑ぎみにそれを謝絶した。
「ひでぇ目に遭ったんだから、それなりのもんは貰っていかなきゃな。
――オーリンもその辺はがめつい奴だったから」
ウェインが愛情深くそう言って見つめる先で、オーリンは欠け人の虚無を映す瞳でそれを聞いている。
ウェイン隊の資源袋は少し離れた場所で、あの戦闘を奇跡的に乗り切っていたが、ウェインは躊躇いなく、その中に詰め込んでいた資源を捨てさせた。
というのも、この場で得られる資源の方が価値が高いと踏んだためである。
資源を無限に持ち帰れるわけではないのだから、取捨選択をするのは勇者の日常だった。
亜竜の目玉、亜竜の鱗や牙、骨、黄鉄鉱の巨人の表皮であった、岩壁にしか見えない欠片、それより内側にあった銀色の骨が、ずらりとその場に並べられる。
本来ならばこの収穫に、頭上に犇めいていた光晶が加わってよいはずだったが、光晶はヴィレイアの法気を喰った陽精の真契約の威力を得て、全てが爆発していた。
辛うじて残っているものもあるにはあったが、それらは純度が低く、アーディス曰くの「ただの塵」であった。
三つの勇者隊がこの戦果に貢献したのだから、その貢献度合いを踏まえた上で、資源をどう割り振るかが問題となるが、その議論を鉱路で行う隊は少ない。
鉱路の中でその話を済ませる必要があるとすればそれは、帰路において自分の隊の取り分を増やすために他の隊を闇討ちにしそうな勇者を安心させる場合だけだ。
影兵霊はヴィレイアの指示で、淡々と亜竜の欠けた身体を解体している。
竜の眷属は欠けたあとも動き続けるが、細切れにした身体はそうではない。
欠けた亜竜の尾の全体を切り落とせばその尾は動くが、尾をみじんに切り刻めば動かない――動くための筋肉がないのだから当然に。
「ヴィリー、影兵霊に頼んで、亜竜の内臓って引っ張り出せる? 巨人が乗ってるから難しいとは思うけど」
「出来ると思うよ」
「じゃあ頼む。――エルカ、一応見て。俺、亜竜の内臓なんて何回も見たことはないから、見分けるのに自信がない」
「おうよ。膀胱だろ?」
亜竜の体内から、大量の血液とともに引っ張り出した巨大な膀胱を裂いて、危険がないか確かめながら湖に下り、大量の水で洗う。
亜竜の血液や排泄物の匂いを嗅ぎつければ、大量の怪魚が寄って来ることは火を見るよりも明らかであるため、作業は素早く済ませて撤退する。
その際、湖の波打ち際を眺めながら、アガサがぽつりと呟いた。
「――あの変な欠け人、どこから来たのかしら」
「戻って来たりしないよな」
リガーが気味悪そうに言って、それで余計に勇者たちは慌ただしく動いた。
ヴィレイアは、なぜわざわざリベルとエルカが膀胱を引っ張り出したのかをよく分かっていないようだったが、二人が協力してその膀胱に戦果を詰め始めたのを見て、分かりやすく唖然としていた。
「おまえが前にいた隊、こういうことはしてなかったの? 資源袋が足りなくなったときとかに」
「してなかったと思う……いや、どうだろ……メメットが私をどこかに行かせてるうちにやってたのかも……」
そんな一幕がありつつも、勇者たちは首尾よく全ての戦果を持ち運ぶ手筈を整え、慌ただしくその岩窟を後にした。
アーディスとリガー、そしてギー・レスが拓いた脱出口を最後に潜ったのはエルカで、彼は最後に岩窟に向かって敬礼した。
鉱路探索において、最も厳しいと言われるのは復路である。
疲労が溜まっている上に荷物も増え、食糧も尽きつつある中で鉱路を踏破しなくてはならないからだ。
余談だが勇者隊の仲間割れが増えるのも復路においてのことである。
欠けたオーリンの手を、ギー・レスとベイ・レスがそれぞれ握って誘導している。
