05 猜疑、偽装、融通
「ほう?」
ゲッセンタルクが眉を上げる。
それを無視して、リベルはヴィレイアの肩を掴んでいた。
振り返るヴィレイアの、大きな濃緑の双眸を覗き込む。
「――ヴィリー、おまえが平気ならいい。でも、おまえが無理をすることになるなら駄目だ」
ヴィレイアが目を瞠り、何か言おうとして、
「待って、どういうこと?」
ケルクが当惑して割り込み、ヴィレイアとリベルを交互に見た。
「ヴィリー、お父さんが商会の人って――」
「いやいやいや」
ユーズが更に割り込み、両手を上下させた。
「そいつ、あんたの寿命を売り払った奴だろ?」
わっとその場が騒ぎになりかけたところで、ゲッセンタルクが片手を挙げて場を制した。
そしてその手でヴィレイアを指差す。
「きみ、予後決定は家族が?」
ヴィレイアは呆れた様子で息を吸い込んだ。
「それ以外に何があります? 予後決定の報酬は家族に払われるんですよ」
「商会の経営に行き詰まって?」
「それ以外に何があるっていうんです?」
「欠け落ちろ!」
ケルクが怒鳴り、ロイがそれを上回る悪態を漏らした。
ヴィレイアが「話を聞いて!」と叫び、それに割り込むようにジャスとトートが一斉にヴィレイアに声を掛け、またも騒ぎが再燃する。
「ああ、黙れ。黙らないか!」
ゲッセンタルクが手を叩いて全員を黙らせた。
そしてまたヴィレイアと目を合わせる。
「――きみ、愛されているじゃないか。それはそれとして、父親はどこの商会の理事だ?」
ヴィレイアは、若干とはいえ辟易した様子を見せている。
「すみません、私がみんなにきちんと説明していなかったせいです」
「説明ならされたとも!」
ロイが、珍しいほど荒らげた声を上げる。
「たかが金銭ごときのために、きみの人生を台無しにしたんだ!」
「台無しじゃないってば」
ヴィレイアが「抑えて、抑えて」と身振りで示す。
リベルは唇を噛んだ。
ロイたちの気持ちは痛いほどわかった。
――ヴィレイアは十年以上をかけて、彼女の予後決定という現実に向き合ってきたのだ。
ゆえに、良くも悪くも、予後決定をさせた側に対する温度感が、他の者たちとは全く違う。
(それに――)
リベルは深呼吸する。
(――ヴィリーの家族がどんなにとんでもないくそやろうでも、何かしたら、ヴィリーにとってはすっきりするのと同じくらいの傷になる……)
ヴィレイア自身がそう言っていた。
それを必死に思い返し、リベルはロイに歩み寄って、彼を宥めるように、あるいは慰めるように腕に手を置いた。
それを横目に見守りつつ、ヴィレイアは淡々とした声でゲッセンタルクに応じている。
「父の商会ですよね。ラテンザ商会です」
ゲッセンタルクは眉を寄せ、懐疑的な表情を浮かべた。
「聞いたこともないな。――まだ残っているのか? 投票権があるのは確実だろうね?」
「ちょっと待てよ!」
アーヴェイが叫ぶ。
「ヴィリーをそんな人間のところに連れ出す気か!」
ヴィレイアはアーヴェイを振り返った。
「アーヴェイ、落ち着いて。別に私はあの人のことをどうとも思ってない」
「無理して――」
「無理してない。
それに、もしあの人の身分のお蔭で私が助かるなら、それこそ応報ってものじゃない?」
ロイとケルクが、全く同じ懸念の表情を浮かべているのを見て、ヴィレイアは両手を挙げた。
「大丈夫だってば。――ね、リベル?」
リベルはもう一度深呼吸した。
「……おまえの家族が、おまえの人生の期限を切ったにせよ、おまえの生き方まではどうこう出来ないって――おまえの生き方にそいつらを関わらせたくないって、おまえがそう言うから、俺は積極的にそいつらをどうこうしようとするのは我慢できる。