ディドルは断続的に啜り泣いていた。
メイとウェインは押し黙っている。
だがやがてぽつぽつと河会話が始まって、その殆どはあの欠け人に関する、「一体あれはなんだったのか」という話題だったが、リベルもヴィレイアも黙り込んでいた。
エルカも当たりはついているだろうが、同様に沈黙を守っている。
亜竜が君臨していた岩窟を抜けた先には、六フィートほどの高さの狭い坑道が続いていた。
ここにも光晶がちらほらと顔を出しており、明るい。
その狭い坑道は長くは続かず、そこを抜けると巨大な谷が口を開けている。
見下ろすと、谷底は乾いているようではあったが、深い。
そしてここは寒かった。
頭上高くから、人の背丈の何倍もあるような透明な氷柱が幾本も下がっている。
そして、谷を渡って対岸へ向かう橋のように、谷底から幾本もの青白い月長石の柱がそそり立っていた。
径が五フィートほどの不規則な形をした、どれも頂が平らに均された柱が飛び石のように並んでいるのだ。
往路でもここを通ったウェイン隊が先に立ち、オーリンに気を配りながら谷を越えていく。
次にアーディス隊が、これも危なげなく続く。
資源を詰めた資源袋と亜竜の膀胱は、それぞれの隊が浮揚精の助力を得て運んだ。
そしてその後にリベルが、注意の全てをヴィレイアに割いて続いた。
ヴィレイアは今も、あの黄金の鞘を片腕にしっかりと抱き締めており、それもあって動作は非常に危なっかしい。
リベルが月長石の柱の上に立って振り返り、ヴィレイアが自分と同じ柱に飛び移るのを、手を伸ばして介助する。
そして自分が次の柱に進み、また振り返ってヴィレイアに手を貸す。
エルカはエルカで、殿に立ちながらも心配そうにリベルとヴィレイアを見ていた。
谷を越えて対岸で全員が揃う頃には、メイは寒さでぎゅっと唇を引き結んで腕を組んで腋の下に掌を仕舞い込み、他も全員が小刻みに足踏みしていた。
対岸の地面には薄らと氷が張っており、つるつると滑る。
真っ白な毛皮の小さなネズミが、慌ただしくあちこちを駆け回っていた。
紅い目をしたそのネズミは、よく見ると尻尾が二本ある。
滑る足許に慎重になって、勇者たちがそこを進む。
リベルはしっかりとヴィレイアの手首を掴んでいた。
勇者たちが氷を踏みしめる音、氷の上を資源袋が滑る音。
立ち昇る息は白い。
その道程は一マイルほど続き、やがて氷が失せると、足許は一気に悪路になった。
攀じ登らねばならない大きさの巨岩が坑道を埋め尽くしている。
巨岩は苔むしており、これもまたよく滑った。
野生の明りクラゲが巨岩の間や上をふわふわと飛んでおり、竜の眷属の生命の揺らぎを受けて、さあっと白い光を拡げていく。
そこを越えると、また広い空間に出る。
ウェイン隊は、数日前の自分たちが築いたケルンを目印に、迷いなくそこを進んでいく。
途中、往路のウェイン隊が斃したらしき獅鷲の死骸があった。
死骸は既に他の鉱路生物に漁られて、骨が剥き出しになっている。
リベルがそちらに目を向けたそのとき、まさに獅鷲の死肉を貪っていたらしき、ウサギに似た鉱路生物がぴょこりと顔を上げて、リベルを紅い目で追った。
とはいえ襲っては来なかった――満腹だったのだろう。
分岐点に突き当たるごとに、ウェイン隊のケルンを目印に道を選んでいく。
やがて体力の限界を迎えて小休止を挟み、それぞれの隊が二、三時間ずつの休息を取った。
糧食の底を睨みながらの休息となった。
ウェイン隊はオーリンを中心にして寄り添って眠りに就き、眠りながらメイは啜り泣いていた。
その様子から他の勇者たちは目を逸らした。