でも、本当なら俺は、そいつらを裸で鉱路に叩き込みたいくらいなんだ。他のみんなもそうだ。それはわかって」
ヴィレイアは気まずそうに俯いた。
「……ごめんなさい」
「どうして?」
「私が平気だからって、無神経に父の話題を出したこと」
「――いいんだ」
リベルは辛うじてそう応じた。
「おまえの人生の主題はそこにない」
「リベルおまえ、それを信じてるわけ?」
アーヴェイが目を剥き、「落ち着いて!」とヴィレイアがアーヴェイに向かって手を振る。
「ごめんなさい、考えなしに家族について話を出した私が悪かった。――でも、ねぇ、本当に大丈夫なのよ。結局のところあの人たちは私の生き方まで決められたわけじゃないし、私の人生の期限だって、どうにかなろうとしている最中なんだから」
アガサが愕然とした声を漏らした。
「本当に……? 本当にどうとも思ってないの……?」
ヴィレイアは肩を竦める。
「本当にもう興味がないの。というより、私に酷いことをした人たちであることに変わりはないから、私の人生に関わってほしくないの。私の関心という形であっても。
――だけど、私の役に立ってくれるなら話は変わるわ」
ゲッセンタルクに向き直り、ヴィレイアは大きく頷く。
「つい半年ほど前に、姉に会っています。それこそ選挙に向けて、他の商会と渡りをつけている最中みたいでした。投票権は絶対にあります」
ゲッセンタルクが顎に手を宛がう。
「どこの商会だ?」
「カイバス――ずっと西の」
「遠いな……。選挙に向けてヘルヴィリーに発っているかどうか、微妙なところだな」
「姉が」
ヴィレイアは一歩踏み出し、ここぞとばかりに声音に力を籠めた。
「姉がヘルヴィリーにいると思います。一度来ていたんですから、わざわざ帰ったとは思えない――。
姉に訊けば、父の出立がいつの予定かわかります」
「ヘルヴィリーに?」
ゲッセンタルクは顔を歪めた。
「きみ、ヘルヴィリーは軍部のお膝元だぞ。私が守ってやるにせよ、さすがにヘルヴィリーでは限度がある。ヴァフェルムの機嫌がとびきり良い日がわかっていれば、きみたちをヘルヴィリーに招待できるが。
それとも衛卒の目を避ける、その道の玄人にでも心当たりはあるかね」
ヴィレイアは少し黙り込んだ。
それからふと目を上げ、バンクレットを見つめる。
「小父さま――」
バンクレットは首を傾げた。
彼も、ヴィレイアの家族の話が出てただならぬものは感じているようだったが、概ね冷静だった。
「うん?」
「あのときの、」
ヴィレイアはリベルをちらりと見て、またバンクレットに目を戻した。
「あのとき、――リベルが誘拐されたとき、〈氷王牢〉を売った人がいたでしょう?」
バンクレットは金褐色の目を瞬かせた。
それから微かに顔を顰める。
「――ああ、いたね」
ヴィレイアは首を傾げる。
「あの人なら、衛卒の目を避ける、その道の玄人なんじゃないでしょうか?」
*◇*◇*
ちょうどそのとき、遥か離れたヘルヴィリーでは、貧民街に近い街区で、バーリ・ブロムウェルがくしゃみをしていた。
生涯最大といっていい大失態、とんだ鉱路の業物をハイリのゲルテートに売ってしまってから八箇月。
そろそろあの悪い思い出は忘れ去りたいところであった。
*◇*◇*
「整理すると、」
ヴィレイアが指を立てる。
「リエラに接触できるとすれば、選挙の前日が一番可能性がある。そのためにはその日に議事堂に潜り込まないといけなくて、最善の策は私がお父さまの投票の代理人になること。お父さまに委任状を頂かないといけないけれど、お父さまが今どこにいるのかわからないから、まずはヘルヴィリーでお姉ちゃんを捜さないといけない」
「他の手段を採るべきだ!」
ケルクが主張する。
「ヴィリーに無理させられない――」
「ありがとう。でも、他の誰より無理する理由があるのが私でしょ」
ヴィレイアが言って、手をひらひらと動かした。
「欠けるかどうかの瀬戸際だからね」
「用が済んだら、そいつら欠けさせていいの?」
激した語調でアーヴェイが問い詰め、ヴィレイアは目を丸くした。
「駄目よ」
慌てて彼女がアーヴェイの隣に飛んで行き、彼の腕の辺りを宥めるように撫でる。
「一応は、優しく遊んでもらった思い出もあるのよ。あの人たちに何かあったら、ざまあみろと思うのと同じくらい、私は悲しい」
「けど――」
言い募るアーヴェイに、ヴィレイアはきっぱりと首を振った。
「本当にもうどうでもいいのよ。役に立ってもらって、あとは放っておきたいの」
そこで、さすがに苛立ちを顔に出し始めたゲッセンタルクに目を戻す。
「申し訳ありません。お時間は大丈夫でしょうか」
「もう然程ない。すまないが、愁嘆場は私がいないところで頼む。
――さて、選挙前日を狙う案だが、当然ながら大きな穴がある――」
「そうですね」
ヴィレイアが頷く。
「ヴァフェルム議員は私の血縁を知っています。私たちが選挙を狙うとわかれば、当然、ラテンザ商会の投票権を行使しに来た人間を拘束するでしょう」
ゲッセンタルクは満足げだった。
「きみは話が早くて助かる」
「恐縮です。
――つまり、如何に秘密裡に出来るかということが成功の要ですね」
「――――」
その瞬間、リベルは眼前が真っ暗になった心地でよろめいてしまう。
(――だったらもう駄目だ。バンクレットさんに聞かれてる……)
リベルの動揺には気づいた様子はなく、ヴィレイアは心持ち口早に続けた。
「ただし、ヴァフェルム議員が、私が家族を強く恨んでいて、こんなときであっても接触は避けるはずだと考えることは十分あり得ます。
それに――そうだ、大前提として、私たちは選挙の流れを知るはずがない。ゲッセンタルクさまからの入れ知恵がなければ、私たちはこの策を思いつくはずがない。だけど、」
「私がヴァフェルムなら、本当に選挙を利用する気ならば、その日に支障を来しかねない要因には全て目を配っておく」
ゲッセンタルクが確信を籠めて言い、他の勇者がもはや軒並みぽかんとする中、ヴィレイアは頷いた。
「ですから、私たちと父の接触は絶対にヴァフェルムさんに知られてはならない。それに、何か偽情報が必要です。ヴァフェルムさんがお父さまにばかり目を配っていられない――他にもっと警戒すべき、私たちの行動の予測――」
ヴィレイアが口許に拳を当てて考え込む。
リベルとしては、「バンクレットがいるのだから、もはや選挙を狙う案は没にするしかない」と主張したかったが、それをこの場で言い出すわけにもいかなかった。
ただ、おずおずと言う。
「――ヴィリー、おまえ、特等になるんだろ?」
ヴィレイアはぱちくりと目を瞬かせた。
どうやら、すっかり頭から飛んでいたらしい。
「……そうだったね。なんで?」
「ヴァフェルムさんが一番警戒することは、俺たちが何とかして自力でハイリの鉱路に特攻して、死霊を解放することだ。だろ?
後からリエラに死霊と真契約させようにも、あっちが予期しないタイミングで欠け人は使えなくなるわけだし、こっちにヴィリーがいる限り、リエラから死霊の契約が奪われかねない――」
「いや、それは違うかな」
ヴィレイアが即座に否定した。
「リベル、あなたは法術師じゃないからわからなくて当然なんだけど、生きてる人から契約を奪おうとすると、諭示行為が必要になるのよ。私がリエラから治癒精を取り上げたときもそうだったでしょ?