最後に休息をとったのはアーディス隊だったが、その休息は不本意な形で破られた。
化けコウモリが数匹襲い掛かってきたためだったが、この襲撃はほぼ、休息を邪魔されたアーディス隊が腹立ち紛れに駆逐する形で幕を閉じた。
「もうちょっと寝てから出発する?」
リベルがアーディスに尋ねると、アーディスは寝不足で充血した目できっぱりと答えた。
「いいや、もう出発しよう。さっさと鉱路から出たい」
その休息から半日後、ようやく勇者たちは鉱路を脱出した。
鉱路の出口付近では、無数の芋虫が凍ったままになっている。
ちなみにウェイン隊はこの芋虫を、全く気にせず踏み越えて先へ進んだらしい。
久方ぶりに感じる外気の中に足を踏み出す。
何度経験しても、鉱路から生還したあとの空気の美味さは別格であると殆どの勇者は言う。
時刻は朝だった。
昇って間もない太陽が、千切れ雲の間に浮かんでいる。
リベルたちが乗って来た陸舟は無事にそこにあり、組合から貸し出されている欠け人が茫洋とそばに佇んでいるのも確認できた。
それぞれが長く影を落としている。
ヴィレイアは眩しさに顔を顰め、片手で目庇を作りながらも、感動の口調で呟いた。
「おお、日輪よ」
「日輪って?」
リベルが問い返す。
そうしながら彼は、ヴィレイアが右腕に抱える黄金の鞘の位置を少し下げさせた。
陽光を弾くと、その黄金の鞘はいっそう眩しく煌めき、目に痛いほどだったのだ。
ヴィレイアの鳩尾では、青い時精時計もまた、鮮やかに陽光を弾いていた。浮かぶ数字は、「一〇二五」。
「お日さまのこと」
ヴィレイアがぼんやりと答えて、ウェイン隊を振り返った。
ウェイン隊の面々は、周囲を見渡して悪態をついている。
「くそっ、やっぱりな」
「こうなる気が――」
「――してた」
ぼそぼそと言葉を交わすウェイン隊の面々に、アーディスが眉を寄せて尋ねる。
「どうした? ――帰りの足か?」
「そういうこと」
ウェインが両手で顔を拭う。
「組合の陸艇でここまで来て、陸艇の予定じゃ俺たちが入ってから五日後にこの近くに戻って来るはずだったんだ。だから五日で俺たちも鉱路から出る予定だったんだが――」
「――二つ頭の亜竜に捉まってた時間が長かったわね」
メイが嘆息しながら言って、赤くなった目許を擦る。
アーディスが顎を撫でて、リガーとラティ、そしてアガサを振り返った。
全員が小さく頷くのを見届けてから、彼は咳払いして言った。
「――実を言うと、俺たちの陸舟はある。多少狭苦しい思いをしてもらうことにはなるが、ハイリまで送っていってやるよ。
どのみち近場で、帰りの分の食糧を調達しなきゃならなかったもんでな」
資源の分配は荒れに荒れた。
そもそもの発端は、資源の中で最も価値の高い亜竜の眼球四つを、三つの勇者隊がどう受け取るかという話だった。
これに関してウェイン隊は言った。
「功労者はそこの三人だろ。
エルカのところの隊が二つ、あとは俺とアーディス、あんたのところで一つずつだ」
「異議なし」
とアーディス隊が同意したところで、当のリベルとエルカがそれを白紙撤回した。
「いや、俺たちのところは要らない。そっちで二個ずつだ」
「――は?」
リベルはヴィレイアを見た。
ヴィレイアはまたオーリンと、彼の手を握るギー・レスとベイ・レス、そしてまた目許を拭ったディドルを見つめていたが、リベルの視線に気づいて振り返った。
彼女はこくりと頷き、そそっとリベルに身を寄せて、耳許で囁いた。
「――早くジョーゼル小父さまのところに戻りたいな」
つまるところが、資源を全て他の隊に明け渡したところで、リベルたちにはヴァフェルムから支払われる報酬があるのだ。