つまり、その精霊が恵むことの出来る事象を、その精霊に喰わせるに足る法気の持ち主が必要としているってことを示すわけ。例えば治癒精なら、怪我をしないと駄目――治癒を必要としないと駄目ってことね。死霊の場合は――」
リベルは息を吸った。
「――生きてること?」
「そう、そういうこと。生きてることを死霊に示して契約すると、死が恵まれる。そうすると、その瞬間に死んじゃうわけでしょ? まあ、死ぬってどういうことか、よくわからないけれど。
それで、精霊を抱えたまま竜が死ぬと、その精霊って誰とも契約できなくなっちゃうのよ。つまり、今度こそ死霊は消えてしまうわけ。――だから、リエラが死霊と真契約してしまうと、誰も手は出せなくなる。
リエラが自分から死霊との契約を解けば別だけど、私がヴァフェルムさんなら、そこへの対策は怠らないかな」
リベルはリガーを見た。
リガーは頷いた。
「ヴィレイアちゃんの言う通り。――ま、法術に関しちゃヴィレイアちゃんが誰より詳しいわけだけど」
ヴィレイアは自負を籠めて微笑んだあと、「でも」と言葉を継いだ。
「それ以外はリベルの言う通りだと思う。ヴァフェルムさんとしては、私たちが勝手に死霊を取り戻すことを一番避けたいだろうね。
多分あっちの計画では、王女さまを鉱路から引き摺り出して来て、欠け人から契約を奪うと同時にリエラに契約させて、欠け人ってものがなくならないようにすることになってるんだろうし」
リベルは息を吐いた。
「だったら、俺たちがあの鉱路に特攻しようとしている風に見せるべきだ。
おまえが特等になって――特等勇者ってだけで、勇者の間では人気者になるからな。人を募ってるように見せられれば御の字だろ」
「……確かに」
ヴィレイアが目を見開いて、全身の動きを止めた。
かと思うと、忙しく手を動かす。
「まず第一に、ゲッセンタルクさまと私たちの関係は全力で隠さないといけない。でも、ゲッセンタルクさまが私たちを守ってくれる以上、疑われはすると思う。――ですよね?」
「相違ない」
「ゲッセンタルクさまの入れ知恵があれば、私たちは選挙の日に目をつけることも有り得る。だから、ヴァフェルムさんに警戒してもらうこととしては、二つ。
――まず一つめ、時期を問わずに、私たちがあの鉱路に特攻しようとしているということ。
それから二つめ、選挙の前日に、私たちがあの鉱路に特攻しようとしているということ。
エルカがいれば、アンリを突破して死霊を手に入れてしまうことも有り得ると、ヴァフェルムさんは警戒するはず――」
「――アンリって誰だっけ」
ユーズがぼそぼそとジャスに尋ね、ジャスが首を捻る一方、トートが答えた。
「あれだ、その、死霊と契約してる欠けた女の近くにいる、馬鹿強いっていう欠け人」
「そうだった、だった。ありがと」
そのやり取りは耳に入ってすらおらず、ヴィレイアは続けている。
「だからヴァフェルムさんは、その日にリエラに危害を加えようとせざるを得ない。そうすればエルカを鉱路から引き離せるから。あるいはそうすることで、予めエルカは鉱路から離れているに違いないから。天命契約がどう成就するか予測は難しいけど、こう判断するはず」
ヴィレイアが続けて何かを言おうとして、躊躇った。
それを振り払うように言う。
「リエラに危害を加えようとするなら、演説でリエラをお披露目する計画は水泡に帰す。実際には、ちょっと時間をずらすなり何なり、如何様にもやりようはある――だから同時並行で、私たちはリエラを捜索して、あの子を助けようとしていないとおかしい。
――これを本命だと思ってもらいましょう」
ヴィレイアは口をぱくぱくさせた。
「えーっと、細かいところはゲッセンタルクさま、考えていただいても?」
「私の頭の方が、きみの頭より幾分か優秀だろうから、任せてくれて構わない」
ゲッセンタルクが時間を確認し、目を細めた。
「――そろそろ出てくれ。逓信組合の議員というものは、商人組合の議員相手にも尻尾を振らねばならない立場だ」
「あっ、はい――」
勇者たちがぞろぞろと動きかけたところで、リベルは「待って!」と。
「俺たちはあなたにどう連絡をつけたらいいんです? あなたからどうやって連絡が来るんです?」
ゲッセンタルクは、リベルの知能を疑っていることがよくわかる目つきで彼を見た。
「きみたちは勇者組合にいる」
「――――」
「職員に声を掛けなさい。私からの伝言も、職員を通じて届くから」
ゲッセンタルクが、犬を追い払うように手を叩く。
「さあ行って。エーデルに戻って、ヴィレイア、試験を受けなさい。こちらからも、試験日程の融通は通達しておく。
ヘルヴィリーに向かうときは一報を入れるように。間違っても逓信組合の陸艇は使うな。そのときも組合の職員に声を掛けなさい」
追い立てられる勇者たちの中で、ヴィレイアが足を止めた。
釣られて足を止めるリベルに、「行って」と合図して、ヴィレイアがゲッセンタルクを見上げる。
「ゲッセンタルクさま、ほんの一、二分です、よろしいでしょうか――二人で」
ゲッセンタルクは眉を上げてヴィレイアを見下ろし、それからエヴァルーに向けて顎を上げた。
「エヴァルー、出ていろ」
部屋から出ると、少し離れた場所でエルカが壁に凭れ掛かっていた。
ぞろぞろと出て来た勇者たちとバンクレット、肩身が狭そうにするエヴァルーに気づき、彼が振り返る。
「よう」
リベルはエルカに駆け寄って、彼に腕を回した。
エルカは鬱陶しそうにしたものの、嫌がる様子はない。
「なんだよ。寂しかったのか?」
リベルは短く笑った。
「いや、おまえが寂しかったんじゃないかと思って」
「ばーか。ぶっちゃけ、駅の人にじろじろ見られる度に愛想笑いしてたから、愛想笑いが品切れだな。不都合はそれくらいだよ」
軽い語調でそう言って、エルカがバンクレットにも笑い掛ける。
リベルは奥歯を噛み締めた。
――先ほどの方策は、ヴァフェルムに筒抜けになった途端に詰む。
そしてリベルにはどうしても、バンクレットが耳に入れた時点で、ヴァフェルムに筒抜けになったに等しいとしか思えなかった。
エルカが全員を見渡してから、「あれ?」と首を傾げる。
「ヴィリーは?」
「ゲッセンタルクさんと何か話があるって――」
ふうん、と声を漏らし、エルカはロイとケルク、アーヴェイの、ささくれた雰囲気に気づいたらしく、ぱちぱちと瞬きする。
彼が、「どうしたの?」と尋ねようとした様子でリベルを見て口を開き――そしてすぐにその口を噤んだ。
明らかに、自分が耳にしてはまずいことを聞くことを恐れていた。
リベルは唇を噛む。
(おまえよりバンクレットさんの方が……)
だが、それを言い出せば最後、再びエルカに銃を向けられかねない。
リベルは息を吐いて、エルカの肩に額を載せた。
(バンクレットさんは法術師じゃない。誰かに何かを伝えるには、実際に会うか、手紙を書かなきゃいけないはずだ。それを見逃さなきゃいいんだ。バンクレットさんは、ゲッセンタルクと一緒に行動するだろうから――議員が見逃すはずない……)
エルカは困惑したようだったが、ややあってリベルの頭をぽんぽんと叩いた。
――しばらくして扉が開き、ヴィレイアが滑るように外に出て来た。
その後ろにいるゲッセンタルクが、神経質に時計を見て勇者たちを急き立てる。
「早く行け。そろそろ議員が来る頃合いだ。将軍は残れ」
エルカが不安げな顔をする。
バンクレットが苦笑して、「食客兼護衛になっていると言っただろう」と彼に話し掛けた。
リベルはとうとう堪りかねて、ヴィレイアと入れ替わるようにゲッセンタルクに駆け寄って、殆ど耳打ちに近い距離で囁いた。
「……あの人は軍人なので、目を離さないでください」
ゲッセンタルクの灰色の目がリベルを見た。
彼が唇の片側だけで笑った。
「きみは話がわかってよろしい。
――ほら、行け」
ゲッセンタルクが指差す方向に、勇者たちが慌てて歩き出す。
エヴァルーはその場に留まったが、間もなく別の男性が、どうやら勇者たちを待っていた様子で佇んでいたところを、リベルたちに向かって駆け出して来た。
「――ゲッセンタルク閣下のお客さま?」
「あ、そうです」
「あ、どうも組合の者です」