とはいえそれを知らないウェイン隊とアーディス隊は騒然としている。
リガーが愕然とした顔でリベルを見て、「おまえ、正気か?」と言う一方で、ラティがおずおずと手を伸ばしてリベルの熱を測ろうとした。
「大丈夫……ですか……?」
「大丈夫だから、大丈夫だから!」
ラティの手を躱して、リベルは遠慮がちにオーリンを見つつ。
「それに、損害の大きさはウェイン隊が一番だ」
ウェインが言葉に詰まる。
リベルは気まずそうにアーディスに視線を移し、ぼそぼそと。
「……ほら、ちょっと言ってただろ。この鉱路に入りたかったのは金持ちの道楽に付き合ってるからだって。その金持ちが、俺たちが生還したらそれなりのものを支払うって言ってくれてんだよ」
「ねえ、何か変なことに巻き込まれてない?」
アガサが身を乗り出し、更に議論は難航した。
結局のところ、リベルたちが希望して手にしたものは、あの黄金の鞘と、黄鉄鉱の巨人の死骸と骨を必要な分だけ、そして亜竜の鱗だった。
亜竜の牙や骨が加工できるものであれば、リベルはぜひともそれでエルカの武器を仕立てたいところだったが、残念ながら亜竜の牙や骨を変形させる技術はない。
亜竜の骨や牙が高値で売れるのは、それを権力を誇示する装飾品として求める、趣味の悪い富豪がいるからだ。
資源の分配の決着を見たあと、勇者たちは陸舟へ向かったが、まだなお「これでいいのか」という終わりの見えない確認がリベルたちに入り続け、アーディスたちからの確認はともかく、知り合って間もないウェイン隊からの確認に耐えかね、リベルは陸舟に乗り込むや狸寝入りを決め込むこととした。
が、それもなかなか難しかった。
大きくはない陸舟は、予定外の来客と、膨れ上がった資源袋を迎えてぎゅう詰めになっている。
亜竜の膀胱からは、鉱路でこそ気にならなかったものの、今となっては明確に気になる異臭が流れており、そのそばに身体を押しつけられたラティが悲しそうな顔をした。
更に、誰もがオーリンと距離を置こうとするためにそれに拍車が掛かっていた。
オーリンは無感動な、あの虚無の眼差しで動き、命令通りに腰を下ろし、微動だにしない。
ヴィレイアが初めてオーリンに近付いた。
彼の目を見て、手を握って、小声で話し掛けている。
エルカがそれを止めようとしたが、メイの「構わない」という合図を受けて動きを止めた。
当然ながら、欠け人となったオーリンは無反応だ。
アーディスが操縦席に着き、慎重に陸舟を浮き上がらせる。
誰もが慣性で身体を揺らした。
アーディスも「おっと」と口走ってから、ぎゅう詰めになっている乗員席を振り返った。
「おい、誰か、ハイリまでの道を教えてくれや」
「俺が」
ウェインが言って、苦労しながらリガーとメイの間から身体を引っ張り出し、操縦席に寄っていく。
オーリンに小声で話し掛けていたヴィレイアが、欠け人が一向に反応しないことを遂に受け容れたのか、口を噤み、打ちひしがれた様子で俯いた。
それに気づき、居た堪れない気持ちになったリベルは、反射的に声を掛けていた。
「――ヴィリー、こっちにおいで」
*◇*◇*
ハイリの町は、陸舟であれば鉱路から半日程度の距離にあった。
少なくともダイアニと同程度には大きく、栄えている。
町並みは全体的に白っぽい――建物に使われている石材の色が灰白色なのだ。
建物の屋根は勾配がきつい設計となっているものが多く、昨日にでも降ったのか、雪の名残がその屋根の端や道の端にきらきらと積もっている。
陸舟がハイリに辿り着いたのは夕暮れ時のことであり、駅から見ると、帰宅を急ぐ人波に町が活気づいて見えた。