男性が、組合の職員であることを示すらしき徽章を差し出して会釈する。
そしてくるりと踵を返した。
「こちらへどうぞー。ちょうどうちの陸艇が鉱路に出発するところで。ついでにあなた方を送っていくよう、閣下直々にご指示を受けています」
「あ、どうも……」
「いらっしゃるのが聞いていたより遅かったので、入れ違いになったかとどきどきしてましたよ」
駅舎をすたすたと進んで行く彼に従いつつ、ヴィレイアがリベルの手を引く。
「最後、ゲッセンタルクさんに何を言ってたの?」
リベルは曖昧に肩を竦めたものの、エルカからの抉るような視線を感じて、ぽつんと言った。
「いや、別に。バンクレットさんをよろしくってだけ」
エルカは疑わしげにしていたが、ヴィレイアは嬉しそうに笑った。
「そっか」
リベルはそんなヴィレイアを横目で窺った。
「なに話してたの?」
ヴィレイアはにこっと微笑む。
「えー、それ訊いちゃう?」
「俺にも言えないこと?」
ヴィレイアは少しばかり考えてから、口許に手を当てて囁いた。
「――資源税を勉強してくださいってお願いしてたの」
「は?」
リベルは噴き出した。
「なんだそれは」
「だって高いじゃない。階級傾斜でごっそりと」
「わかるけどさぁ」
どうやら会話が聞こえたらしきアーディスが、「リベルと同じこと言ってる……」と呟き、リガーとアガサが同時に笑い出した。
「あー、あの大事件」
「いきなり抜けるって言われたときね」
リベルは顔を顰めた。
「悪かったよ……」
そうしているうちに駅舎の出口に辿り着き、リベルたちは発着場へ出る。
勇者組合の陸艇が停泊しており、その昇降口に立っていた組合職員がこちらを見つけて、「遅い!」と怒り心頭で拳を振った。
「遅い! 中で勇者が暴れそう!」
「ごめん! ごめんって! この人たちだから乗せて、もう行って!
――あ、どこに向かえばいいか、あいつに伝えてくださいね」
陸艇の中からも急き立てられ、リベルたちは小走りで陸艇に乗り込む。
不機嫌そのものの顔をした組合の職員に頭を下げつつ、「エーデルまで」と伝えると、ここで更に溜息を吐かれた。
「ちっ、微妙に方角が違う……」
「真反対と言われなくて良かったです」
「大人しくしててよ。他の勇者と喧嘩しないで」
そう言った組合職員が昇降口を閉め、溜息を吐きながら操縦者席に向かうべく、陸艇のホールを抜けていく。
リベルたちはホールの隅で大人しくしておこうと、適度に人気のない隅を探して周囲を見渡す。
最後に乗り込んできたリベルたちに、周囲の勇者から胡乱げな目が向けられていた。
ヴィレイアは、己が目立つという適切な自己判断のもと、リベルのそばで彼の陰に隠れるようにして俯いている。
そんな彼女を促して他の者から離れてから、リベルはそっとヴィレイアに話し掛けた。
「――で、実際はゲッセンタルクさんに何を話してたの?」
ヴィレイアは、「ばれたか」と言わんばかりに肩を竦めた。
そして少々の逡巡を挟んでから、声を低めて答える。
「――〈言聞き〉と魔法使いのことについて」
リベルは目を見開いた。
それはこれまでゲッセンタルクに話していないことだった。
「……マジ?」
ヴィレイアはこくんと頷く。
「実際はどうかは言ってない。ただ、ヴァフェルムさんは、魔法使いが〈言聞き〉の天敵だと思っていて――そう思うに足る証拠も示すことが出来ていて――、ただ天命契約は魔法使いにもどうにも出来ないと思ってるって。
だから議場で顔を合わせるときなんかに、実は魔法使いは天命契約も破棄できるんだって匂わせてくれたら、あっちはかなり慎重になるだろうし、揺さぶりになるんじゃないでしょうかって」
リベルは息を吸い込み、首を振った。
「――いつもあれこれ考えてくれて、ありがとう、ヴィリー」
*◇*◇*
この二日後、初冬の月の二日に、リベルたちはエーデルに帰り着いた。
彼らが真っ先に向かったのは勇者組合で、そこで〈フィード〉を確認したリベルは、思わず微笑んだ。
まず間違いなくゲッセンタルクの指示だろう伝言が掲げられている。
勇者組合らしい温度感に落とし込んだのはゲッセンタルクか、あるいはその秘書か。
――『商人は鉱路を買っていない。先立っての勇戦に乾杯』
――『白髪の法術師へ。次に陽精と真契約するなら俺に一枚噛ませてくれ。俺は解放に当たって七千オレガ要求する』
茶化す温度の掲示に、一時期はいきり立っていた勇者たちの感情の温度もやや下がっている。
エルカがリベルをつついて、「何か書いてあったか?」と尋ねる。
リベルよりも更に早くラディス傭兵団に買われた彼は、文字が読めない。
リベルがひそひそと掲示についてエルカに話す一方、ヴィレイアはしばらく覚悟を決める様子で躊躇ってから、「よし」と呟くと、ホールの奥のカウンターに向かって足を踏み出した。
カウンターは七割程度が埋まっていたが、端の窓口が空いていた。
ヴィレイアがそこへ進んでいく。
そしてカウンターの奥で、がたりと立ち上がった髭面の男性職員に、あっと声を上げて手を振った。
カウンターの向こうからも、熱烈な歓迎で手を振り返されている。
「――なに、あいつ? ヴィリーの贔屓?」
アーヴェイが不愉快そうに眉を寄せて呟く。
リベルは朱色の瞳をカウンターの向こうの職員に向け、少しばかり顔を顰めた。
「ああ、あの人……ヴィリーの組合加入の手続きをした人です」
リベルからの告白を受けて逃げ出したヴィレイアを彼が追いかけた際に、あの職員はリベルにも声を掛けてきたことがある。
「だからなに?」
アーヴェイが鼈甲色の瞳を瞬かせる。
リベルは口籠りながら答えた。
「……ヴィリーは……あの、欠落税のための保険に入らなくていいから、それで、あいつのこと知ってて……」
アーヴェイの目が、さっと翳った。
彼がリベルから顔を背ける。
「ああ、そういうこと」
そういえば、とロイが呟く。
「フロレアであの子を組合に誘ったときも、組合に加入するのに妙に金が掛かっていないなと思ったんだよ」
ロイが片手で顔を拭う。
「あのとき、もっとちゃんと話を聞いていればな……」
「ヴィリーはだんまりを貫いたと思いますよ」
リベルは低く言った。
カウンターでは、「何の用事?」と尋ねられたヴィレイアが、元気よく答えているところだった。
「はい! 特等勇者になりに来ました!」
リベルは思わず顔を覆った。
ヴィレイアの隣の窓口にいた勇者が、突拍子もないこの発言に笑いの発作に襲われ、ひぃひぃと喘いでカウンターに縋りつく。
ロイが悔恨の表情で呟いた。
「……あの子、昇格は組合側から誘われてばっかりだったから、意外と流儀を知らないままだったんだ……」
リベルはアーディスを振り返った。
「アーディス、助けに行ってやってくれ」
「放っておいて見物したら駄目か? すげぇ面白いことになりそうだけど」
まさにそのとき、カウンターでは、髭面の職員がヴィレイアに向かって、「なんだって?」と問い返したところだった。
ヴィレイアは、後ろ姿からもきょとんとしていることがわかる風情で。
「え、だから、昇格したいなって。特等に」
この時点でヴィレイアの隣にいた勇者はしゃがみ込んで爆笑し、アーディスもこれはまずいと判断して、慌ててカウンターに走って行った。
アガサが呆れ顔でリベルを見る。
「あんたは行かないんだ」
「言うなよ。俺が一番苦手なことだよ」
アーディスがヴィレイアのそばに行き着き、小声でヴィレイアを叱ってから、慣れた様子で組合職員との交渉を開始する。
――ゲッセンタルクから、昇格試験の日程の融通についての通達があったのは間違いがなかった。
また、リベルが最も危ぶんでいた預託金相当の金額も、耳を揃えてヴィレイアの口座に振り込まれていた。
斯くてこの翌日、初冬の月の三日、エーデルの勇者組合においては初の、特等勇者が誕生した。
ヴィレイアの横の窓口にいた勇者さん
「ガチだって! 俺、特等が昇格の話してるときに横の窓口にいたんだって! 顔も見た! マジだって、ほんの三、四フィートの距離にいたんだって!!」
*◇*◇*
ブロムウェルさんについては、5章9話(https://ncode.syosetu.com/n3270jo/82/)で登場。