アーディスは駅に陸舟を下ろし、全員を急き立てて下船させた。
陸舟の外で、リベルたちはウェイン隊に向き直った。
斜陽がまともに照りつけており、全員が眩しさに顔を顰めている。
陸舟の船体がきらきらと陽光を弾き、駅舎は暮れなずむ中天の深い青色、西の空の茜色を背景に堂々と聳え立っている。
冬の夕暮れの、厳しい冷たさを運ぶ風が吹いて、ヴィレイアが身震いした。
――ウェイン隊はこれから、資源の換金よりも何よりも先に、オーリンを、組合を通して共和国に提出しなければならない。
そして欠落税の支払いを済ませ、「返還証」と呼ばれる書類を受け取る。
つまるところが、「共和国の財産である欠け人を返還した」という証である。
そしてその返還証を以て、保険組合から保険金の支払い――オーリンに掛けられていた、欠落税を賄うための保険である――を受ける。
つまり、彼らにとってはこれからがオーリンとの最後の時間だ。
それを邪魔する無粋はさすがにおらず、「じゃあここで」と、ぼそぼそとした挨拶が交わされる。
涙で充血した目をしたディドルがぺこりと頭を下げてから、ヴィレイアに歩み寄って、「お会い出来て良かったです」と小さな声で言う。
ヴィレイアはいっそ申し訳なさそうにそれを聞いていた。
ギー・レスとベイ・レスが、それぞれ片手でオーリンの手をぎゅっと握って、空いている方の手を鏡映しのようにそっくりな仕草で同時に挙げた。
「じゃ」
「じゃ」
メイが泣き腫らした目で一人一人に微笑み掛けて、控えめに手を振る。
「どうもありがとうね」
ウェインは憂鬱そうにオーリンを見て息を吐いていたが、振り返ってアーディスと目を合わせ、頭を掻いて、肩を竦めた。
「じゃあ」
そう呟いて、ウェインが溜息を吐いて他の面々を促す。
「行くぞ」
ウェイン隊が踵を返し、歩き出す――と、不意にウェインが足を止めて、こちらを振り返った。
そして、大股で戻ってくると、乱暴ながら親愛の籠もった仕草でリベルとエルカを抱き締めた。
リベルは固まった。
ウェインが囁くのが聞こえた。
「おまえらがいなかったら、あと何人か欠けてたよ。全滅だったかも知れん。
――ありがとうな。
また何かあったときは、おまえらに恩義のある勇者隊があるってことを覚えておいてくれ」
ウェインが腕の分だけの距離を置くのを待ってから、エルカはちらりと弟分を見た。
そして、リベルが目を見開いて硬直しているのを確認して苦笑する。
彼は微笑んでウェインを見上げた。
「うん、ありがとう。覚えておくよ」
店仕舞いの時刻が迫るハイリの町で、それぞれの店に滑り込むようにして店主を拝み倒し、ダイアニまでの五日の旅程を食い繋ぐに足る糧食を買い込んでから、リベルたちは陸舟に戻った。
その最中にもちらほらと、「陽精との契約がなぜか突然切れた」という法術師の話が耳に入り、リベルは身の縮む思いを味わった。
アーディス隊の面々からすれば、「やっと落ち着ける」という気持ちがあるのだろう、足取りは軽い。
エルカがアーディスと陸舟の操縦を替わる一方、そろそろ――元より無いに等しい――根気が尽き、「お風呂に入りたい」「美味しいものが食べたい」と悲しそうに訴え始めたヴィレイアを相手にして、リベルがとうとう折れ、「ダイアニでホテルを取ろう」と約束した。
(まあ、バンクレットさんだって、俺たちがいつ鉱路から帰って来るかを把握してるわけじゃないはずだ。一晩くらいはゆっくり出来る――)
ヴィレイアがぱあっと顔を輝かせ、ホテルについての展望を語り始める。
リベルはそれを聞いて思わず微笑みながら、いつの間にか眠り込んでいた。




